1/20、代官山スポーツプラザでダンスをした後、旧山手通りに出た。
良い機会なので初めて西郷山公園に行ってみた。
遊具などはなく、大人が芝生に座って目黒川の向こうに沈む夕日を眺めていた。
2019-01-20 16:22
代官山はどこが山か分からなかったが、西郷山ははっきり分かる。
西郷従道が兄のために買い求めたが、西南戦争の後、従道の別邸となった。
しかし説明がほとんどない。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jila1994/61/5/61_5_389/_pdf
もとは中川清秀を祖とする豊後竹田7万石、中川家の抱え屋敷。
25,000坪、目黒川沿いの池を利用した庭園が見事だったらしい。
明治7年、従道が前年下野した兄の復帰を願い、ここの2万坪を購入。
山県、井上、大隈らも興味を示したが、みな売値1200円を値切る中、従道は
「これだけの邸宅を手放すのは何か事情があり忍びないことでしょう。わずかではあるがこの金で屋敷と別れの盃を交わしてください」と100円添えたという。
大戦中に西郷家の手を離れ久しく、西郷山という名前しか残っていなかった1979年、目黒区が高台部分4000坪を取得、1981年に開園したのが、この西郷山公園である。
しかし、鹿児島県の市町村から送られた樹木や溶岩の石があるほかは、西郷家につながるものは何もない。
北西出口近くで、この辺りに住んでいそうな、ハーフっぽいモデル二人がジョギングしている撮影現場に出くわした。スポーツウェアの広告だろうか、総勢10人くらい。カメラはノートパソコンにつながっていて、モニターを見ながら色々指示を出していた。
公園を出ると1本の道が木の枝のように3本に分かれていたので、一番右の道を通って渋谷に戻った。
帰宅してから、菅刈公園という、同じように西郷邸のあとにできた公園を知る。
地図を見たら一番左を通ればすぐだったのだが、現地では知らなかった。
そこで翌週の1月27日、朝倉邸お茶会(→別ブログ)のあと、再訪した。
ちょうど昼時で西郷山公園では芝生の上で弁当を食べている人がいた。
公園内の坂を下りると菅刈保育園と住区センターがある。
目黒区が4000坪取得したのに、西郷山公園が1万平米というのは、こういうことだ。
高級住宅を見ながら崖下の道を少し行くと目的の菅刈公園。
入ってすぐ右に和風の建物。
中が資料館になっている。
西郷山公園にほとんど何も記念碑がない理由がわかった。
この池は新たに掘ったもの
彼はさらに周辺の農地、山林を買い、最大14万坪まで広がった。
明治34年から昭和16年までは西郷家の本邸となった。
14万坪というのは、東大本郷キャンパスの病院を含めた加賀本家、富山藩、大聖寺藩を合わせた12万坪、水戸上屋敷(東京ドーム、遊園地、中央大学、後楽園など)の10万坪、湯島の榊原下屋敷(三菱岩崎庭園、湯島合同庁舎、旧竜岡町の住宅地、一帯)の1万8000坪と比べればよい。
一番下に西郷山公園、菅刈公園がある。
明治42年は菅刈小学校などに敷地を譲渡した後だから、すでに小さくなっている。
とはいえ、14万坪はもっとずっと大きい。
調べると旧山手通りの向こう、都立第一商業高校あたりまで広がっていたらしい。
山林を除いた邸宅部分
江戸、明治以来の大邸宅は 家屋を高燥な斜面の上に、下の方に回遊式の池泉が造られたが、西郷邸は山下の池のそばにあり、背後は山林である。
東京市の拡大に伴い、敷地も縮小されたが、昭和15年でも庭と邸で6500坪、背後の山を入れれば5万坪あった。しかし5000坪を残し山林部分を売却(西郷山文化村分譲地)、昭和18年には低地の邸宅部分も国鉄に売却、従道の子、従徳は渋谷に移った。
西郷家が去った大戦中、池泉は埋め立てられ耕作地となり、斜面には軍馬用の防空壕がほられた。そして和館は空襲で焼失。戦後、残った洋館が明治村に移設された。
昭和22年
その後、持ち主の国鉄がアパートを建てた。
こうして明治22年天皇も行幸、史跡にも指定されていた名園邸宅は跡かたもなく消滅した。
当時からあった銀杏の木
ボート遊びをした大きな池は、埋められたまま、芝生の公園になっている。
目黒区は1981年に西郷山公園を開設した後、
1997年、国鉄アパートの土地、6000坪あまり(つまり西郷邸の庭と建物があったところ)を取得した。
1997年、国鉄アパートの土地、6000坪あまり(つまり西郷邸の庭と建物があったところ)を取得した。
さらに発掘調査して庭園をある程度復活させ、菅刈公園として2001年に開園。
区として高額な出費であったに違いない。
帰りは公園内の坂道をのぼって旧山手通りに出た。
途中、段々畑のように石垣で造成された平地がある。
おそらく国鉄の職員宿舎の跡であろう。
不自然な石垣は、ここが国鉄アパートの入り口だった跡だろうか。
1995
確かに菅刈公園はJR青葉台宿舎になっている。
朝倉邸は中央官庁渋谷会議所
前田邸の駒場公園といい、西郷邸跡といい、目黒区はきちんと購入し、市民に無料で開放している。建物も修復維持し、お茶会など区民活動に供している。
民度の高い区は、税金を有効に使い、ますます住民の生活が豊かになり、また区としてのブランドも高まっていく。
一方、文京区なら住民がいくら要望しても、ふつうに民間から民間に渡りマンションが建ってしまうだろう。世間のイメージと異なり、文化に対する文京区長、区役所の意識、あるいは民度は平均より低いのではないか?
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