5月31日、都内の用事が終わって山手線に乗ったら17時。
まだ明るかったので、また谷中墓地に行った。
前回書いたように、20代のころ迷って出くわした石塔群が気になり、同じ夕方なら出会える気がしたのである。
芋坂上から崖際を南に歩き、中に入ったら整地されていてびっくり。
このあたりは寛永寺墓地である。谷中墓地は都立谷中霊園、寛永寺墓地、天王寺墓地からなる。
以前来たときは背の高い白い鉄板のフェンスで囲まれ、中が見えなかったが、それが取っ払われたら更地ができていた。
かなり広い。
新規墓地分譲中の案内が出ていた。
帰って調べたら、昨年から寛永寺は谷中墓地内に谷中霊園と徳川浄苑という二つの新規墓地を作り、募集を始めたようだ。
http://kaneijireien.jp/news.html
価格は1.3m^2~6.6m^2 で480万~2020万円
いいなあ。
そろそろお墓の心配をしなくちゃいけない。
谷中にお墓があればいいな。
でもこんなお金はない。
0.6平米なら270万らしい。しかし75㎝四方とは、コタツくらいだろうか。
それにしても、こんな広大な墓域に以前は何があったのだろう?
空き地であったわけがない。
長い間、白いフェンスに囲まれているあいだに、貴重なものが破壊されたのではなかろうか?
一般個人の墓であったとは考えにくいから、徳川家一門、寛永寺関係者の墓所だったのではないか?
それが、びっしり小さな墓石が並ぶ場所に変わる。
いくら寛永寺所有とはいえ、江戸時代からの文化財を、勝手に処分していいのだろうか。
所有していたのは寛永寺ではなく徳川家だろうか? 徳川の資産は明治政府が没収した後、墓地は戻しても、それは墓地だから戻したのであって分譲することは想定していなかっただろう。
帰り際、石塀に囲まれた墓所に出会った。
中に入れないが徳川関係のものだろう。
20代のころ墓地で迷い、夕闇迫る中で見た石塔群はこれだったのだろうか?
もっと草がぼうぼうだった気がする。倒れている塔があり、桐の木があったのは他の記憶と混じっているのだろうか?
しかし、広大な更地を見るにつけ、私の記憶にある鮮烈な光景の場所は、もう失われたのではないか、と思えてきた。
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