2017年5月31日水曜日

紅葉坂、御殿坂、諏訪坂、間の坂

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5月27日、御隠殿坂、芋坂を上り下りしたついでに、その北の坂も立ち寄った。

3 紅葉坂(写真は5/31)
日暮里駅南口を出て、谷中霊園、天王寺に上がっていく階段。むかし、階段上がって右に旅館があった。

右が天王寺。左に旅館があった。

4 御殿坂(写真は5/27)
日暮里駅北口から本行寺、諏訪台に上がる坂。
外国人ふくむ観光客が多い。
そのまま行けば夕焼けだんだんにぶつかる。
駅北口の跨線橋の名前が下御隠殿橋とは、今回初めて知った。
「御殿」橋ではないのか。
御隠殿坂はずっと南で、その間に紅葉坂がある。紅葉橋を下御隠殿橋と名付けるのなら分かるけど…


5 諏訪坂 (写真は5/28)
(本当は地蔵坂というらしい。)
西日暮里のガード下飲食店の通りを南へ、スポーツクラブの角を右に曲がると、線路下、荒川区の自転車置き場。ここをくぐると
 階段。ほとんど人は通らない。
 そのまま諏方神社の境内に入る。
 坂上から西日暮里駅を見る。左の森が諏方神社。

6 間の坂(あいのさか) (写真は5/28)
諏訪神社を西に抜け、諏訪台どおりを北に行くと西日暮里公園。
ここを直角に折れ、下っていく。


西日暮里のホームからよく見える坂である。

秋まきキャベツの収穫

昨年挑戦したキャベツは無残な結果に終わった。
2016年5月9日にポットへまいて、14日発芽、青虫がついたので6月2日消毒、18日地植えにして防虫ネットを張ったのだが、その後内部で薬剤耐性のコナガとコガネムシが発生した。
2016-8-16

その後、虫害の少ないという秋まきキャベツを試した。
10月10日にポットへまいて17日発芽。
しかしその後全く育たず冬を越す。
これは予定通り。冬に大きくなってしまうと春にトウが立ってしまうからだ。
2017年1月26日

日が明るくなるにつれ成長が始まり、3月12日地植えと同時にネットを張る。
虫が付く前に、早め、早め!
3月13日

4月22日

その後、コバエが発生してぶんぶん飛んでいたり、アブラムシのようなベージュ色の虫が葉に張り付いてたり、ネット内で生ごみに混入していたカボチャが大量に発芽したりしたが、陽気と共になんとか育つ。

5月20日、混んできたので間引いた。
5月20日
5月20日
ちょっと首(根から頭までの距離)が長いのが気になる。

生だと非常に苦い。
外側の葉っぱは、そもそも出荷されずに畑に捨てられ、スーパーで買った消費者も外の葉は捨てる人が多い。これは固いからかと思っていたのだが、苦いからだと分かった。
この間引きキャベツは外の葉のみだから、それを食べるしかない。
スープにしたり、お好み焼きに入れる分には使えた。

 5月31日
ようやく玉ができた。もう少し大きくしたいが、割れ始めているのと、虫の食べた後があるので、早く収穫したほうがいいと思われた。
 虫はヨトウムシに思える。
食欲旺盛、ふんがいっぱい。
写真撮影のために引っ張り出して置いたから丸まって死んだふりをしている。
ネットをしていてもやはり虫害はある。

また、外の葉に白いカビのようなものが生えている。
何だろう? 
キャベツにうどんこ病は聞いたことがない。
毒ではないだろうが、気持ち悪いのでサラダには使わない。
(固くに苦いので生は無理だが)
中心の球はカビがなかった。

葉っぱばかりの大根、
育ちすぎたホウレンソウ、
巻かない白菜・・・、
不良品は処分に困った。
それらに続き、キャベツも小さくて虫食い。人にあげられなくなってしまった。



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2017年5月28日日曜日

我が家の三大雑草 オキザリス、トキワツクユサ



妻の花壇を野菜畑にしたものだから、彼女が怒り、以後庭の草取りをしなくなった。
もっとも庭いじりはそれほど好きじゃなかったのだと思う。
その結果、雑草がはびこることになった。

カタバミ Oxalis corniculata
中央に鞘が立っている。触ると種が飛び散る。
根ごと取ろうとしてもその振動で飛び散るのだから、繁殖するばかり。

こちらもカタバミの仲間。Oxalis corymbosa
葉はカタバミより大きい。ピンクの花をつけ、ムラサキカタバミともいわれるらしい。外来種でオキザリスというが、それはカタバミの属名そのままである。
大きな違いは球根があること。
これをしっかり取らないと、どんどん増える。
シュウ酸Oxalic acidはカタバミ属から単離されたらしいが、酸っぱいのかな?

