高崎線というのは中山道に沿っており、駅は宿場町、すなわち繁華街の場所にできたと思ったら、ここは違うようだ。
2020-06-20 8:33
まず、改札が小さい。
8:34 東口は何もない
8:36
西口も何もない。
びっくり。
もともと行田市(市制1949)には高崎線が通っておらず、忍町など中心部に秩父鉄道が通っていて行田駅があった。1955年に太井村の一部が合併して、市の西を高崎線がかするようになる。地図で見れば本当に西の端、田んぼをこする程度。
駅のすぐ北は熊谷市、すぐ南は鴻巣市、なんと駅のホームの分しか行田市はない!!
これもびっくり。
しかしここで市としても国鉄の駅が欲しくなったらしい。
1966年新駅開業、市街地の秩父鉄道行田駅は駅名を譲り行田市駅に改名した。
もし太井村の合併がなかったら、田んぼの真ん中だから当然この駅はできなかったと思われる。しかし、よくまあ、ここを行田駅と命名したものだ・・・
当初、乗降客は何人だっただろう。
市の中心部、市役所や行田市駅は、東のほうへ5kmほど。田んぼの中を走る17号、新幹線、17号バイパスを越えていかねばならない。住民の生活・行動範囲は熊谷か大宮か。
8:36
駅西口、階段下に立つとすぐ先に堤防らしきものが見えた。
仕事で来たのだが、一本前の電車に乗れたので9時の約束まで少し時間がある。
行ってみる。
ここらのマンションは東京直結、便利な駅も、のどかな自然も近い。
8:39
荒川堤防の手前に小さな川があり、橋に元荒川とあった。
秩父から流れてきた荒川はかつて東に向かい、いまの鴻巣の東から菖蒲、白岡、蓮田、岩槻、越谷、三郷、八潮と埼玉の東部を通って東京湾に流れ込んでいた。
東京湾には利根川も流れ込んでおり、家康の江戸入府以降、洪水対策と水運利用のため利根川を東に移して水を銚子に流し、荒川の水は入間川に流した。伊奈忠次、忠治、忠克と伊奈氏三代がこれにあたった。
水の多くを失った荒川は元荒川と名を変える。
8:40
これだけ荒川と元荒川が近いということは、このあたりで別れたということである。
8:43
グーグル地図を見ると、この堤防上のサイクリング道路が中山道とある。
しかしこの堤防は近代のもので、中山道とは思えない。
標識を探すも何もなし。
8:46
堤防の内側は荒川の河川敷に相当する部分だが、ふつうの田園風景が広がっていた。
おっと、あまりのんびり見てはいられない。
8:52
再び「元」荒川をわたり本来の目的地に向かう。
8:56
駅ができて50年以上たつが農家が点在。
約束は9時なので必死に歩く。
9時からの面談は無事終了。
(さて、私の仕事は何でしょう?)
ふたたび荒川、元荒川を見たくなった。
9:14 元荒川
葦が茂り水が見えない。
荒川と並行して3kmくらい北まで遡れるが、だんだん細くなり消えてしまうので分水地点は分からないだろう。
9:14
むしろ、この地点に意味がある。
元荒川の元の川筋と今の川筋の分岐点がここである。
9:20
地元のカルタだろうか。
と 灯篭も昔がたりの白蛇様
む 昔さかえた新川の河岸
や 屋敷森のみが残りて昔を語る。
灯篭というのは神社参道なり、にぎやかな往来があったことを示す。
新川というのは荒川から水をもらい船が使えるほど広くなった入間川(現荒川)のことであろう。
いまは堤防の内側になった眼前に屋敷森のような塊がいくつも見える。
9:26
遠くに白い鳥居が小さく見えた。
地図には三島神社廃墟とある。
行ってみたいけど遠いし道があるかどうかも分からない。
カルタと神社を考えれば旧中山道は現堤防の内側を通っていたのではないか?
いまの農道がその跡かもしれない。
西の荒川のほうから来る農道はここで堤防を越え、集落の中に入っている。
これが堤防以前の中山道ではないか?
今の地図を見れば、旧川筋は大きく蛇行して高崎線の東をまわり、ヘアピンのように反転してきんちゃく袋のような道路筋を残し、再び高崎線の西に戻り、今の元荒川に入っている。
9:32
元の元荒川を流れる川。右は畑でもない湿地。
むこうにさっきまで登っていた堤防がみえる。
9:37
新築住宅の売り出し
このあたり水はけが悪そうだ。
しかし今の私は、ネギは大丈夫かと畑に目が行く。
9:43
(右にホームの端がみえる)
ちょうど駅のホームぎりぎりを元・元荒川が東から戻ってきて西に向かっている。
川はふたをされ通勤通学客の自転車置き場になっていた。
元荒川の荒れた蛇行も今になって役に立っている。
行田駅に戻ってきたが、今回歩いた大部分(ほとんど全部)は熊谷市である。
(ホーム脇、うえの写真を撮っている場所も熊谷市!)
・・・
荒川は赤羽から北へ行く電車が必ず渡る川だし、学生時代ボートを漕いだし、32年つとめた会社のそばでもあった。
いっぽう元荒川といえば、指扇プラザの家を買うまえ、1995年ころ蓮田で探した候補物件の前の道路が冠水した時の川という景色くらいしか浮かんでこない。
しかし今回、たまたま行田(というより熊谷)でしみじみ見たことから俄然身近な川になった。
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