2023₋08₋07 7:10
枝豆をとろうとしたら、茎にマルカメムシがびっしりついている。
甲虫類のような金属的な光沢。
昆虫の魅力の一つは、そのメタリックな色にもある。
千駄木菜園でその代表的なものはコガネムシ。
しかし、いざ写真を撮ろうとするといない。
過去のものを載せる。
2021-07-30
甲虫目コガネムシ科コガネムシMimela splendens
樹液などを吸う甲虫類の仲間にしては珍しく食葉性である。
彼のラインのアカウント画像はタマムシである。
ちょうどいい機会だったので聞くと、京都街中の烏丸に引っ越す前、大学のすぐそば桂坂に住んでいた頃、二回、生きたのを捕獲したという。
タマムシ(Wikiから)
コガネムシより生息数が少ないから同じ緑の金属光沢色でも、こちらのほうが有難味がある。タマムシと聞いて玉虫の厨子を思い出した。
(国語の教科書にあったのだがストーリーは全く覚えていない)
法隆寺が所有する国宝である。
厨子とはもともと台所(厨房)で使う道具類を入れる容器のことであったが、転じて仏像などを納める両扉の収納具としても用いられるようになった。
玉虫厨子は壁面にびっしりと玉虫の羽を貼り付けてあった。
我が家のヒキガエルの糞からも色鮮やかなコガネムシの羽が出てくることがある。
これは色素が特定波長の光を吸収するのに対し、羽は反射型回折格子と同じで、反射光が干渉を起こし、特定波長が増幅され色を出すからである。油膜のニュートンリングを思い出せばよい。反射光が干渉するには規則正しい結晶のような構造が必要で、それが一部崩れていると(アモルファス)、色の微妙な変化が出てくる。
これは化学物質(色素)による発色に対し、構造発色と呼ばれ、車のメタリック色塗装などにも使われている。
羽の微細構造が壊れない限り、色は千年、二千年持つはずだが、法隆寺の玉虫厨子は羽がはげおち、ほとんど残っていないそうだ。厨子のHxWxDは2.31 x1.36 x1.19 メートルというからかなり大きい。羽は何千枚も必要だっただろう。
羽が落ちてしまったこともあり、復刻版が作られている。
有名なのは、漆芸家の北村大通らが昭和15年の紀元2600年記念として1933年から制作した複製(15年かけて未完)を引き継ぎ、日本鱗翅学会が1960年、創立15周年の記念事業として日本全国の昆虫採集家や小・中学生に呼びかけて玉虫を集めて完成させたもの。1960年は森さんの生まれた年だ。現在は高島屋史料館に展示されているらしい。
また平成になって2004年から4年かけて2基作られた。一つはオリジナルに忠実な復刻版、もう一つは豪華な平成版。復刻版玉虫厨子には6622枚。平成版には36142枚のタマムシの羽が貼付けられた。復刻版は法隆寺に奉納され、平成版は現在、飛騨高山の茶の湯美術館にあるという。(制作指揮の中田金太氏は高山の名士)
ちなみに、鱗翅学会が出てきたように、チョウの鮮やかな色も、構造発色である。
人類は長い間、岩絵の具などの無機色素、草の汁などの有機色素など、配位結合や共役二重結合に光が吸収されることで発色する染料を使ってきた。これらは素朴に自然界から取り出して塗ったり染めたりできた。いっぽう構造色は構造を壊したら色は亡くなるから、玉虫厨子のように羽をそのまま貼り付けるしかなかった。しかし半導体製造のような微細構造を大量生産する技術ができて、将来、構造色は大きな可能性がありそうである(わかんないけど)。
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