2019年12月2日月曜日

大嘗宮から乾通りは行けない

12月1日、日曜日、大嘗宮の見学に行ってきた。

一般公開は11/21から12/8であるが、ちょうど前日11/30から桜と紅葉の名所である乾通りも一般公開されるため、普通に考えればこの日曜が一番混雑する。
翌月曜に休暇を取っていこうかと思ったが、天気が悪そう。
この日は好天。
朝、天気予報で再びチェックすれば、やはり月曜は雨。
思い切って出かけることにした。
2019-12-01 9:00 東京駅中央改札から出る。
千駄木からは地下鉄で大手町か二重橋前が一番簡単で早い。でも東京駅が好きなので家を8時半に出た。
9:02 たぶん皆同じ所へ行くのだろう。

9:04 日比谷通り 国道1号、20号
信号待ち。右から地下鉄大手町駅から出た人々が合流。

わたって内堀通りを南下。
9:10 
多数のバスは警備の警察官を運んできたものだろうか?

9:14
東京駅丸の内南口から出た人と合流。二重橋の方に向かう。

北に曲がると手荷物検査。
まだ早い時間だからか、それほど待たなかった。
9:19
ぐるっと、内堀通りの方まで列が誘導されている。
みれば15分前に通過した所ではないか。

ぐるっとまわり坂下門に向かう。
混雑してくるとここがつづら折りのように何重にもなるのだろうか。

9:26 坂下門の右奥に宮内庁の屋根

9:30 
坂下門から入るとすぐ左に宮殿が見える。
1993年正月、2015年12月の一般参賀ではこの坂を下りてきた。

宮内庁前で案内に立つ女性たち。
ロープにはEnglish,  español、中文、などと札がぶら下がっていた。
外務省などからの応援職員なのだろうか?
みな美人だった。

9:32
ここで左、乾通り、右、大嘗宮、と二股に分かれる。
混雑する前に大嘗宮を見てしまおう、と右に。

乾通り(西の丸)と本丸の間の蓮池濠。
中央小さく富士見多聞、その向こうに西桔橋が見える。
跳ね橋をなぜ桔橋と書くのだろうか?

観光地化されていない城はとくに美しい。

富士見櫓 1659に再建、江戸城では最も古いものに属する。
かつては19もの櫓があったが、いまは桜田巽櫓、富士見櫓、伏見櫓の3つだけ。

9:38 百人番所 
左の奥に見えているのが大手三の門跡の石垣。

中之門 跡
ここを通って二の丸(今いるところ)から本丸に上がっていく。
堀はなかった。

中之門の内側。大番所

1997年11月、2014年6月など何回か東御苑から本丸に上がっているが、ここではなく汐見坂から上がったような気がする。
中雀門
この下の中之門と一体となり巨大な虎口を形成、本丸への最終関門。
大手門、大手三の門、中の門、中雀門は、大名が本丸に登城するルートにある。
だからこれらの門の石垣は、江戸城の中でも最大級の石を使い、目地がほとんど無い、切込み接ぎ、整層・布積みで美しい。

9:45
本丸に上がると、昔、座って弁当を食べた芝生の上が人でいっぱい。
乾通り、西桔橋からくる人々が合流、大嘗宮が見えるところから歩みが止まる。

この空間も人が増えたらつづら折りの行列になるのだろうか。

柵の内側に入れたが、まだつづら折り。
奥に千木と鰹木のみえる二棟が主基殿(左、西日本)と悠紀殿(右、東日本)

9:53 ようやく最前列の流れに。


今いるところは参列者のいた幄舎のあったところ。撤去済み。
鳥居は神門という。東西南北にある。
その前、両脇の屋根だけの建物は威儀幄、衛門幄で、武官の装束をしたものが着座した。

9:54
「立ち止まらないでください」と叫び続けている。

壁に木の枝が刺さっているのは膳屋(かしわや)。
ここで神饌を調理した。
ささっている枯れ枝はスダジイのようだ。
ずいぶん白っぽいから相当以前から乾燥したように見える。
「椎の和恵差(わえさし)」というらしい。
西の神門、主基殿と西の膳屋がみえる。

