2017年1月1日日曜日

還暦過ぎた新年

私は昭和311956年、丙申に生まれたから2016年で60歳だった。
ちゃんちゃんこも着ず、きちんとしたお祝いもなく、ばたばたと一年が過ぎてしまった。家族に対して優しくなかったのだから、このことに関しては何も文句は言わない。


たぶん60才は過去を見て、61才は二周目として未来を見るのである。
といって元旦の決意などない。

で、元旦のブログ、ここには関係ないことを書く。

本当は家族そろって家長に新年のあいさつでもすれば、
「お前たち若いものは知らないだろうが、きょうは・・・」と講釈始めたいところ、そんな機会があるはずもないから、ここに書く。


丙申は、ひのえさると読む。
よく「えと」というが、兄と弟のこと。十干、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸を5つに分け、(これはたぶん指が5本だからだろう。というか、だから十干が10なのだ)、5つを木火土金水にあてはめ、それぞれを兄弟にわけ、木の兄、木の弟、火の兄、火の弟・・とする。だから丙は三番目のひのえになる。それに十二支を合わせて60年分の名前を付ける。12は一年に月が12回満ち欠けするからだろう。


よく申年、酉年をえとというが、えとは十干の方だから動物の方は「えと」ではなく違う風に呼ばなくてはならない・・・・。
と偉そうに言ってもネット時代はどこにでも書いてあるだろう。


私は今日で「数え」62歳になった。
昔は生まれたときに1歳で、正月になると年を取った。つまり11月に生まれたら、大みそかまでは1歳で年が明けると2歳になる。まだ二か月しかたっていないのにね。

インドで発明されたゼロがなかったから、あるいは生物学的な生存時間という発想がなかったから、というわけではなく、ただ一年目、二年目、一回目、二回目という暦に刻む数だったのだろう。


長野にいたころは、大人たちは「数え」で年齢を呼んでいた。
ふつうの呼び方をわざわざ「満」といった。多分明治のころ数えから満を推奨されても、既に生まれた人は数えできているし、そのあとに生まれた人も、数え体系の人を基準に何年下とすれば、必然的に数えになる。

尺貫法からの切り替えの抵抗は道具だけだが(永六輔のような文化的な話は別)、数えの場合は既に生きている人間にしみついた体系があるから切り替えは厄介だったのかもしれない。



で、私は1957年の年が明けると2歳になった。
ということは2017年は数えだと62歳。つまり数え60歳になったのは2015年正月である。丙申ではなくて、これから乙未きのとひつじの年が始まるときだ。60番目の最後の年だから頑張れとは言えても、暦が戻るのではないから、還暦というのはおかしい。

つまり還暦は昔の数えでなく満で年齢を呼んだ方が良い。

昔はどう折り合いをつけていたのだろう、と還暦が過ぎて今日気が付いた。


千駄木菜園 総目次

0 件のコメント:

コメントを投稿