2018年3月29日木曜日

金沢3 浅野川・中の橋、茶屋町

薬学会は昼休みが2時間ほどある。
ポスター会場周辺で知人と旧交を温めて昼食というパターンもあるが、一人で外に出てランチがいい。2時間あれば相当歩ける。
2018-03-26尾上神社
主祭神は藩祖前田利家。
神門はずいぶんハイカラなデザインだが、建造は明治8年とあり納得。

中の細工はお見事。
学会昼休み中なので時間がなく、通り抜けてお城に向かった。

お城からの帰り道。しいの木迎賓館
1924年竣工、2002年まで石川県庁として使われたという。

四高は金沢大学の前身であるから、城にあったと思う人もいるかもしれない。
しかしあそこは第九師団司令部と7連隊兵舎。自由バンカラな旧制高校学生と規律厳格な軍隊では近づくことさえ危険である。
3/26 ここも時間がなくて素通り。

翌日も金沢を歩く。
3/27 近江町市場 海産物の匂い。

34年前で覚えているのは、犀川のほとりの料理屋で食べたこと。〆がそばの実の雑炊(おかゆ)だった。私は初めて見て、先輩が教えてくれた。当時はそば殻の枕を使っていたけど、実をみたのは後にも先にもこのときだけ。

犀川あたりに行けば何かを思いだすかもしれないと思ったが、近江町市場から遠いので、まだ見たことのない浅野川に行くことにした。
途中、古い家が並ぶ裏通りに入ったら泉鏡花記念館。
前を外国人カップルが歩いていた。東京と違いアジア人より白人が多い。

浅野川大橋を渡り、ひがし茶屋街へ
34年前は犀川の近くで食事したが、こちら方面は来なかった。
会期中3日間の最高気温は19,19,22度。歩くと汗ばむ。
すべて営業しているのだろうか。
これだけあるということは、金沢にそれだけ財力があるということ。

歩いてみたいが時間がない。

橋を戻って主計町茶屋街。
加賀藩士・富田主計の屋敷があったからという。主計をなぜ、かずえと読むか?
律令時代、税の徴収をした部局は「かずえのつかさ」といった。そこらあたりからか。
上の写真の裏どおり。

浅野川にかかる中の橋
今回の金沢で最も感心したものの一つ。

このあたり、茶屋街から離れ、観光客もいない。歩行者専用の生活道路であるが、擬宝珠付きの木造の欄干、桁隠しもついている。何も塗っていない白木は維持、補修が大変ではなかろうか。

普段の生活者がいる道で、汚い商業看板もなく、ごみもおちていない。
こういう橋や街を毎日見て育つと、着るもの食べるものに対する美意識は、当然我々と異なってくるだろう。
立ち居振る舞いからして品格が違うのではなかろうか。

お城からの帰り道、香林坊あたりにグッチやルイヴィトンなど一流店がセンス良く並んでいたのも、茶屋街と正反対なようでいて、根っこは同じかもしれない。
もちろん加賀料理などもそこに入る。
2018-03-27

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