そして最後が、トキワツユクサ。
ツユクサに似ているが、青ではなく白い花をつける。帰化植物らしい。
これは成長が早く、草の量が多いので最も目立つ。

引っ張るとすぐちぎれる。トキワの名の通り、葉が肉厚で、取って放置しても枯れない。
地面に置いておくと茎から根が出てまた繁殖する。

だから取ったら袋に入れてゴミに出さなくてはいけないのだが、大量に毎回出すのは畑の養分が流出する気がする。
そこで枯れさせて土に戻そうとした。すなわち、放っておくと枯れないので、踏み石の上に置いて、積極的に(歩くたびに)踏みつぶそうと考えたのである。


ところが今回草をとっていたら、幼苗が密集しているところがあった。

えっ? これって実生なの?
と見ると、白い花だけでなく、大量に実がついている。

こりゃ踏みつぶしたら広がる一方だ。
結局ビニール袋に詰めてゴミに出すことにした。

雑草って、「雑草という名の草はない」とか、下から這い上がる雑草魂とか、比較的優しい目で語られている。
しかし、この3種の草に関しては、油断すると地面を覆い尽くす、にくい侵略者に思える。


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諏方神社、浄光寺、日暮里小学校



5月28日、諏訪坂(地蔵坂)を上がって境内に入る。
本殿。
谷中、日暮里の総鎮守である。
祭礼は8月末。
朝は近所の人がラジオ体操している。
神社入り口の隣に浄光寺
諏方神社の別当寺。
入ってすぐ左に地蔵菩薩立像、座像がある。
もとは門の外、地蔵堂に安置されていたらしい。
東都六地蔵の一つ。

将軍が鷹狩で立寄ってから御膳所にあてられ、将軍が来訪した時に腰掛けたとされる石と碑がある。

別名、雪見寺。
雪見というと障子越しに庭をみたりするが、ここは東一面の田んぼと荒川を眺めたのだろう。

諏訪神社の西は谷中からずっと続く諏訪台通り。
太平洋美術会。
大変由緒ある団体である。

となりが日暮里第一小学校。
いずみたくや高村光太郎が出た。
光太郎自筆の「正直親切」
西日暮里ガード下に下る間の坂
左は西日暮里公園である。
このあたり一帯、道灌山という。
不忍通りの交差点「道灌山下」は遠すぎると思うが、道灌山通りというから、まあいいのかな。


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谷中墓地1 徳川重好、伊達宗城、佐藤尚中



5月27日、芋坂を上がって谷中墓地にはいった。

ちょうど歴史散策ツアー?の団体に出くわした。
本当に好きな人は一人で歩くのではなかろうか。彼らの見ている墓は鏑木清方。これは通りに面しているので、以前探すつもりがなかったのに偶然見つけて知っている。

谷中墓地は谷中に住んでいたころ(1978年から80年)初めてきた。
当時、電車に乗るときは日暮里駅であったが、墓地に来たのは5回もない。学生時代は歴史や昔のことに興味がなく、気まぐれで通ったことがあるくらいで、中はしっかり歩かなかった。

一度中を歩いて迷ったことがあった。
出口を探しているうちに、古い石塔が並ぶ場所に出た。倒れている塔もあり、桐の木があって草が生えていて、夕方で、誰もいなくて、不思議な場所だった。

それから数十年、その場所はなくなってしまった。しかし、また迷えばそこに行かれるのではないか、と何回か入ったが、あの場面には出会えず、もう迷うこともない。
今回も墓地の中はどこも明るく、あのような景色はなかった。

塔が並ぶ伊達宗城の墓。伊予宇和島藩主。松平春嶽、山内容堂、島津斉彬らとともに幕末の「四賢侯」と言われた。

塔が並んでいる。
石の感じは記憶に近いが、かつて見た幻の墓域は通路と同じ高さで、もっと広々していた。数十年の間に盛り土して、設置しなおし、通路側に他の墓を持ってきたとも思えない。

葵の御紋が彫られていて、俊徳院、貞章院、とか読める。
帰って調べたら清水徳川家の墓らしい。
俊徳院は清水家祖、徳川重好のこと。9代将軍家重(吉宗長男)の次男。
ちなみに田安家祖は吉宗の次男、一橋家祖は吉宗四男。

帰ろうと思って交番の近くまで来て何気なく横を見たら
島薗家之墓
とある。千駄木の島薗邸は登録有形文化財になっている。
東大医学部教授、病院長を務めた順次郎と順雄、安雄ら息子たちの名が墓碑に読めた。

何回もここを歩いているのに、この日初めて気が付いた。

谷中墓地の楽しさは、こうして何気なく歩いていて有名人の名を見つけることである。
もちろん知識がないと通り過ぎる。
これから死ぬまで、何回散歩するかわからぬが、知識を増やせば増やすほど、墓地は楽しみを与えてくれる。

で、交番のある交差点。
谷中墓地の中心であるが、ここもいろいろある。

まず交番の対角線の角。1,2年前に偶然気が付いた石黒家の墓。
なんとわきに
昭和二年三月
石黒忠悳之を立つ
とある。
医学史を調べていて常に出てくる人物である。
忠悳は子爵1845- 1941、軍医総監として明治の軍医制度を確立した。

この向かい、ぎんなん通りに沿って十字路から順に
杵屋(中村)勘五郎(1815-1877)江戸長唄家元
    

2つ目が浅井梅治郎(千駄木の植木屋、団子坂菊人形の仕掛け人)

3つ目は非常に目立つ石柱、医学史を学んだものなら誰もが知る佐藤尚中。
佐藤泰然の養子、佐倉順天堂の第二代堂主。

何年前だったか、谷中墓地で私が初めて人名を見たのは、この墓である。
途中で修復されているが、震災で折れたのかな?

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