2021年10月20日水曜日

白菜の種まき、育苗、信州の記憶

野菜はなるべく種から育てている。
苗はいくら安くても78円プラス消費税で85円する。20本買えば1700円。
種なら安い。ダイソーで2袋110円、余ったら冷蔵庫に保管し何年も使える。
問題は、なかなか育たないこと。

2021‐09‐15
 白菜(左上)8月21日まいたもの。
 レタス(手前、9月8日1鉢に4粒ずつまく)、
 玉ねぎ(右上に9月8日まく)も芽が出てきた。

白菜は1か月近くたつのに、本葉は4,5枚、とても小さい。

なぜ小さいか?
成長は直線ではなく、シグモイドになる。
つまり、葉っぱの量をVとすれば成長速度 dV/dt は一定ではなく、光合成量、葉っぱ量に比例する。すなわち、
 dV/dt = a・V
 V= exp (a・t)
つまり立ち上がりは指数関数的。
だから実生の場合、夏野菜なら梅雨までに、冬野菜なら寒くなる前にある程度の大きさにならないと、成長はうんと遅れる。

夏のナス、シシトウ、トウモロコシ、枝豆などに苦労したことは以前書いた。
苗業者は温度など管理しているのだろう。

2021-10-02
白菜は虫に食われたりしたため、追加で2回まき、大きさもバラバラ。

2021‐10‐02
レタスも本葉が出てきたが、白菜ともども小さいまま。
我が家は場所がないので大根の隙間でポットに種をまき育苗している。
ところが大根が育ち始め、日陰になってきた。

どこかに移さねばならない。
先日、パプリカを無理やり移して空けたスペースに移動させた。
また、ポットに何粒もまいているから、それに先立ち一鉢一株にした。
この個別化が大変。朝6時前から2時間半かかった。
土地がないと余計な作業が増える。

2021-10-10 移動して8日後。
大根の葉陰から元パプリカの場所に移したものの、隣にシシトウ、サツマイモがある。
まだ窮屈。
ちっとも成長しない。
それどころか(白菜もレタスも)枯れるものも出てきた。

10月は暑い日があった。
白菜は冷涼な気候を好み、生育温度は20℃前後、葉が巻き始める結球期の気温は、15-17℃前後が最適。
2021‐10‐18
しかし涼しくなってきたからだろうか、1週間でだいぶ育ってきた。
そろそろ定植しないとまずい。
この場所に40センチx40センチの間隔で植える予定。
しかし、まだシシトウが頑張っている(写真、奥)。
ああ、土地がない。


大根の間に残してきた白菜苗はもっと大きくなっている。
かわいそうだがシシトウを抜いた。

2021-10-18
本当は植え付けの2週間くらい前に石灰と元肥を入れてよく耕して畝を作る、と書いてあるが、そんな余裕はなく、シシトウ抜いてすぐ耕して定植した。18株。
ダイソーで買った「60日白菜」の袋を見れば、8月中旬から9月下旬にまいて、10月中旬から翌年1月下旬まで収穫とある。しかし、もう10月中旬。
2016年以降、6回目の白菜。我が家は例年通りの遅さ。

・・・・

以前「アブラナ科の属と種」で書いたが、白菜は大根とは属が違う。
キャベツとは属は同じだが種が違う。
そして野沢菜、小松菜、カブなどとは種も同じ。つまり、小松菜とは栽培品種の違いしかない。

今回追記しておく。
アブラナ科の植物は自家受精せず、また近縁他種と交配しやすい。
子のF1が一見白菜でも、劣性遺伝子が隠れていればF1同士の交配でも先祖返りがでてくる。すなわち、変異しやすく安定品種を維持しにくい。

アブラナ属アブラナ種Brassica rapaの原産は西アジア、地中海のようだが、紀元前に中国に伝わったという。結球性の品種は16‐18世紀にできたらしい。日本にも江戸時代以前に伝わったが、安定品種とならなかった。明治になって政府が結球性白菜を中国から本格導入したが、系統維持はことごとく失敗した。

ようやく明治末期から大正にかけて、松島湾の馬放島という小島で隔離育種に成功、仙台白菜の名で出荷した。同時期に名古屋市郊外で野崎徳四郎が中国から来た山東白菜の改良を進め、現在のように結球するハクサイができたといわれている。昭和に入って石川県でも栽培が軌道に乗り、これで現在の主要系統である松島群、野崎群、加賀群という三大品種群が作り出されたという(ウィキペディア)。

長野で食べていた白菜は何だったのだろう?
信州の冬は毎日大根(煮物、沢庵)、白菜(みそ汁、漬物)、野沢菜(漬物)がでた。
昭和34年正月? 2歳5か月とリンゴの木
左はヤギの小屋、右は分家のもこのうち(向こうの家)
「もこのち」との間には細い道があり、道路拡張で小さな竹藪と、並んでいた柿の木(何本か写っている)がすべて切られた。

信州では、雪が降る前に、畑からひと冬分の大根、白菜、人参を屋敷地にもってくる。
白菜はリンゴの木の下に同心円上に立ててびっしり並べ、藁をかぶせた。
冬になると1玉づつ、雪をかき分けて取り出すのである。
漬物はもちろん、みそ汁はほぼ毎日白菜だった気がする。
雑煮の具も白菜と油揚げ。年始客の吸い物にはホウレン草が入っていたが特別だった。


シナノ薬品の恒叔父と
あまり記憶ははっきりしないのだが、この藁は保存大根の山だったのではなかろうか?

土蔵(右)の前にインドリンゴの木がみえる。
一本だけあったインドリンゴは出荷せず、白菜漬けに入れたりした。
キムチほどではないが、昆布、トウガラシ、みかんの皮とかいろんなものが入った。

しかし子どもの頃は、大根も白菜も野沢菜もそれほど好きではなかった。
今は大好き。
作るのはもっと好きかもしれない。



0 件のコメント:

コメントを投稿