2019年1月28日月曜日

代官山と青葉台の地形

代官山とはどこをさすか?
住所としての代官山町は、東の東横線と西の八幡通り(渋谷駅東口の金王八幡から発する)に挟まれた南北に狭い地域。西に猿楽町が接している。

しかし、一般に代官山というと、八幡通りの西側、猿楽町も含め、旧山の手通りに沿って西に、さらには恵比寿駅に向かって東にも伸びる。
軽井沢のように良い名前は広がっていく。

ウィキペディアをみたら、渋谷駅・中目黒駅・恵比寿駅・池尻大橋駅を結んだ線のおおむね内側を広義の代官山というらしい。

地形的にはどうだろう?
代官山という山があるのだろうか。
頂上がなくてもよい。
道灌山や上野の山のように、下から見上げるような高台になっていればよい。

西郷山はわかりやすい。
目黒川沿いの低地から東を見上げる高地が西郷家の土地だったから名付けられた。
しかし、代官山という高地はどこか?

・・・
1月20日、日暮里のダンス練習場が休みなので
代官山のパーティ会場を借りて練習することにした。
地形を感じるちょうどいい機会なので、渋谷駅から桜丘町の坂を上がっていく。

このあたり、地形が複雑だから道も分かりにくい。

途中、猿楽町で古代住居跡が公園になっている。
数年前、やはり代官山へダンスに行った時も立ち寄った。

昭和53年に復元したが焼失したという。放火だろうか。
なるほど、縄文、弥生の住居はいかにも燃えやすい形をしている。

ジオラマがある。
目黒川、渋谷川にはさまれた台地。
二つの川には海が入り込んでいただろうし、山には獣もいただろう。
斜面には狐狸が巣を作る。
崖上からは眺めも良い。
海が後退した弥生時代は、谷に水が湧いただろう。
大した土木工事をせずとも良い水田になっただろう。
いつの時代も坂のある地形は住みやすい。

猿楽小学校との境には石塔が並んでいた。

大山街道が北を走り、ここらの尾根や谷にも大小の辻があっただろう。
区画整理などで広げるとき、そこらにあった庚申塔などを集めたものらしい。
ビルが林立する渋谷区では道路わきに再び置く余裕がないのだろう。


歩くうちにオシャレな人々が増え、代官山あたりについた。
しかし田舎者にはどこが一番繁華街か分からない。
ダンス会場は渋谷区代官山スポーツプラザ。

13:30~15:30まで練習して、終わって周辺を歩く。
思ったより高いビルがない。区の規制だろうか。

旧山手通りに出た。
西側を歩いていくと立派な日本家屋が見えた。
テラスマンションの間、駐車場から撮影。

正面に回ると朝倉家住宅という。
台地が目黒川の谷に落ち込む南西斜面に、東京府会議長や渋谷区会議長を歴任した朝倉虎治郎によって、1919(大正8)に建てられた。

惜しくも16時に閉館した所だった。
旧山手通り西側に並ぶヒルサイドテラスも朝倉家の土地だったらしい。
大通り沿いなのにわずか2階建ての高級マンション。
高層マンションがすぐ立つ文京区とえらい違いである。

このあたり外国人も多いが、西日暮里、日暮里あたりの外国人とは全く違う。

旧山手通りの向こうにテレビによく出る蔦谷書店が見えた。
芸能人が歩いていないかちょっと探してしまった。

エジプト大使館、デンマーク大使館、少し行くとマレーシア大使館もある。
なお、このあたりから旧山手通りの西側は目黒区青葉台になる。
(それまでは両側とも渋谷区猿楽町、もちろん一帯は「代官山」である)

西郷橋を渡ると西郷山公園。
この公園は別のブログに書く。
西郷山公園を出ると1本の道が木の枝のように3本に分かれていたので、一番右の道を通って渋谷駅に戻った。
国土地理院、デジタル標高地形図から

上の地形図をみれば、渋谷の西側台地は、渋谷川のほうから3本の切れ込み谷があり、4つに分かれる。南から
1.恵比寿駅から鎗ヶ崎交差点に至る駒沢通りの南、
2.東横線が通る低地の東、
3.西郷橋と桜丘郵便局を結ぶ線の南、鶯谷、猿楽町などのある高地
4.西郷橋と桜丘郵便局を結ぶ線の北、南平台町や青葉台のあるところ

住居表示の代官山町は3に含まれ、蔦屋や朝倉家住宅も3である。

・・・・・・

1週間後の1月27日、ふたたび代官山に来る。
朝倉家住宅でのお茶会である(→別ブログ

この住宅は代官山台地が目黒川に落ち込む崖線にある。
お茶会が終わり正門前からでて朝倉邸に沿った坂を下りる。
目切坂という。
東京富士見坂7つの一つ。
上の写真の木のところに説明版。
そうか、広重の絵はここだったのか。
しかしあの絵の富士は目切坂の方向ではなく、90度左の方角。
見ればキングホームズ代官山という高級マンションがある。1975年築、ゆったり3000坪の樹木に囲まれ、芸能人も住むという。そこに富士塚があったようだが、明治に岩倉具視の別荘となり、一般人は入れなくなった。

目切坂下から振り返る

坂を下りて、目黒川の低地を西北に歩く。
右側の山側におしゃれな家が続く。
上村坂下に出る。

坂上に上村彦之丞の邸があったからとか。
だから、かみむら坂である。
日露戦争の時の第二艦隊司令長官である。
巡洋艦中心の艦隊で、日本海海戦でも活躍した。
薩摩出身だから西郷邸の近くに屋敷を構えたのかも。

 この坂の両側は大きな家ばかり。
ひときわ大きな家があり、表札を見たら加藤とある。
美空ひばり記念館だった。
あとで調べたら、家を生前のままに保ち公開、入館料1500円。目黒区の条例で、住宅地であるから展示スペースは50平米に限られているという。

朝倉邸の裏も住居専用地域だったため、ヒルサイドテラスは旧山手通りに面していながら二階建てしかできなかったように、目黒区、渋谷区は民度が高いから、規制があって町が美しい。

坂を上り切り旧山手通りに出て、西郷山公園から再び坂下に降りる。

場違いのように錆びたトタンの古家がある。
近づいたら高級外車が2台入ったガレージだった。

このあたりは目黒区青葉台だが、坂上も坂下も大きな家ばかり。
菅刈公園に立ち寄り、再び坂をあがって通りに出た。
旧山手通りを南に戻り、代官山アドレスから東の谷に降り、東横線の越えて、また坂を上がって山手線の谷に降り、渋谷まで歩いた。
東横線が代官山を出て渋谷に向かうところ。

かつての東横線の跡を渋谷に向かう。

この日は低地の恵比寿駅から出発、坂を8回通った(上り下り4回)。
前の週の桜丘町、鶯谷町、猿楽町の上り下りと合わせ、このあたりの地形は、しっかり体に覚えさせた。覚えても何の役にも立たないけども。


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