2017年7月22日土曜日

サルファ剤、日本登場4・製薬会社

今まで見てきて、国産のサルファ剤としては、山之内製薬のゲリゾン、第一製薬のテラポールが早かったようだ。


山之内製薬50年史から

大阪本店のプロパー内藤豊春が、名古屋大学その他の病院から、いち早くこの情報をキャッチして東京に送った。渡辺順平、寺井靖らはただちに研究、試製を行い、一か月余りでこの合成に成功した。
 これに関し、安田徳太郎医学博士が「科学知識」第19巻第6号(昭和14年)に寄せた『化学療法の啓蒙』でこの経過を次のように説明している。

「(略)  日本では山之内がこのフランスの発表を土台に、いち早く製薬に取り掛かって”ゲリゾン”を発売した。(略)
日本におけるズルホンアミド剤の生産工程はどうであるか、化学療法に興味を持った私は、いち早く山之内の工場を見せてもらったが、私の紹介以来、いろんな団体がこの工場の参観に押し寄せている。(略)
日本で一番初めにズルホンアミド剤を作ったのが、製薬界では二流の山之内であり、おまけに作った技師が30歳そこそこの薬学士諸君であるのには感心した」

このエピソードに関連し、将棋の升田幸三九段が、「山内さんの思い出」として記事を寄せている。

「老舗の多い薬業界へ尾張の信長のように山内(健二)さんが敢然と戦いを挑んでいるような印象でした。」

昭和12 7月ゲリゾン発売 Guerisonは、フランス語で治癒という意味。
昭和13 9月アルバジル発売 albasilは、白albumのprontosilである。(ゲリゾンも白なんだけどね)。二基ズルフォン剤と言って、アミノ基にもう一つp-amino-sulphonic acid が付いたもの。


次にテラポール、
第一製薬の社史を見る。

昭和12年、日華事変がおこり、(略)
ちょうどそのころ、昭和12年7月、国産サルファ剤の第一号としてテラポールを登場させた。(略)
直後から多くのサルファ剤が発売され競合したが、国産第一号の製品だけに常に優位に立った。(略)サルファ剤メーカーとして当社の躍進はめざましかったことは言うまでもなく、昭和14年には二基テラポール、15年にはテラポール軟膏、16年にはネオ・テラポール、そしてテラジアジンを次々と登場させ、(略)

TherapolはTherapyからとったものだろう。

宮武一夫会長回顧談もあった。

入社してすぐ、柳島工場の試験室に入りましたが、工場長は森貫一元顧問、技師長が篠田元社長、最初にやらされたのはテラポールでした。当時のアンナーレン(*)という雑誌に「こんなものが載っているがすぐつくりたまえ」と篠田社長にいわれて、すぐ実験に取り掛かり、割と早く見本を作ったと思います。そして「これを売り出すから、コルベンワークでいいから沢山作れ」というわけで、20リットルのコルベンで作ったのを覚えています。そのころは動物実験も人体実験もありませんでした。(社内報70周年特別号より)
(*)ドイツの有機学雑誌(Justus Liebigs Annalen der Chemie)

両社とも国産1号といっている。昭和12年7月、同時といっていいだろう。
これ以前はドイツからの輸入品、これ以降は国産品も使えるようになった。


塩野義の社史は東大薬学部になくて、経済学部図書館にいって「シオノギ100年」を見た。
昭和12年 アクチゾール発売 (昭和15年度塩野義の売り上げ1位)
  13年 白色アクチゾール
  14年 アクチワイス(注射剤)
     ウリノーゲン(二基スルフォン剤)
     アヂプロン(スルファピリジン)

戦時中、赤十字から米軍捕虜に支給されるサルファ剤を日本人看守が欲しがったというが、戦前は十分あったようだ。

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