この日も日本医大(薬剤部)、東大経由という遠回りになったが、歩いて上野駅まできた。
2018-12-05
公園口改札の内側
上野駅。
6年前、32年ぶりに谷根千に戻り、近くに住んだら、皮肉にも上野駅に降りることはなくなった。
中央口
しかし、ずいぶんお世話になりました。
学生時代、長野から信越線で着くのは上野駅。
帰省するとき、寮から渋谷に出ると、上野は山手線で対角線上にあり一番遠い駅だったが、ここが故郷と東京を結ぶ場所だった。
谷中に住んでからは、しばしば公園口からアパートまで歩いた。
薬学ボート部にいたときは、秋になると戸田の艇庫に泊まり朝練、川口―上野間の定期をもっていた。
M2のときは取手に帰る女性をしばしば上野駅まで送って、そのあと実験に戻るか、そのまま歩いて帰ったりした。
32年間の埼玉時代、
大宮寮2年、東大宮6年、伊奈町7年、指扇17年、
都内に出るときは宇都宮線か高崎線で必ず上野に出て乗り換えた。
出張で東京駅、千葉、神奈川、羽田へ行くのもまずは上野駅。
そうだ、妻の実家の取手に行くときも上野乗り換えだった。
81年からずっと、生協で本を買うとき、
薬学、遠藤研、長尾研などに行くとき、
いろんなとき、公園口か不忍口から歩いた。
それが6年前引っ越してからめっきり減った。
千駄木だと山手線、地下鉄に乗るから上野に降りることはない。
大学含め、かつて上野から歩いたところも今は歩きか自転車。
先日、小川潔先生(学芸大名誉教授)主催の上野しのばず学習会に初めて参加した(12/1 谷中の家)。
彼は彰義隊隊士のご子孫として上野公園で生まれ育ち、最も上野を知る人。
テーマは「上野駅の歴史」。
一番の収穫は小川先生にお会いしたことだが、自分にとっての上野駅の記憶も確認した。
そんなこともあり、ひさしぶりに駅構内を回ってみた。
不忍口から入るといきなり低い天井。
山の手、京浜東北はすぐ上がれるのだが、埼玉に行くには狭い通路を歩く。
かつての日々、たいてい急いだ。
5番線以降の下に出る。
時刻表を見て、大宮駅先着の列車が13番線以降だと、さらに急いだ。
この辺りは変わっていない。
公園口のレベルに上がると
入谷口
正面玄関のデッキに出られる改札だが、ほとんど使ったことはない。
昔はどんな形だったか記憶なし。
エキュート。あれアトレ?
いや、改札内だからエキュート。
しかし、アトレとルミネの違いは知らない。
そういえば、ルミネになった新宿マイシティの景品手鏡を、今もたまに引き出しから出して顔をみる。卒研生で来られたWさんに1978年もらったもの。
ここは昔何だったか?
書棚の1986年の時刻表を見ると大連絡橋広場とあるが、景色が浮かんでこない。
85年新幹線開通前の時刻表もあるはずだが、見つからない。
公園口から入ってトイレの前を通ると13~番線への連絡橋になる。
ここはすべてのホームに降りられる。
帰省するときは、急行は赤羽から乗るときもあったが、ほとんど上野から乗った。
たいてい自由席で、ホームに並んだ。
あるとき座るのは難しいかな、という位置にいたとき、前のほうにいたおばさんが手招きする。
「この子が上田まで行くんだけど連れて行ってもらえないかね」と少女を預けられた。座れただけでなくお菓子までもらった。安全そうな男に見えたようだ。
特急は二人席だったが、急行は4人ボックスだった。
いつもかわいい子と一緒になればいいな、と期待したがそんなにうまくはいかない。
いつもかわいい子と一緒になればいいな、と期待したがそんなにうまくはいかない。
若い男はいつも同じことを考えていたようで、剣道班の1年先輩、マンガ家の井浦秀夫さんも自伝的作品「夜明けの探検隊」(あれ、「あっぱれ桜田」だったか?)で描いている。主人公は上野から長野に帰るとき、かわいい子をみつけ、隣に座りたいけど、周りがガラガラで、座るかどうか迷っているのだ。
各駅停車で帰省したとき、熊谷女子高の生徒と同じ席になり数学を教えたことがある。当時の高崎線は高架でなくても富士山がよく見えた。
写真中央奥、11,12番線の向こう、突き当りは食堂だったが、
その場所は本屋になっていた。
16番線は常磐線などの特急列車がでた。
当時は階段を下りるところに特急券の改札口があった。
なつかしの13番線に降りてみる。
地下ホームは中央改札から来る最後尾と、ここから降りる先頭部分しかホームに行けない。
上野東京ラインになり、多くの列車が地上階の5番6番を使うようになった。
行き止まりだった地下ホームは空き、新しい使い方を考えているはず。
ひょっとしたらもう変わっているかもしれない、と行ってみると、
13番線
全く変わっていない。
古びて埃がたまっているかと思ったら、むしろ昔よりきれい。
行き止まりというのはいい。
京都駅嵯峨野線、長崎駅、
昔よりきれいになっている理由が分かった。
四季島利用者の専用待合室
あの長い車両にわずか2~3室しか作らず、全部で17室、32人。
1両当たり3人という贅沢。
スタッフの方が多いのではないか?
12月は2泊3日のコース、一人100万円くらい。
最低3日以上空けなくてはならないから、出発が8,11,15,22,25,29日。
大宮から乗って地下ホームに到着すると、先頭方面まで歩き、中央改札の前で右に曲がって山手線などに向かった。
そうだ、ダンスを始めてからは、この中央改札(写真左方向)から出て日比谷線、銀座線に乗り換えた。
近年の新幹線と上野東京ラインの開通で、明治以来の上野駅の重さは軽くなる一方、
上野公園を擁するため外国人が非常に多い。
昭和は遠くなりにけり。
千駄木菜園 総目次
0 件のコメント:
コメントを投稿