2020年2月28日金曜日

スモンの謎5 用量と発症頻度

前回、日本で大量発生したスモンが外国でほとんど発生しないことを述べた。
世界中で使われるキノホルムを犯人にしたからには理由が必要だが、それを日本の特殊事情、長期大量投与とした。
昭和40年ころは公害とともにサリドマイドの薬害、さらには薬漬けが問題になっていたことから、いかにももっともらしく、広く受け入れられた。

しかし、本当だろうか?

少量では発生せず、長期にわたる大量投与でのみ発生するなら、大量に飲んだ人ほどスモンになる確率が高いことを証明せねばならない。

しかしそのような調査はしなかった。
キノホルムは日本薬局方に収載され特許もなく誰でも製造販売できた。家庭での置き薬や胃腸薬の成分としても入っていたから、何人、どれだけ飲んでいたか調べようもない。

薬事日報 昭和45年9月15日
厚生省通達のキノホルム含有医薬品。
国内だけで93社、173品目にも及んだ
(実川ら、グラフィックドキュメントスモン、1990)
武田、田辺だけでなくエーザイ、第一、中外、大日本、大正などほとんどの会社が売っている。

服用量と発生率は調べられないので、
発祥したスモン患者だけを対象に、投与量と症状の重さとの関係を調べた。

しかしこれは意味がない。なぜなら
1.まったく飲まなかった人、ごく少量の人もスモンになっている。
2.症状が重いほど腹部症状が長く続けば、服用量が増えるかもしれないから、相関があっても因果関係にならない。

こうした致命的な欠点に目をつぶって、とにかく当時の研究を紹介する。

グリーンブック No2、p228(昭和46年)によれば、
患者890例の調査報告(楠井、重松)の要約で、

「今回の調査は、スモン患者のみについてキノホルムの服用状況を遡及的に観察したものであり、この成績だけからでは、それがスモン患者に特有な現象であるかは断言できない。しかし、もしキノホルムがスモンの発症あるいはその進展と密接な因果関係があるならば、いわゆるdose-response relationship(量と反応の関係)が成立するはずであり、またすべてのスモン患者が共通してキノホルム剤を服用していることも必要条件となる」

と、のちのスモン協議会の結論や裁判、教科書と違い、まともなことを述べている。
そして以下のように続ける。

「キノホルム剤の明らかな672例について観察したが、いずれの場合も明瞭なdose-relation ship は認められなかった」(p229)
と結論したのである。

祖父江は総量と症状をみて相関なしとした。
軽症 48例  平均使用量 57グラム
中等症 105例 平均使用量 68グラム
重症 53例  平均使用量 52グラム
(スモン協議会総会 1970年11月13日。なぜか報告書に記載がなく、この数字は文献11、p88による)

ただし祖父江らは、軽症者と重症者の服用量の分布を見て、1日の使用量と重症度の関係が見られるとした。
(グリーンブック、No2 p132)
                       軽症者 重症者
0.9 g 以下/日  29% 17%
1.2~1.8 g /日  25% 25%
2.7 g /日       13% 36%
それ以上    33% 22%

しかし、これで差があるといえるだろうか?
だいいち、諸外国でほとんどないことを思えば、0.9~1.8グラム/日(諸外国の量)では軽症も重症もゼロ%(そもそも患者でありえない)でないと世界標準と合わない。

とにかく、権威が集まったスモン協議会の結論として、
「キノホルム剤の明らかな672例について観察したが、いずれの場合も明瞭なdose-relation ship は認められなかった」(p229)

その後、あらたな調査研究報告が出たわけでもないのに、社会のムードというものがキノホルム犯人説に傾き、それに押されたのか、キノホルム説派がこじつけのような理由を出してきて、ついに8年後、
昭和53年8月、東京地裁可部裁判長は、日本だけの特殊事情をなんとか説明するために、
発症は「一に長期大量投与による。」とした。

