サルファ剤がいつ日本に入ってきたか、薬学雑誌にほとんど記事がないことは述べた。
この雑誌は、明治時代いろんな情報を載せていたが、このころは単なる学術論文の発表場所になっている。しかも薬学者は、臨床医と違って、患者の治療やサルファ剤に興味がなかったようだ。
では、東京医事新誌はどうだろう?
この雑誌は、1877、明治9年創刊。現存する雑誌では最古といわれる薬学雑誌より古い。昭和35年に廃刊になるまで我が国医学界の情報を最もよく伝える雑誌だった。
週刊で、1935年1月1日号は通算2911号である。
・原著実験及総説のほかに
・臨床講義、
・輓近診療界の話題、
・雑纂、
・会報(の告知)、
・抄録(学会などの要旨)、
・海外医事時報、
・雑報などがあり、
話題になれば何か出るはずである。
1年分は3200ページもあり、1ページずつ見るのは大変なので、索引を見た。
サ(サルファ剤)、ス、ズ(スルホン酸アミド)、プ(プロントジル)、ハ(敗血症、肺炎)などに注目して調べた。
1935年
2月にドーマクが発表したはずだが何もなし。
海外医事時報は1ページもので、衛生事情とか医療制度、交通事故などの記事ばかりであった。
1936年
なにもなし。
p1729 ブドウ球菌性敗血症患者に健常家族の血を15cc入れる方法(Lancet,227, 145(1936)の文献紹介があったが、サルファ剤に触れていなかった。外国でも1936年は注目されていなかったのか。
1937年
ようやく出た。
p1689 外科的炎症性化膿性疾患25例におけるプロントジルの効果について
福岡市宮城外科病院 高橋善雄 昭和12年3月11日寄稿
p2373 東大産婦人科 近藤誠
白木正博 産婦人科
この年は、テラポール(第一製薬)が出ているのに、記事がほとんどない。
1938年
p1318 ゲリソンによる治療例 東京市立深川病院 医博 岩永芳男
これだけ。
1939年
一気に出る。
p1260 吾教室におけるSulphanilamide治験 東大産婦人科 近藤誠
など9編、(特に後半年に7編)
1940年
計7編
東京医事新誌でも初期の記事はほとんどない。
テラポールなど1937年夏に発売されているのだから、もう少し出ていても良いと思うのだが。
20170724 サルファ剤の日本登場5・英米との比較
20170722 サルファ剤の日本登場4・製薬メーカーの動き
20170721 サルファ剤の日本登場3・医師はいつ使い始めたか
20170720 サルファ剤の日本登場2・東京医事新誌
20170715 サルファ剤の日本登場・薬学雑誌
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