2024年5月14日火曜日

大磯の東海道沿いを歩く。有名人の邸宅跡

大磯は大磯ロングビーチと吉田茂や明治の元勲など有名人が別邸を構えた地として有名だが、城下町のような江戸時代の歴史がなく、軽井沢のようでわざわざ行こうと思わなかった。

しかし、この日、熱海にダンスのバイトに行く途中、途中下車してみた。

家を9時少し前に出て、千駄木から千代田線で二重橋前で降り、地下道を東京駅まで行き9:37発の東海道線に乗る。
横浜から西は、戸塚、大船、藤沢、辻堂、茅ケ崎、平塚、大磯と続くがどこも馴染みがない。大磯には10:42に着いた。

2024₋05₋12 10:43 大磯駅
その前の茅ケ崎、平塚などの大駅と違って山がホームまで迫っている。
駅舎は地方の駅のように小さい。しかし天井が高い。
初代駅舎が関東大震災で倒壊し、現駅舎は大正13年に建てれらてた二代目。
駅のお知らせはあるが広告がない。元勲たちが利用する駅に広告は相応しくないという伝統が生まれ、戦後広告看板を出そうとしたら獅子文六ら在住文化人が反対したとか。
昔は貴賓室があって当時の高官が列車を待つのにに利用した。
10:45
こんな田舎に駅ができるのは、それこそ究極の「政治駅」かと思いきや違った。

東海道線は新橋・横浜間が1872年(明治5年)日本で最初の鉄道として開業、1887年(明治20年)には国府津駅まで延び、このとき大磯にも仮駅舎ができた。
これは元勲たちが別邸を構える前であり、このブログでもしばしば出てきた松本順が療養を目的とした海水浴の効用を広め、ここに日本初の海水浴場ができ、急速に別荘地として発展したからである。伊藤博文が別邸を設けるのは明治29年。
仮駅舎が本格的な初代駅舎となるのは明治43年で、このときは元勲たちの利用が十分考慮された。

さてどこに行こうかと駅前の地図を見る。
海岸に松本順謝恩碑という文字が見える。
しかし地図には津波目安の数字「現在地・海抜20m」ともある。
降りたら坂を上がってくるのが疲れそうだから行くのをやめる。ちなみに松本順は以前このブログでも触れたが、佐藤泰然の子で松本良甫の養子となり、松本良順と称し、明治4年に改名して松本順とした。
10:50
駅前広場の向かいにおしゃれな建物あり。
国登録有形文化財・旧木下家別邸。日本最初のツーバイフォー住宅で関東大震災にも倒壊しなかった。住民は敷地形状から三角屋敷と呼び、今はイタリアンレストラン「大磯迎賓館」として、この日、結婚披露宴が開かれていた。

三角の右辺の坂を下りていく。
大磯は駅周辺ですでに緑に包まれている。

道路や家並みは鎌倉を思い出させる。
10:53
左は地福寺。
島崎藤村の墓があるらしいが行かない。
10:54
坂を下りると国道1号線に出た。
家の間から海が見え、結局近くまで来てしまったが、行かない。
10:55
ところどころ黒松もあり、かつての東海道の雰囲気が残る。
10:57
「新杵」新井菓子舗
大磯名物「西行まんぢゅう」は分かるが「虎子まんぢゅう」は何だろう?

ここで道の反対側に石柱を見つけ信号を渡った。
11:00
「大磯照ケ崎海水浴場」の石柱。うしろには大正四年五月建と彫ってある。
この道を海まで行けば松本順の記念碑があるが行かない。

大磯はロングビーチという名に引きずられずっと砂浜のイメージがあったが、「磯」であり、また帰宅後に調べたら、照ケ崎は「崎」とあるように突出した岩場があるようだ。磯遊びができて富士、箱根がみえるという。曇っていたが行くべきだった。海岸手前の左手に原敬の別荘もあったらしい。

石碑のところで道は二股に分かれてている。
左が旧道だろうか?
11:01
この三角州のような場所が新島襄終焉の地という。
新道のほうに徳富蘇峰揮毫の碑と説明看板がある。
新島は明治22年(1889年)11月、同志社大学設立のため資金調達の活動中に心臓疾患を悪化させて群馬県前橋で倒れ、ここ大磯の旅館・百足屋で静養した。しかし、回復せず年が明けた1月23日、蘇峰らに10か条の遺言を託して死去した。享年48。
11:04
すぐそばの旧道のほうにプロテスタントの大磯教会がある。
国の登録有形文化財、1900年建築で新島とは関係ないようだ。

国道を西に歩くと鴫立庵(しぎたつあん)の森の前に石碑があった。
11:05
「湘南発祥之地 大磯」とある。

湘南という言葉は、上京したころ、湘南高校という校名で知ったのだろうか。同時に、相模国の南で、海があるから「相」にサンズイをつけて「湘」南としたのかと思ったりした。
その後、いつだったか、中国の地名からとったようなことを知ったが、何だったか忘れてしまった。

