2020年8月10日月曜日

環状4号線がつぶす豊川浴泉、小布施坂と日無坂、冨士見坂

梅雨の続く7月26日、目白台(関口台地)の下、江戸川橋から神田川沿いを歩いて文京区の西の端まで来た。
忘れられたようになぜか古い昭和の家屋も多い。
2020-07-26
工事が中断した道路予定地
このまま坂を上がると緑地(区立公園と日本女子大付属小学校)の向こうで目白通りと不忍通りの合流点に出る。

不忍通りは環状4号線になる計画だったから、その続きであろう。
ちなみに環状5号は明治通り、
3号は外苑東通りから播磨坂、言問い通りを通る計画。
2号、1号は外堀通り、内堀通りである。
こちらは南側。
外苑西通りに通じるはずである。
関東大震災のあとに計画されたものが、まだ続いている。
果たしてこの道路は必要だろうか?

建設したい人は、住民が反対したとしても、災害に強いまちづくり、と正論をいって進めていく。彼らは建設関連会社、そこから金をもらう政治家、命令されたら逆らえず自身も仕事がないと困る公務員。

田端・日暮里の都道92号線と比べ、用地買収はほぼ終わり、道路はできてしまうだろう。

工事予定地のすぐ西に懐かしい銭湯があった。
2020-07-26 豊川浴泉
豊川はもちろん旧町名である文京区高田豊川町から。
浴泉とあっても普通の銭湯のようだ。
かろうじて残っている都内の銭湯もほとんどがマンションの中に入ってしまった。
このように作業場が見えるのは珍しい。

昭和のままの銭湯に見入り、ふと上を見ると目の前にいい坂がある。
ここで台地に上がることにした。

小布施坂である。
信州のオブセと違い、コブセと読むらしい(文京区案内板)。
脇の家も古い。
文京区の坂ベストテンに入るかもしれない。

2020-07-26 
ここで気が付いた。
いい坂道である理由、開発から取り残されているのは、東がわに環状4号線の計画があるからマンション建設が止められているからかもしれない。
坂下の古い家もそのために残っているのか。

ということはこの景色も長くない。
幹線道路というのは、道路面だけでなく両側の建築規制が大幅に緩められるから一気に町の破壊が進む。

世の中は、最低限の暮らしができれば懐かしいもの、安らぐもので満足する人と、かぎりなく経済、金儲けのみに価値を求める人の二種類ある。
社会を動かすのは後者である。
生物の本能に通じることだから一概に否定はできないが、原始的な思想だと思う。

小布施坂(こぶせざか)上の東側は木の多い、良い公園になっている。
しかし名前は文京区立目白台一丁目遊び場と、ずいぶん控えめである。

昭和7年
坂の東、一帯は株の売買で財をなした小布施新三郎という人の屋敷だった。
明治37年ころ樺山資紀から譲り受けたという。
彼はコブセでなく、オブセであるから、どこかで坂名が変わってしまったのだろう。
1845年、北信濃の須坂でうまれ、家は高井郡小布施村(現小布施町)と関係あるかもしれない。
墓は谷中墓地。
幕末、岩槻藩大岡家3万石の屋敷の西境は日無坂なので、小布施坂は明治までなかった。

江戸復元情報地図


2020-07-26
不忍通りと目白通りの交差点。
ここに環状4号があがってくる。

2020-07-26 鳳山酒店
脇の道をはいると日無坂の上にでる。


2020-07-26
左、日無坂。右、冨士見坂
自転車の人はウーバーイーツの人だろうか。バッグが大きい気もするが。


日無坂
昔ながらの歩行者専用石段。文京区(左)と豊島区の境になっている。


舳先の家は冨士見坂側から見ると空き家のようである。
しかし先端にも小さな入り口があり、
「コロナ禍のなか、配達ご苦労様です」という張り紙があった。

・・・・・
梅雨が明けた猛暑の8月3日、目白不動の金乗院から坂下を西から来た。
このあたりなかなか来ることもない。
稲荷坂(豊島区高田)
ホントに眠ったような住宅地
2020-08-03 豪邸があった。
表札は出ていない。

この豪邸から斜めに上がる長い坂がある。
何坂だろう?
難儀して途中まで登ってくると坂上でしゃがんでいる人々が小さく見えた。
やがて日無坂の西の冨士見坂と分かる。
坂の上で学生が映画を撮っていた。
男と女、別々の道を歩いていくシーン。
何を暗示しているのだろう?
2020-08-03
目白通りとの角、鳳山酒店
この日は開いていて、奥にご主人が座っていた。
酒店というのに、カップ麺が一番前に並べてあった。

今調べたら、環状4号線は小布施坂の下でトンネルになって目白通りと立体交差するらしい。ここで地上部が保存されると考えるのは甘い。
目白通りと行き来するためには双方の道路で拡張して側道のランプを作らねばならなず、普通の交差点より広い部分をつぶす。そして周辺が高層化される。小布施坂だけでなく、この鳳山酒店も、日無坂、冨士見坂も見られなくなるだろう。

道路を作るというのは最も景観、環境を破壊するものだ。
決して元に戻せない。
いったいなぜ作るのか?
「作りたい人がいるから」としか言いようがない。

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3 件のコメント:

  1. 都計図を見ると、側道は出来ないっぽいですね。

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  2. 幹線道路を作ると両側が立体的に規制緩和されるから、計画図以上の変化が出るでしょう。

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  3. いよいよ河田町が開通ですね!西富久も間もなくなのでこちらがつながればこれまでの皆さんの努力が報われます。街の建設は長い年月をかけて一歩一歩進んでいくものなんですね。しみじみ・・・

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