2017年7月24日月曜日

サルファ剤、日本登場5・他国との比較

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日本で使われた初期の例は、1936年10月の福岡市宮城外科病院、高橋。
彼は翌年3月に東京医事新誌に報告、そのとき先例があると書いている。
その白木は1936年1月発表の論文にサルファ剤のことを書いていないから、日本で使われ始めたのは1936年前半だろうか?

では他の国はどうだったのだろう?

1936年7月、米ジョンズホプキンス大学のロング、ブリスがロンドン国際微生物学会でイギリスのコールブルックの講演を聞いた。サルファ剤の薬効に驚いて欧州旅行をキャンセルし、サルファ剤を準備しておくよう電報を打って急遽帰国した。
しかしアメリカでは入手が困難だった。
しかし、デュポンの研究室がスルファニルアミドを10グラム用意してくれた。めざましい薬効が権威あるJHUから発表されたことで、アメリカでも少しづつ評判が広まっていく。

『サルファ剤・忘れられた奇跡』から引用する。

アメリカでサルファ剤が採用されたのは、ヨーロッパより1、2年遅い。その大きな理由の一つは、アメリカ国内の医学雑誌に論文が出なかったことだ。FDRジュニアの事件以前、1935年、1936年を通して、プロントジルがヨーロッパで大きな成功を収め始めたころ、『アメリカ医師会雑誌(JAMA)』はプロントジル、あるいはサルファについて一言も述べていない。この雑誌のベルリン特派員の記事もない。スルファニルアミドという単語が『ニューイングランド医学雑誌』に初めて載ったのは1937年11月であった。当時の医学界の保守性をよく表している。医師たちは、あまりに多くの奇跡の薬について、あまりに多くの話を聞いてきた。夢の治療薬という触れ込みは、行商人の口上や専売薬の宣伝と同じだった。ヨーロッパからのニュースは、興味深いが信じられなかった。あまりにも良すぎて真実とは思えない。そして医学誌の編集者たちは無視することを選んだ。

NEJMの1937年11月というのは、東京医事新誌より遅い。
1936年に報告がないのというのも日本と同じである。
そして日米ともに、論文が出なくても1937年前半にはサルファ剤が作られた。
当時は動物実験も臨床試験も必要なかったから、薬を入手して治験、解析する論文よりも、合成即発売のほうが早いのは当然だった。


20170724 サルファ剤の日本登場5・英米との比較
20170722 サルファ剤の日本登場4・製薬メーカーの動き
20170721 サルファ剤の日本登場3・医師はいつ使い始めたか
20170720 サルファ剤の日本登場2・東京医事新誌
20170715 サルファ剤の日本登場・薬学雑誌

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