この説明板に寄れば、1664年に宗雪という人が、西行を慕ってここに鴫立庵をたて、「鴫立沢」という標石をおいた。この石の裏に「著盡湘南清絶地」と刻み、東海道を行き来する人々にこの地の景勝を紹介したことが「湘南」という語の始まりという。中国湖南省・洞庭湖のほとり、湘江の南側とこの地が似ているとのことらしい。

これではよく分からない。
調べたら、江戸時代、小田原の外郎(ういろう)家(中国浙江省から14世紀に亡命し、北条早雲の時代に京から小田原に移り、代々医薬を売っていた)の者が、家を継がず宗雪という僧となった。彼は詩歌に秀で、宗教心も篤く、尊敬する西行が歌に詠んだ大磯に移り、ここに庵を結び(鴫立庵)、俳句を詠んだり句会を開いたりして生涯を終えたという。

「湘南発祥之地」の石の脇に細い道があり、西湘バイパスと海が見えた。
坂を少しだけ降りてみた。
11:06
海のすぐそばなのに、深山幽谷のような小さな川がある。
川底に岩が露出している。
これが鴫立つ沢だろうか。
国道1号も西湘バイパスもなかったころ、確かに景勝であったと想像できる。
11:06
沢の先、海の手前に大磯町保健センターがあった。
たいていの自治体では名称からして埃っぽいコンクリートの施設も、この町では風光明媚なところにある。

帰宅後分かったのだが、この左、川の反対側は樺山資紀の別邸だったようだ。海軍大将、初代台湾総督。染井霊園の墓所は以前ブログに書いた。今はライオンズマンション大磯になっているらしい。

ここでも波打ち際まで降りずに国道まで戻った。
「湘南~」の石碑のすぐ横、国道から下に降りる形で鴫立庵がある。
11:08
鴫立庵入口
この庵の名は、この地を訪れた西行(1118- 1190)の、
こころなき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮
(新古今和歌集)による。

俳諧師・大淀三千風が第一世庵主として入庵して以来、京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並び日本三大俳諧道場となり、代々俳人が庵主となる。現在は第23世・本井英氏である。
11:08
西行はこの川(沢)から鴫が海のほうに飛び立つのを見たのだろうか。

なおも国道を西に行くと大磯町役場。
11:09
さっき見た保健センターは役場の東に当たる。向こうは海のはず。
役場を見ても大磯町というのは他と違う感じがした。
しかし、役場は最初からここにはなかっただろうと調べたら、やはり山内豊景侯爵の別邸跡だった。最後の土佐藩主・山内豊範の長男である。

横目で見ながら西に歩き続ける。
11:10 翠渓荘
今は料亭だが、もとは林董(はやし ただす)邸。このブログでも以前触れたが、順天堂の佐藤泰然の五男で、林洞海の養子となった。大磯海水浴場の生みの親でもある松本順の実弟である。幕府の留学生であり戊辰戦争では榎本艦隊に身を投じたが、維新後は兄松本良順や陸奥宗光に助けられ、岩倉使節団にも随行し、のち外務大臣となった。
11:11
国道の北側にいい感じの商家があり、相模園という看板。
こういう名前は相模から他所に出たあと付ける名前だと思うが、お茶屋さんかな、と思ったら「肉と野菜の店」とある。しかしただの小売り食品店ではないだろう。よく見たら古民家を利用したレストランだった。
11:12 
統監道というバス停
この道については後で触れる。
左側(海側)は分譲したような新しい民家が並んでいる。
かつては誰かの別邸だった土地を細分化したのだろうか。
11:14
このあたり両側に黒松の並木が残る。
左側は大磯中学校。たぶんこれも邸宅跡だろう。
調べたら徳川義禮(よしあきら)侯爵の別邸。「義」の字から推察されるように尾張徳川家第18代当主である。

西隣はいま大磯中学のグラウンドだが、山県有朋の別邸だった。
11:15
国道は西への下り線が並木の間で、上り方面は並木の北側を通っている。かつては草加の日光街道のように並木の間を二車線通っていたのだろうか。
一車線を外に出し、さらに東名高速と西湘バイパスで通過する車両は激減した。
ようやく並木も一息ついたか。
しかし黒松の代わりに一部、丈夫なケヤキが代わりに植わっていた。
11:15
この黒松は樹齢何年だろう? よく車の排ガスに耐えたものだ。
あまり立派なので大きさの比較にリックを置いた。

大磯中学を過ぎると長い石塀が続く。
11:16
このあたりの地形は国道の南側(写真左側)すなわち海側が、風浪で砂が寄せられたか、土地が高くなっている。北(右)側は一段と低くなり、民家が並び、東海道線が通り、その北に山が迫る。

すなわち、樺山邸からずっと、ひっきりなしに元勲、政府高官、華族らの別邸が隣同士で海を見下ろしながら旧東海道、国道1号線に門を並べていたのである。

写真の長い石塀は古河電工の保養所だったが、元は陸奥宗光邸、大隈重信邸。いまは国が所有し明治記念大磯邸園を整備中である。
いったい、この通りは明治の豪邸がどこまで続いていたのだろう?

(続く)

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