2020年2月23日日曜日

スモンの謎4 外国ではなぜ発生しないか

スモン関連の資料の年月はほとんど昭和で書いてある。
このブログシリーズでは、1,2はいちいち西暦に直していたが、面倒なので3からは昭和のままである。

なぜ昭和で書いたものばかりなのか?
昭和30年代にはじまり、40年代にキノホルムと確定、昭和のうちに突然(大きな動きは)終わってしまった。
しかし、西暦で書かれたものがないのは、海外でスモンが発生しなかったこともその理由だろう。

キノホルムというのは世界中で使われていたが、スモンは起きなかった。
最大の謎というか、キノホルム説を推し進める学者にとって最大の不安材料だったに違いない。

(外国でも少数起きているという反論はあったが、日本の1万人以上と比べたらゼロに等しい。外国では投与量が少ないから、という反論については、日本でも投与量の少ない患者までひっくるめて85%という数字を出したのだから、問題にならない)

この薬は1899年にチバ社(のちチバ・ガイギー、現ノバルティス)が創製した。当時は外用剤であったが、1929年梶川静夫医師が疫痢、急性大腸カタルに有効なことを示した。1933年デービッドらがアメーバ赤痢に著効と報告、内用剤として世界中で使われた。

チバガイギーが1930年ころから販売したキノホルムは4000トンにおよび、患者一人当たり4グラムないし8グラムとすれば、延べ5億人、10億人となる。ドイツのバイエルなど他社のキノホルムも合わせれば、10億、20億人(延べ)が使ったことになり、安全性に問題はないとする。(文献2、p99)

キノホルムがスモンを引き起こすという仮説から厚生省が使用禁止の措置をとり(昭和45年9月)、昭和47年3月スモン協議会が公式にキノホルムこそ原因であるとしてからも、世界は日本の学者のいうことを無視して使っていた。
WHOはチバガイギーから大量に買って熱帯の国々に配布した。

サリドマイドを先進国で唯一承認しなかった厳格なFDAをもつアメリカは、スモン以前の1960年(昭和35年)に適応症をアメーバ赤痢に限るとしたから患者がおらず、チバ社が自主的に販売を辞めたに過ぎない。そのアメリカは、日本のスモンを知りながら、キノホルムは公定書(薬局方)に載せていた。
医薬ジャーナル 16, p1060 (1980)
合衆国公定書USP、国民処方集NFいずれにも収載されている。

スモンを心配してキノホルムを中止したのは全世界で日本、韓国(当時はなんでも追随した)とスウェーデンだけである。

田辺製薬の社内報「まるご」に面白いシリーズがあった。
「いまもキノホルム剤は世界100か国以上で有用な薬として使われている」
と1979年から連載されたもの。スモンの販売禁止から9年後、患者側との和解を申し入れて(昭和51年6月)3年後である。
社員が出張した時など、地元の薬局で買って様子をレポートするのである。
社内報はMRが卸、医院などに配布することもあり、内部文書ではない。
田辺は和解したものの、キノホルム説は徹底的に認めないというアピールであった。

まるご1980年9/10月号
松原一郎社長が台湾、インドネシアなどにいったとき、下痢をして自ら薬局で買って飲んでいる回もあった。

世界が認めないサイエンスなどあるだろうか?
WHO、欧米はじめ世界は、キノホルム仮説を、好奇の目で見ていたか、あざ笑っていたかどちらかである。

日本では神妙に謝罪したチバガイギーは、内心は全く反省もなく、自社工場で相変わらず大量に合成し世界に出荷していたし、米国スクイブは1968年にフランスでキノホルム製造を開始、1980年には台湾、オーストラリアへの輸出も視野に入れ、インドネシアにキノホルム製造工場を新設した(まるご1980年7/8月号)。ドイツ・バイエルなども製造販売していた。世界中でぴたりと製造販売が禁止されたサリドマイドとは全く異なる。
日本ではサリドマイドと並ぶ代表的な薬害として教科書に載るが、世界はそうでない。

wikipedeliaの英語版でClioquinol(キノホルム)をみると、こうある。
(2020年2月23日現在)
(Subacute myelo-optic neuropathyの部分)
Clioquinol's use as an antiprotozoal drug has been restricted or discontinued in some countries due to an event in Japan where over 10,000 people developed subacute myelo-optic neuropathy (SMON) between 1957 and 1970. The drug was used widely in many countries before and after the SMON event without similar reports.[7] As yet, no explanation exists as to why it produced this reaction, and some researchers have questioned whether clioquinol was the causative agent in the disease, noting that the drug had been used for 20 years prior to the epidemic without incident, and that the SMON cases began to reduce in number prior to the discontinuation of the drug.[8] Theories suggested have included improper dosing, the permitted use of the drug for extended periods of time,[9] and dosing which did not consider the smaller average stature of Japanese; however a dose dependent relationship between SMON development and clioquinol use was never found, suggesting the interaction of another compound. Researchers have also suggested the SMON epidemic could have been due to a viral infection with an Inoue-Melnick virus.[10]



参考文献
1.謎のスモン病  高橋秀臣 行政通信社 (1976) 
2.田辺製薬の「抵抗」 宮田親平 文芸春秋社 (1981)
3.スモン調査研究協議会研究報告書(グリーンブック) No1~No12 (1969-1972)
4.厚生省特定疾患スモン調査研究班 スモン研究の回顧 1993
5.スモン・薬害の原点 小長谷正明 医療 63, 227 (2009) 
6.スモン病因論争について(1)~(4) 増原啓司 中京法学15,  1980

3-5は権威者側の公式発表、1,6はそれに疑問を呈したもの、2は一連の経緯を説明するもの。
3-6はネットで読める。


別ブログ
20200215 スモンの謎2 キノホルム服用率85%
20200214 スモンの謎1キノホルム説の登場


千駄木菜園 総目次

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