2017年1月1日日曜日

第91話 ジェンナー像の謎

千駄木菜園 総目次

108話あると毎日書いても3か月、しかも他に書きたいことがあるから、1217日にブログ始めて半月で3つしかアップしていない。
そこで順番でなく、途中から書くことにした。

どれにしようかな、と目次をざっと眺めた。

千駄木に越して初めての正月、長野の弟と歩いて上野国立博物館に行ったことを思い出した。で、91話。写真は国立博物館HPから。

ジェンナーの銅像の謎()
薬学雑誌1899(明治32) 299頁 (226日号)から


薬学雑誌に「種痘医祖善那君之像」という見出しの記事があった。
善那というのは、牛痘法を発明し、天然痘という恐ろしい疫病から人類を救ったイギリスの医師エドワード・ジェンナー(1749 - 1823)のことである。
彼は今でも有名であるが、昔はもっと有名だった。
なぜなら明治37年から昭和20年代まで、自分の子供を実験台にした美談として(史実ではないが)、尋常小学校の国定教科書(修身)に載っていたからである。日本人はジェンナーの偉業を最もよく知る国民であったにちがいない。


薬誌曰く
「種痘発明者善那氏の銅像は昨年、大日本私立衛生会の主唱にて有志の醵金を募り、美術学校に託して鋳造中なりしが、過般まったく竣功し、目下衛生会に保存し、台石の出来を待ちて芝公園に建立するはずにて、像は高さ六尺の立像にして、身に羅馬風の衣服を粧ひ、左手に書冊を繙き居る姿勢にして、すこぶる傑作なりといふ。」


私はこれを読んで銅像を見に行こうとしたのだが、芝公園のどこなのかネットで見ると、どうもジェンナー像は芝にはなく上野の国立博物館の庭に一体だけあるらしい。
芝公園のものは戦時中に供出されてしまったのかな、などと考えながら上野の像について調べるとその碑文がネットにあった。


是為種痘医祖善那君之像君英国人以
良医名時患痘瘡禍世創牛痘種法至西
暦一千七百九十八年始公之於世其方
流傳各国経五十余年入我長崎実嘉永
二年也遂遍布海内
曩者大日本私立衛生会謀鋳君像以表
徳朝野人士翕然賛助託東京美術学校
鋳造今茲明治三十七年六月得官允建
之帝室博物館側嗚呼躋民寿域恵沢不
可援也乃記以念後

問題は後半である。建林愛造氏
http://koizou.com/fude/kikoubun_90_1.html
の読み下し文によると、 

「(略) 曩者(さきに)大日本私立衛生会、君の像を鋳し以て徳を表さんと謀る。朝野の人士、翕然(きゅうぜん)として賛助し、東京美術学校に鋳造を託す。今茲(ここ)に明治376月、官(かん)(いん)を得て之を帝室博物館の側らに建つ。() 


つまり、薬誌にあった芝の銅像と全く同じく、上野の像も大日本私立衛生会が東京美術学校に依頼したものである。こんな偶然があるだろうか。私立衛生会が作ったばかりの像をまた作り直すというのも腑に落ちない。


では同じものだろうか。
すなわち何らかの事情で芝公園に建てずに上野に移したのだろうか。
しかし、薬誌のジェンナー像は明治32年に完成している。5年も保管しておくのは妙だし、それなら「376月完成(上野の像の公式製作年)」とはならない。それに上野の像は、確かに左手に本を持った6尺の立像であるが、ローマ風の服ではない。

一体何が起きたのか。



(続き)
第92話 ジェンナー像の謎



千駄木菜園 総目次

0 件のコメント:

コメントを投稿