今年7月、日暮里のダンス練習場、ファーストプレイスが閉鎖された。(→別ブログ)
運営していた(株)アカデミーホールは、池袋でも練習場、パーティスペースを所有しており、日暮里閉鎖以来、こちらを常に営業するようになった。
日暮里の利用者が池袋に来るかと思いきや、いつ来てもガラガラだった。
練習にはいいが、経営者は苦しいだろう。
2021-08-10
そしてついに予想していた通り、9月30日の閉鎖が掲示された。
2021‐08‐22
ビルのオーナーとの契約が9月いっぱいであり、練習場としての営業が採算取れないことから閉鎖するという。
先日、夜来たときに渡された番号札が23番だった。つまり朝から営業して12組、2万3千円しか売り上げがなかったということだ。
最終日の翌日(10月)から次のテナントの工事が始まるらしい。
アカデミーホールの親会社、(株)スタジオひまわりは、完全にダンス練習場、レンタルスペース業から撤退し、創業時に戻り、撮影、ダンスDVD制作などに専念するようだ。
大分世話になったので記念に写真を撮らせてもらった。
この練習場は1994年11月オープンしたという。
入り口から見て右のほう、今は更衣室と休憩テーブルがあるが、かつてはコインロッカーが並んでいた。
かつて、休憩スペースは入り口のすぐ左(写真では右)にあった。
いまは衝立で囲まれた仮設スタッフスペースになっている。
1981年 有限会社フォトスタジオひまわり設立(文京区千駄木、のち足立区千住中町に移転)
1989年 ビックコンペシリーズ第一弾、日本インターナショナルダンス選手権大会を発売。
1993年 JADA(日本アマチュアダンス協会)取引開始
1994年11月 アカデミーホール オープン(池袋)
2014年6月 ファーストプレイス東京オープン(日暮里)
日暮里ファーストプレイスができるまで、山手線にあるダンス練習場はここしかなかったから繁盛した。
ただし狭いから、私のようなヘタクソはビュンビュン飛ばす上級者が怖くて(畏れ多くて)、あまり使わなかった。
むしろ、よく来たのは練習場の上にあたる地下1階のパーティ会場だった。
自分のダンス歴と重なる、いろんな記憶がある。
アカデミーホール公式サイトから
ここでは月に1,2回、ダンスパーティが開かれていた。
初めて来たのは2000年7月。
大宮桜木公民館のサークルでダンスを始めて1年経ち、外のダンスパーティに挑戦した。
一人で埼玉から出てきて、王子の北とぴあ、日暮里サニーホールと参加して、東京のダンスレベルの高さに驚いていた。
しかし、アカデミーホールは比べ物にならなかった。
王子や日暮里なら、おどおどしている初心者に親切で世話好きな女性が声をかけてくれて端のほうで静かに踊ることもできた。しかし、ここ池袋は上手い人たちが狭い中でビュンビュン踊っている。カルチャーショックを受けて、なんと一曲も踊らず退散した。
ダンスがうまくなりたい、と強く思った。
私が最初に入ったサークルは、足の運び方だけを習うところで、音楽もかけずに、足の置くタイミングで「1,2,3」とか「すろーすろーくいっく、くいっく」と声を出していたから、リズムも何もあったものじゃない。
しかし他を知らない初心者は、皆そんなものだと思い、自分のサークルの善し悪しが分からなかった。
1年も習った割には信じられないほど上達しなかった。
どうもちゃんとしたサークルで習わないと駄目だと思い、いろいろ探した。
家の近く、指扇プラザのサークルは皆さん親切だったが、休憩時間になると先週末に行ってきた旅行のお土産を広げ、お菓子を食べながらおしゃべりに花が咲き、親睦が目的の集まりだった。
片っ端から見学し、与野コミニティセンター、浦和土合公民館のサークルの2つに入った。
このころはダンスが楽しくて週3、4回踊っていた。サークルのほかに王子、日暮里のパーティがメインだったが、東田端、川口リリアのパーティ、滝野川体育館での練習会にも顔を出した。
アカデミーホールの2回目は少し自信がついてきた2001年9月、1年ぶりだったが、やはりレベルが高すぎた。きれいで上手な女性がいっぱいいたが、声をかける勇気はなく、テーブルにあるジュースを飲んでお菓子を少し食べ、2,3曲踊って退場した。
