薬学会会員上野彦馬君逝く―――わが国写真術の開祖、死去(1904)
薬学雑誌269号599頁(1904)より
2000年に始まった毎日新聞,九州産業大学主催による写真コンテストの最優秀賞は上野彦馬賞という.彦馬の名を知らない人も坂本竜馬,勝海舟など彼の撮影した肖像写真は教科書などで見ているはずである.明治7年太陽面を通過する金星の撮影に成功,西南の役で戦争撮影の嚆矢,26年アメリカの世界博覧会で優等賞.香港,ウラジオ,上海でも活躍した.
彼は文久元年化学のテキスト「舎密局必携」を著すなど我が国最高レベルの化学者でもあった.父俊之丞が砲術,測量及び化学に精通した蘭学者という恵まれた学問的環境に育ち,長崎出島でポンペについて化学を勉強中,写真について興味を覚え研究に着手,ついに湿板写真による撮影に日本で初めて成功した(1859).
当時,必要な器具,薬品などは蘭書を見ながら全て自分で作らなければならなかった.硫酸を得るには,鉛の箱に硫黄と硝石を入れ,加熱発生した蒸気を3人の手伝いを使って6昼夜不眠不休で集めた.アンモニアは生肉が付着している一頭分の牛骨を土中に埋め,腐りはじめた頃掘り出して釜に入れて抽出し,これを蒸留して得たという(参考:長崎大薬学部HP).
彦馬は日本薬学会会員であったから明治37年死去にあたり,薬誌6月号p543長崎県通信には葬儀の様子がある。
「会葬者無慮八百余あり頗る盛式なりしか内六百余名は墓地迄静粛に送柩したりと云ふ」
7月号p599には写真と3ページにわたる略歴,弔辞が掲載されている.
「君は天保九年八月二十六日長崎市銀屋町に生まる.(中略) 命運の神はもはや君の天職は今日に完しとし五月二十三日疾患のため遂に起たず.噫惜哉享年六十有七」
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