母の弟、柳沢の叔父は79歳になる。
10年ほど前、心筋梗塞で倒れ、幸い一命をとりとめた。
8月14日、1月に亡くなった従兄の新盆で同じ柳沢に来たから数年ぶりに寄ってみた。
彼はずっと農業をやってきた。
非常に穏やかな人で、(大げさでなく)怒ったところを見たことも聞いたこともない。
働き者で、彼の作る果物はとても甘く、合理的に考える私の弟すら
「作物の味は作った人の人柄が現れる」なんていう。
私は、土地と作り方が優れているからだと思うが。
叔父の趣味は錦鯉を買うことだった。
私が小学生のころだから、叔父がまだ20代の頃か。すでに近くの畑でリンゴの木の下にコンクリートでいくつか真四角な池を作り、ドジョウも含め、いろんな魚を飼っていた。事業化も考えていて、
「米のとぎ汁も流せば餌になる」
「頭に日の丸のある鯉を作りたい」と言っていたのを覚えている。彼の祖父はブラジルに移民したことから、そういう鯉は海外邦人の人々に喜ばれると言っていた。
あれから50年、60年、畑の池はどうなったか知らないが、母屋の庭先には相変わらず鯉と金魚が泳いでいた。「東錦」という自慢の金魚がいて、石の下に隠れているのを無理やり棒で追い出して見せてくれた。
なお、これらの写真は全て別々の池である。
石を配置して日本庭園の池のように作ったものの、すべて養殖池になっていた。
写真を撮り始めたら、さらに自慢の魚を出してくれようと棒を差し込んだので、そんなことをしなくてもいいと、慌てて制した。
こちらは裏にあった水槽。
当然、自分のところで孵化もさせていて、小さな錦鯉(黒が多かった)や金魚が泳いでいた。
とてもまじめな人で、趣味も若いころから脇目を振らず、観賞魚一筋であった。
畑に連れて行ってもらった。
今年は雨が少なくて、桃が大きくならないという。
スプリンクラーのある畑は大丈夫だが、ここはその設備がなく、例年の半分の大きさで、すべて売り物にならないらしい。
せめて少しでも大きくしようと、後になって(実が大きくなってから)摘果したとかで、下には桃が散乱していた。一つ拾って食べたら甘かった。
桃の木に青大将が休んでいた。
そういえば、子供のころ、生涯で一番巨大な蛇を見たのは、この近くの夜間瀬川だった。
小さいが甘い桃をいっぱいもらって帰る途中、千曲川をみたくなった。
いつもは弟に乗せてきてもらうから、遠慮して勝手な寄り道はできないのだが、今日は車を借りて一人で来た。
昔、この場所で、すぐ足元を大量の水がすごい速さで流れるのを見て、滑ったら死ぬなと、後ずさりした覚えがある。今年は雨が降らないせいか、水量も少ない。落ちたら死ぬかもしれないが、かつての恐怖はなかった。
千曲川はこの先で夜間瀬川と合流、左に蛇行して飯山に向かう。
山麓に見える集落が柳沢。
86才になる母は子どものころ、この川で泳いだというが、どのあたりだろう。
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