我が家は専業農家だった。
田畑を売らずに、農作物の売り上げだけで暮らし、父たちは私、妹、弟、の子供3人とも大学に出してくれた。当時の田舎では珍しい家だった。
作物の個々の売り上げは小さいから、重労働であったと思われる。我々も子どものころから当然のように草取りや収穫、ときに夕飯後にまで及ぶ荷造りなど手伝ったが、ほとんど遊び半分、役に立っておらず、父たちの能力と勤勉さには頭が下がる。
その父が死んで8年。
ぶどう畑は人に頼んで借りてもらっているが、まだ農地はある。
勤め人の弟(58)は、土日と早朝に農作業する。
先日、ジャガイモと玉ねぎを段ボールにたっぷり送ってもらったが、彼が作るのは自家用だけだ。
ここしばらく彼の一番の作業は、毛虫退治と草取りというが、
笑うに笑えない。
アパートの近くは消毒もできないし、また農薬を買うお金も、大量の消毒液を調製し噴霧する手間暇もない。毎日見回って、柿やくるみの枝にアメリカシロヒトリなど見つけたら、梯子で枝をそっと取って足でふみつぶすらしい。
雑草はもっと厄介だ。
隣の畑。
畑は放置すれば草だらけになり、その種子や病害虫を周辺にまき散らし、大きな迷惑となる。
弟は近所に申し訳ない、と雑草退治をするのだが、いまや周囲も高齢化で手が回らない。雑草だけの畑も珍しくなく、文句を言う人もいないだろう。
家庭菜園と違い、手で草取りするわけにいかず、彼はトラクターで掻き回す。
しかし放置するだけだから、また根がついてしまう。
特に雨の前後は枯れない。
2018-08-14
枯らすには、晴天が続く日にやらねばならぬが、今年は長野といえど酷暑が続き、そのなか、もうもうと土埃の中を作業する。この辛さを思えば、都会で熱中症を心配することなど、甘っちょろすぎて話にならない。(だから昨年まで我が家にエアコンがなかったことなど何でもない)
農地の一角が、ワラビ畑になっていた。
父が山からコゴミとワラビを取ってきて畑の一角に植えたものが大繁殖した。野生のものは強く、毛虫もたからない。
しかし売り物にするには、採取、包装という手間暇かかるから、ここ何年も放置するだけだ。
母は元気な時、楽しみで少し取っていたようだが。
放っておくと地下茎を伸ばし、一面、山の草原のようになるので、弟は草取りを兼ねてトラクターで周囲を四角に刈り込むように、拡大を防いでいる。
写真右がつい先日トラクターで掻き回した部分、手前は少し前に掻き回したが再び雑草だらけになった部分である。
ナシは、毛虫にやられ、葉がない。
ひとつ採ってかじったら渋くて吐いた。
実が小さいのは、虫で葉がなくなったせいか、手が回らなくて摘果をしなかったせいか、酷暑で水がなかったせいか、理由がありすぎて分からない。
1つの作物にかかる手間は多く、期間は長い。
種をまいたり、植えたりしても、その後の多くの作業の一つでもさぼれば、まともな収穫に至らない。スーパーで一番安いものすら、どのステップも抜けていない。
フルタイムで働いている弟は、本業で疲れていることもあるだろう。風邪をひいても雨が降っていても、なんとか畑に行かないと、1つでもステップをさぼれば、それまでの作業が無駄になってしまう。
トラクターで雑草を掻き回して作った「畑」も、とくに植えるものはないようである。
収穫までずっと面倒を見る自信がないのであろう。
畑をタダでもいいから貸したいのだが、借りる人は誰もいない。
誰も農業をしない。
専業農家は難しくても、せめて夫婦のうち一人が専業で畑に出ればなんとかなるのだが。
幸か不幸か、周辺は駅に近いから、宅地として売れる。
もっと過疎の飯山などから降りてきた人や、親との同居を嫌う若夫婦などがどんどん家を建て、懐かしい景色が毎年消えていく。庭のない、駐車場だけの、狭くて安っぽい家である。
若者は離農し、年寄りは動けなくなって、かつての田園は消えてしまった。
クルミの木も毛虫にやられていた。
母が元気な時は1つずつ殻を割って、砂糖をまぶして炒ってくれたものだが、もう望めない。
クルミは虫に葉を食われると、外見は普通でも、殻の中の実が熟さない(大きくならない)ことを数年前に知った。
もう切り倒した方がいい、と弟に言った。
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