このころは知り合いも増え、荻野さん、橋本さん、堀内さん、お互い技術の向上を目指して、たまに練習したりしたが、組むまではいかなかった。
こうなると競技を目指し、一緒にダンス教室に行けるような、ちゃんとしたパートナーが欲しくなる。
そこでアカデミーホール。3回目は2002年1月。
きれいで上手な女性がいた。狭いところでスタンダードは難しいのでルンバの時に声をかけた。邨田さんと言い、何曲か踊ってもらい、笑顔も好意的だったが、レベルが違いすぎた。
その後、大塚会館、双葉会に入会した。レベルの高い東京方面に進出し情報をとるとともに交友関係を広げるためである。さらには、競技選手が集まる朝霞のサークルにも入会する。ここは谷堂先生が指導していてカップルで参加するのだが、たまたまリーダーが腰を痛めた柏瀬さんに誘われ、代理で半年くらい通った。
さらに、大宮のヒウラダンススクールで個人レッスンを受けはじめた。
そして雑誌やインターネットのダンスパートナー募集サイトに登録し、何人もお見合いをしたが、競技パートナーは見つからず。
そんな状態で2003年7月、アカデミーホールの4回目。
過去の経験からフロアが混みあう前、開場早々にきた。モエギさんという美人で上手な方がいた。彼女は好意的でいろいろ教えてくれたが、やはりパートナーとしてはレベルが違いすぎた。彼女の主宰する古石場のサークルにも顔を出したり、たまに練習場で教えてもらうにとどまった。
その後もしばらくアカデミーホールのパーティには通ったが、とうとうここでダンスパートナーには巡り会わなかった。
2021‐08‐22
アカデミーホールの上はジョナサン。
良い人と出会ったらここでお茶を飲むのが夢だったが、かなわず。
毎回一人寂しくパーティ会場をでて、ジョナサンの東隣、首都高脇の古本屋に寄って埼玉まで帰った。
2021‐08‐22
その古書店は駿河屋というゲーム、キャラクターショップに変わっていた。
グーグル2019?
変わったと言えば、当時、アカデミーホールの前、大原情報ビジネス専門学校の北は、豊島区生活産業プラザであった。老朽化したビルは西隣の豊島区民センターと一緒に解体、新築され、2019年、としま区民センターとなった。
さらに北側の豊島公会堂は、豊島区立芸術文化劇場(東京建物 Brillia HALL)の入る8階建てのビルに、その北の豊島区役所は移転して、跡地には地上33階Hareza Towerが建った(2020年)。
2021‐08‐22
左からハレザ池袋、ブリリアホール、としま区民センター
2021‐08‐22
写真左はワッカ池袋(2014年竣工)。
2階の東京ダンスビレッジはガラス張り、若い子が体を動かしているのが見える。
コロナで若者が夜たむろしないよう、柵を設置していた。
再開発の前、この中池袋公園は土だった気がする。
アカデミーのパーティのあとは、一人ここを突っ切って池袋から埼玉へ帰ったものだ。
2000年代初め、アカデミーホールは、インターネットの募集サイトとともにパートナー探しの場として重要なパーティ会場だった。
しかし、2003年ころから葛西のステップワンに上手い人が集まるようになり、関東で一番レベルが高い会場という評判は譲った。さらにはダンス人口の減少もあり、いつのまにかパーティもなくなった。
あれから20年近く。
久しぶりに見る公園の周りは南側の小さなラブホテルは残っていたが、当時影も形もなかったハレザ池袋、ブリリアホール、WACCA池袋などが囲む。
これだけ景色が変われば、アカデミーホールもダンス界も変わるのは仕方がない。
きれいな建物が増えるのと並行するように、ダンス界の熱気はなくなっていった気がする。
この公園を通るのも今月いっぱいかな、と思う。
別ブログ
20210627 ダンス練習場ファーストプレイス閉館と荒川区、吉村昭のこと
追記 2021‐09‐12
今日行ったらアカデミーの営業は10月16日まで延長されていた。
JDSF-PD西村鳥尾組が練習されていて、素晴らしい踊りだった。
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