2019年12月20日金曜日

拡大する順天堂大学、キャンパスの変遷

12月11日、休暇を取って本郷台地の西側の斜面の縁を歩いた。
目的は坂道の写真を撮るため。
はるばる文京区の南端まで来て、ヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ南端の喜望峰を回ったように、東に曲がり、神田川に下る石丸坂、建部坂、富士見坂とみてきた。

この富士見坂の坂下、東の角が順天堂大学になっていてびっくり。
2019-12-11 12:31
体育学部出身の体操選手などの活躍が大々的に宣伝されていた。
この新しいビルは、順天堂大学11号館、センチュリータワーというらしい。
あれ? 
センチュリーって、順天堂は100周年どころか、創立180年くらいではなかったか?

ところで、ここは以前何だったか?
ここには日本初の洋式集合住宅、1925年竣工の文化アパートメントがあった。
戦後進駐軍の宿舎になり、のち旺文社の赤尾一夫が取得、日本学生会館に改称した。
ネットの古写真を見ると何となく見覚えがある。

1986年、老朽化で解体。
1991年、オフィスビルとして竣工。このビルがセンチュリータワーと名付けられたのである。順天堂はセンチュリーに関係なかった。
外からは11層にみえるが、1層が2階になっていて、21階建て91メートルである。

そして2009年、順天堂が住友信託銀行グループより取得して、順天堂大学11号館とした。法人本部がはいり、学長(堂主?)室などもあるらしいが、最近(2015年)できた国際教養学部が入っているらしい。

国土地理院の航空写真で見てみる。
 1961-69
本郷給水所公苑は給水所のまま。
油坂の西側にグランドらしきものが見える。
1974-78 航空写真を何枚か融合している。
給水所公苑は工事中。

 1979-83

1984-87 日本学生会館はまだある。
湯島ガーデンパレスが見える。

1988-90
日本学生会館を解体、その北側の敷地も合わせてセンチュリータワーを建てている。
このころ、順天堂大学生理学教室、大地陸男先生のところに行っていた。(別ブログ)

1992-10-10
センチュリータワー完成

2009-4-27  
17年経っても1992年とほとんど変わらない。
水道局と傘谷坂上のビルができたくらい。
この年に順天堂はセンチュリータワーを取得した。

順天堂は東に東京医科歯科大があるため、キャンパスは西へ西へと広がっていく。

創立180年というから佐倉時代からセンチュリーの国際教養学部まで歴史をみてみよう。

1838(天保9)、佐藤泰然が、江戸両国・薬研堀(医者が多かった)に蘭方医学塾、和田塾を創立。泰然は当初、母親の姓和田を名乗っていた。
長崎に遊学する前は伊奈家にもいたらしい。
1843、 堀田正睦の招きで和田塾が佐倉に移転、医学塾・順天堂を開設。
姓を父の佐藤にする。
1873(明治6)、 東京の下谷練塀町九番地に移転、順天堂医院を開院。
1875(明治8)、下谷練塀町より湯島、本郷の現在地に移転。
1943(昭和18)  順天堂医事研究会を母体に順天堂医学専門学校を開設。

順天堂の設立は古いが、意外にも医専になったのは日医や慈恵よりずっと後だった。
軍医が不足していた時代である。

ちなみに順天堂の歴代堂主(理事長)は、
初代佐藤泰然(在任1838-59)が優秀な子(松本良順、林董)に恵まれながら順天堂は弟子を養子にして継がせたのにはじまり、
 2代 佐藤尚中(しょうちゅう、たかなか)(在任1859-75)
 3代 佐藤進(1875-1909)
 4代 佐藤達次郎(1909-55)
まですべて先代の養子となって堂主をついだ。
 5代 有山登(1955-84)
 6代 東健彦(1984-87)
この二人は、養子とはならなかったが、いずれも先代堂主の娘と結婚して堂主となった。これ以降の
 7代 懸田克躬 (1988~
 8代 石井昌三(1992~
 9代 小川秀興(2004~
は、縁組などは無いようである。(敬称略)

順天堂のビルに挟まれて本郷台地最後の坂、油坂がある。
12:46 油坂から東のB棟を見る
この坂を行き来していたことは別ブログに書いた。

1946、 大学に昇格
1947、千葉県津田沼町習志野の旧陸軍騎砲兵連隊のあとを大蔵省から借用、順天堂医科大学予科校舎と啓心寮用に改造。
1951、新制大学として順天堂大学開学。体育学部開設(習志野キャンパス)。

1988、習志野キャンパスを印旛郡印旛村(現在の印西市)に移転(さくらキャンパス。習志野はマンション用地に)
1993、体育学部をスポーツ健康科学部に改組。
体操や駅伝の活躍はよく知られるとおりである。

さらに組織も拡大する。
2004、順天堂医療短期大学を改組、医療看護学部を開設(浦安キャンパス)。
2010、保健看護学部を開設(三島キャンパス)
2015、国際教養学部を開設(本郷、センチュリータワー)。
2019、保健医療学部を開設。

つまり、6学部になっている。

2013年以降のいつか(千駄木の我が家のリフォーム後)
写真では2号館(病院)、5号館(大学研究棟)がB棟(すべて病院)に。
一方、7号館(有山記念講堂),8,9号館はまだある。
2019-5-8 ほぼ現在
7,8号館がA棟に。9号館は工事中。

2019-12-11 油坂からA棟を見る
この坂が大学と医院の境になっている。
2019-12-11 A棟の中

B棟 2019-12-11 12:51
1990年に御茶ノ水駅からここを歩いて生理学教室に行ったものだが、建物が建て替えられ跡形もない。
1号館と2号館(現B棟)を結ぶ屋根付き歩道橋

2019-12-11 12:53
右が1号館。最初の校舎のあったところ。

1号館から11号館まで数字で名前を付けたが、175周年記念のキャンパス大改造は個々の建て替えではなく、複数の棟を壊して建てるため、番号では不合理となり、いまはアルファベットになっている。
3号館はCかDになったのだろうか?
10号館はアトピーセンターなど臨床研究施設が入っている。

順天堂大学公式サイトから
色付きが順天堂の施設である。

元町ビル:
桜蔭と同様、大学改築中は廃校となった元町小学校に仮入居していた。
現在も順天堂教職員のための「もとまち保育所」(区民も入れる?)、順天堂病後児ルーム「みつばち」などが入っている。
おそらくここも大学としては欲しいだろう。

千駄木の日本医大が一般住宅を飛び石のように取得しているのに対し、ここはオフィスビル買収と高層化である。
かつてキャンパスを増やすには郊外に行くしかなかったが、いまは都心にこだわり力技で広げる時代になった。


別ブログ
20191218 上野・本郷、全126坂道の一覧、ランキング
20191215 忠弥坂、桜蔭、お茶の水の由来、元町公園、建部坂
20191216 本郷給水所公苑、水道歴史館と江戸の火事
20170528 谷中墓地2 佐藤泰然の墓さがし、代々の善甫、良甫
20191217 油坂と大地陸男先生


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