2017年9月13日水曜日

第38 アヘン会議と阿片窟(田原良純)

国家というのは何だろう?
実体は役人と政治家である。
彼らは人間である以上、行動原理は欲望である。
利益を上げることを至上とする商人から金品をもらい、便宜を図る者も多い。もちろん彼らの利益のために戦争もする。

アヘン戦争とその後のイギリスはひどいものだ。
健康な人をわざと病人して、死にそうな病人から金をむしり取る。
利益関係の外にいる国から見たら、これは許しがたい非人道的行為である。

阿片に関する上海国際会議の報告記事があった。
薬学雑誌 1909年度 492頁
報告者は田原良純である。

明治42年、アヘン戦争から67年、清は国民の阿片中毒に難儀していた。
それを見かねた正義漢アメリカの主唱で13カ国35人が、この年2月、米人経営のパレースホテルに集まる。ほとんどが外交官、事務官であったが、日本代表は宮岡法学士、高木医学士(台湾医学校長)、田原薬学博士の3人。

「歓迎の辞が終わって、議長を選挙する下相談になって居ったところ、突然フランスの委員が欧州での会議の慣用語はフランス語であるから、フランス語にしてもらいたい、という建議を出し、すぐロシアの委員が賛成したのです。・・・・後で英語のほかに仏語も会議用語に加えられましたが、仏露委員のほかは誰も用いませんでした」

会議はまず1日に三カ国ずつ自国の阿片事情について報告、討議した。
「問題の支那は阿片を飲むもの1345万人もいて、年間1022万貫も消費しており」半数はイギリスがインドから持ち込んでいた。1906年に今後10年で阿片を禁止するという大詔が発せられたものの、イギリスが売るものは条約上やめさせられない。

一方イギリスはインド統治の大財源だからやめたくはない。
しかし世界の世論が逆風のため、この会議では、清国の国内生産を禁ずるという条件で3年間だけ10分の1ずつ輸出を減らし、3年後に再交渉することを決定した。

わが国は安政5年に井伊直弼が英国と条約を結ぶ時に、阿片を輸入してはならないとしたから助かった。
日本領となった台湾は、それまでの中毒者に鑑札を渡し、専売制度にして治療を奨励したから服用者は毎年8千人ずつ減っている、と報告したので各国の評判も良かった。

しかし、清国の委員が近年この国で阿片のかわりに流行し始めたモルヒネ注射や戒煙剤(モルヒネを含む)の多くが日本から輸出されていると各国に訴えたため、薬業者の代表でもある田原は肩身の狭い思いをしたようだ。

田原は会期中、上海に多くあった吸煙館を見に行っている。
「隣室に入ったら100人ばかりも居りました。皆、台の上に1組2人宛向かい合って臥て居て、その顔と顔の間に小さいランプがあって阿片の煙管を持って横になりながらチウチウ吸って居る。中には愉快そうに寝ている奴もあり、また眼が醒めているのもあり・・」

「支那はこの煙館を片端から閉鎖することにしたのだが外国の居留地は権力が及ばぬから頼むより仕方がない。英米は早速応じたが、フランス租界は熱心でなかったのでフランスは少し面目を失った様にみえました」。
記事は4月の総会学術演説会の要旨であるためか、珍しく口語文である。

中華民国成立は1912年だから、当然薬学雑誌では支那と書いている。
今気が付いたのだが、この原稿を最初に書いた9年前は変換されたのだが、いまは漢字変換されない。Chinaと同じなのに使ってはいけないということなのかな? 
東シナ海とあるから片仮名はいいということか。
カタカナより漢字のほうが丁寧な気もするが。


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