それが正しいか、数字を見てみる。

スモン患者は、協議会の18班員による890例の調査では、服用量に記載のあったものが672例で、

確実に飲なし 102
量の記載あり 508
量不明 62
である。(服用率調査と同じグリーンブック No2 p235であるが、微妙に違う)

量不明をのぞいた610人の総服用量は
0        102
1~10グラム   62  
11~20グラム  84
21 ~40グラム  173
41 ~60グラム  77
61 ~100グラム  63
101グラム以上  49 
計      610 人
     
20グラム以下が248人、41%いる。
40グラム以下なら421人、69%である。

キノホルム派の中心、椿教授は昭和46年、ヨーロッパに飛んで服用量の調査をした。西ドイツでは1日0.6グラム以下が79%、投与日数13日以下が64%とし、日本より少ないとした。
(逆に言うと、0.6グラム以上が21%、投与日数13日以上が36%、10グラム以上のものが3割程度いるだろう。しかしそこからスモンは出ていない)

一方、チバガイギーは、1年間のキノホルム販売量をその国の人口で割ると、西ドイツ、スイス、オランダなどでは日本より多いとした。
また、椿教授よりもっと大規模に調査し、オーストリアでは1日1.2グラム以上が80%、投与日数1週間以上が29%、そのほかの国でも総投与量10グラムないし20グラム以上はかなりある。だから(長期投与患者の100グラム以上はないとしても)スモン患者と大差ないとする。
(文献2、宮田 p100)

また、戦前から昭和30年代までなぜ発生しなかったということについても、椿教授らは同様に投与量が少ないからとした(東京スモン判決・判例タイムズ365号、p153)。そして片平・中江調査の、1日投与量が1グラム以内、投与日数30日以内であったという数字を根拠にする。しかし30グラム以内のスモン患者は41%以上、69%未満いるのである。つまり5000人ほどは30グラム以内であり、戦前スモン患者がいなかったことの説明にならない。(文献6 増原(4)p90)


どうしてこんな矛盾だらけなのか?
答えは1つ。
そもそも仮説が間違っていて、無理やり押し通そうとしたからである。

科学というのは仮説があり、それに対して支持者、反対者が議論し、最も矛盾のないように、自然とそのときの最良解に収束していくものである。
ところがスモンに関しては途中からキノホルムに固定し、マスコミなども参加して反対者を封じ込めた。その圧力は後で書く。

昭和45年夏以来、10年?にわたり、東大医学部を中心とした我が国医学会最高権威を集めたスモン協議会は、信じられないことに、会の名称であるスモンを研究しなかった。
その代わりキノホルムばかりを研究した。
それもキノホルムをなんとか犯人にするよう、あらゆる手を尽くして研究した。
この時の医学は科学ではなく、政治のようであった。

キノホルム停止の45年9月から、チバガイギーが裏で舌を出し、田辺が認めないまま金だけ渋々払うところに到達するまで(和解確認書の調印が昭和54年9月)、9年もかかったのは、この仮説があまりにも矛盾だらけであったことを示す。

続く

参考文献
1.謎のスモン病  高橋秀臣 行政通信社 (1976) 
2.田辺製薬の「抵抗」 宮田親平 文芸春秋社 (1981)
3.スモン調査研究協議会研究報告書(グリーンブック) No1~No12 (1969-1972)
4.厚生省特定疾患スモン調査研究班 スモン研究の回顧 1993
5.スモン・薬害の原点 小長谷正明 医療 63, 227 (2009) 
6.スモン病因論争について(1)~(4) 増原啓司 中京法学15,  1980

3-5は権威者側の公式発表、1,6はそれに疑問を呈したもの、2は一連の経緯を説明するもの。
3-6はネットで読める。


別ブログ
20200223 スモンの謎4 外国ではなぜ発生しないか
20200219 スモンの謎3 中止後の発症激減
20200215 スモンの謎2 キノホルム服用率85%
20200214 スモンの謎1キノホルム説の登場


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