関係ないことだが、大嘗宮を建てたこの場所(本丸の北の方)は大奥があった場所である。
9:58
ふと、いつもは(一般参賀の時ですら)大勢いる外国人がほとんどいないことに気が付いた。

資材は再利用されるらしいが、記念のハンコを押して販売したらどうだろう。

10:00 
いつもは上がれる天守台は通行止め。
狭いところに大人数がいくと危ないからか。
造営中、また解体のため来年2月まで本丸は立ち入り制限されるらしい。

ここで乾通りに行こうとして地図を見たら、西桔橋も乾門も一方通行。
これではいけない。
案内所で聞いたら、もう一度出て坂下門で手荷物検査を受けてくれという。
先に乾通りをみれば両方みられた。
えー、それなら、最初から教えてくれればいいのに。
いや、むしろ、我々が富士見櫓下から本丸まで来た道は比較的幅が広いので、そこをロープで区切って対面通行にし、戻れるようにすればいいのである。
混雑するのは西桔橋から来る人と、中雀門から来る人が合流して大嘗宮に向かう道だけなのだから。

とはいっても今更どうしようもない。
10:02 桃華楽堂
香淳皇后の還暦記念で建てられたという。

帰ろうと思い、天守台の裏に回ると清水建設のプレハブ現場事務所が。
一般競争入札、9億5700万円で落札したという。
こんな名誉で宣伝になるなら、いくつもの会社で競争になるだろう。清水組は江戸後期に西の丸焼失後の復元普請に参加したというが、何社もの中で落札とは出来すぎではないか?

10:12 書陵部

梅林坂
いつも北桔橋門から出るので、こちらは初めて。

平川門に行かず、大手門に向かう。
本丸から二の丸に下り、二の丸雑木林と白鳥濠の間を歩いた。
大手三の門と同心番所の間を通って三の丸に入る。

かつて二の丸と三の丸の間には濠があり、大手三の門は濠をわたった二の丸側にあった。今は枡形門の奥の方だけ残っている(下図)
復元江戸情報地図 朝日新聞社1994
朝からあるいた坂下門から大手門まで、埋められた堀もわかる。

この日、三の丸尚蔵館は、平成の大嘗祭のとき全国から奉納された美術品を展示していた。向かいの建物では皇室カレンダーなどお土産を売っていたが買わなかった。
10:34 大手門から出る。
渡櫓門(わたりやぐらもん)は昭和41年の再建。

10:35
大手門は江戸城のかつての正門。
三の丸に入るための枡形門で、内側の渡櫓門と外側の高麗門からなる。

桔梗濠
大手門へわたる橋(堤)をはさんだ大手濠とともに、三の丸を守る。
桔梗濠の名は、ずっと向うの桔梗門から名付けられた。
桔梗門(内桜田門)は、日比谷入江に近く、道灌時代から建物があり、そこから道灌の家紋(桔梗)が門の名になったとされる。

ちなみに城下町を通る各地の国道は、大手門の前を通るのが多いが、東京も1号線、20号線は日本橋から永代通りを西にきて、大手門にぶつかる手前(大手町の交差点)で南に曲がるのである。(ただし箱根駅伝、読売本社は一本北の通り)

10:50 丸の内北口
けっこう疲れた。
しかし家でつまらないテレビを見ながら昼食までの時間をつぶすよりは良いだろう。

山手線のどこかで降りようと思ったが、結局田端で降り、家の近く、不忍通りのカフェ?サオトメに初めて入ってみた。
今どきタバコのにおいのする昭和の店内。
11時半前だったのでモーニングがあった。
ハム・チーズトースト、コーヒー、茹で卵で780円。少し高いな。

注文の皿を待つ間、久しぶりに新聞を読んだ。
昔楽しんだ「万能川柳」(毎日)がまだやっていた。
 ・コーラスと誘われ来たが御詠歌か
 ・丼に移すと不味いカップ麺
など。


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