2020年7月13日月曜日

巻石通り、金剛寺の場所、れんげ山霊園の不思議

7月12日、完全な晴れではないが、本格的な梅雨空が続くなか、日差しも少し出た。
ビーグルで区役所まで行き、神田上水あとの道、水道通りを西に歩く。
現在ここは巻石通りというらしい。
2020-07-12
旧安藤坂の真下。伝通院の参道でもある。
右手の4階建てあたりに旧小石川区役所があった。
(その後、庚申坂上、春日通の東京都社会福祉保健医療研修センターの場所に移転)

いまの安藤坂
市電が上れるよう斜めに曲げた。

昭和7年 
三井邸、小石川区役所、金剛寺、新坂、徳川邸、第六天町、松平邸などがみえる。

金剛寺坂 今この寺はない。
戦前の地図とあわせれば、坂の西、ちょうど丸ノ内線の線路敷地になっている。
金富小学校グランドの東に行き止まりの道があるが、かつての参道ではなかろうか。

写真、正面に見えているのは秀和春日レジデンス。昭和のビルという感じで良い。

坂を上がると丸ノ内線の切通しを橋で越える。すぐ本田労働会館の前を東に曲がると永井荷風生誕地をへて、伝通院の参道(安藤坂上)にでる。
2005年11月、後楽園ホールから牛天神、伝通院をへて、逆にこの金剛寺坂を上から降りてきた。15年前、まさか転職して文京区に住むようになるとは思わなかった。

金富小学校グランド、龍閑寺、金富小学校校舎とすぎると新坂、
そして国際仏教学大学院大学。

2020-07-12
国際仏教学大学院大学
徳川慶喜公屋敷跡の標柱が立っていた。
2005年、2014年10月に来たときはなかった。

(新坂と荒木坂は別ブログでかく)

慶喜旧宅のすぐ西の交番の角を北に行けば丸ノ内線車庫。
そちらへは行かずに巻石通りを西へ。
荒木坂の西は稱名寺、本法寺、日輪寺、善仁寺と切れ目なく続く。

真宗本願寺派称名寺 
「大丈夫だよ生きていけるよ」
本法寺
早稲田大学125周年記念のプレートが立っていた。夏目漱石の墓は雑司ヶ谷霊園にあるが、夏目家の菩提寺で、明治になってからも母、長兄、次兄がここに葬られた。「坊ちゃん」の静の墓もここに設けたらしい。
日輪寺の西に公道か参道か分からない坂道
交通整理(する必要もない)?か、角に立っていた人に聞くと分譲中の霊園があるという。
れんげ山霊園という。

なるほど、真新しい墓石が並ぶ。
すぐ西側は善仁寺の墓地。
木の向こうは4月に通った小日向公園のようだ。

田舎のように「先祖代々の墓」とは彫らない。
家より個人の墓という感じ。
キリスト教の墓もあった。

東の塀の向こうに日輪寺とその墓地がみえる

しかし、日輪寺と善仁寺に挟まれて隣接し、どちらにも属さない。
(だから無宗派である)
実に不思議だ。この土地はいったい何だったのだろう?

おりてくると分譲業者の人が売り出しの幟を直していた。
きけば、明治のころ氷川神社があったという。それが小日向神社となり引っ越して、私有地であったため、霊園業者が買ったらしい。

ああそうか。
音羽の田中八幡が氷川神社と合祀され、文京区福祉センターの上、服部坂を上がった西の小日向神社となったことを思い出した。(別ブログ)
あの場所が氷川神社と思っていたのだが、ここだったのか。

日輪寺
本殿前をよくみると氷川明神とかかれた提灯が下げてあるのが見えた。
おそらく神仏混交時代、この寺は氷川神社の別当だったのだろう。
影も形もなくなったが、まだ提灯だけは掲げている。


れんげ山霊園の西隣は善仁寺

寺はここでいったん途切れるが、この水道通りは江戸川橋体育館、福祉センターをすぎると再び清光院、妙足院、還国寺とならぶ寺町通りでもある。

ちなみに巻石通りというのは明治11年ころ、上水の水路を石で巻いて暗渠にしたからという。神田上水については、さらに西に行った文京総合福祉センター前に水路発掘跡が保存されている。4月に寄ったので(別ブログ)、今回は行かない。

このあと、茗荷谷という谷を歩き回った(別ブログに書く)


過去の別ブログ
20200613 安藤坂、区立三中の三井家、萩の舎
20200420 小日向台に上り茗荷谷に降りる
20200419 音羽の坂、鳩山邸、鼠、八幡、鷺坂など

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