10/21の散策はまだ続いている。ブログ4つ目になる。
三浦坂下からそのまま不忍通りに続く通りは根須観音通り商店会という。しかし商店ほとんどなし。
藍染大通りに出る。
根津千駄木下町祭りで、和太鼓のパフォーマンス
この道は戦前から広かったらしい。
(1つ上の写真の根津観音通りと比較)
渡辺治右衛門があかぢ坂上の自邸まで馬車だか自動車で帰るのに、広くしたという。
恐らく道の両側も彼の地所であったのだろう。
かつて藍染め大通りの南側に古本屋、石川書店があった。学園祭の古本市に出して売れ残った本をここで売ったことがある。
コーン・スタンプの「生化学」とか。
あと、月刊明星、平凡の付録の歌本だけ100円で売っていて、持っていなかった古いものを何冊か買った。
その場所が何処か分からず、
「古本屋さんがこのあたりにありましたが」とお祭り実行委員会のテントの人たちに聞く。
地元の年配者ばかりが暇そうにパイプ椅子に座っておられ、全員知っていてすぐ教えてくれた。他のお店のことまで親切に教えてくれるも、私はほとんど記憶がない。
とにかく石川書店は家具の岡本の向こう、芋甚の手前という。
藍染め大通りは、かつては店がいっぱいあった。
今見れば、森まゆみ「不思議の町 根津」(1992)には減ったとはいえ、石川書店はじめまだ多くの店が地図に載っている。
あったころはとくにありがたみも感じなかったが、きれいになくなると寂しいものだ。
むしろ路地の方が変わらない。
この奥に杏屋だったか、杏子屋だったか、喫茶店があった気がする。
そうそう、かつて谷中荘の中尾氏が京都に行ってきて、「いいだろう」と町家の写真を見せてくれた時、「なんだ、根津の裏道みたいじゃないか」といってがっかりさせてしまった。不忍通りと並行する通りはそんな感じだった。
藍染大通りをそのまま西に歩いて不忍通りを渡って振り向く。
左の角は今、根津よし房(そば)
私のいた頃は有名な八重垣食堂だったはずだが記憶なし。
その前は倒産する渡辺銀行だったという。
写真に見えるテート薬局は帝都薬局で古い。
そのむこう、角のマンションあたりに貸本屋「なかよし文庫」があった。
本駒込時代と違い、研究室配属になって本をほとんど読まなくなっていたこともあり、入ったことはなかった。そういえば駒場にも貸本屋があった。TSUTAYAとおなじく、借りる人は借りるし、借りない人は借りない。習慣の問題か。
不忍通りと並行する裏道を南下する。
根津は古い家が多い。
建て替えしないのは借地が多いのだろうか。
そのまま南に走り、
言問い通りに出るあたり、この辺りで買い物したり食事した。
右は肉屋で、100グラム100円の鳥唐揚げをよく買った。
左の角は八百屋だった気がする。
言問い通りに出て赤札堂側にわたる。
根津の交差点を経て弥生坂方面をのぞむ
交差点角の吉野家がなくなっていた。
前回来たときはあったのに。
1977年の12月から78年の正月にかけて、本駒込~向ヶ岡寮、谷中真島町、と引越しが続いたときで、自炊も出来ず、吉野家で何回か食事した。少しでも量が多いのではないかと牛皿とご飯を注文、紅ショウガをたっぷり食べた。いつも夜遅かったせいか客はほとんどいなかった。
同じころだったか、何かの飲み会の後、弥生坂の上だったか、根津交差点だったか、普段無口な石黒氏が、二次会はどこに入ろうか迷っている我々に「おい、牛丼パーティやろうぜ」と大声で言ったのを覚えている。
その弥生坂
昔は上が一帯、水戸藩中屋敷だったから道がなく、しばらく獣みちだったようだ。
明治11年の地図を見れば、動坂、狸坂、狐坂、団子坂などはあるが、根津権現裏門坂から南は、池之端の無縁坂まで道はなかった。
交差点を渡っても弥生坂の勾配はなかなか写真にうつせない。
1979年の台風では坂の左がわにあったイチョウが歩道側に倒れた。
今は亡き吉野家の跡地を見る。
目を南に転ずれば
赤札堂
今は1階生鮮食品、2階加工食品、3階ホーム雑貨だが、
当時は、1階は食品だったが、2階は洋服売り場だった。
1280円くらいの安いワイシャツやポロシャツをよく買った。
たまに上野広小路の赤札堂まで自転車を走らせた。
なくなった吉野家の並びに、不動産屋があった。
谷中のアパートはそこで見つけた。
ひょっとして、とファイルを探したら、引っ越した当初に交差点をうつした写真が1枚だけあった。
2013-05-19長野の弟と自転車で五月祭にいく
拡大したら吉野家の4軒となりに不動産屋も見えた。
さて、家を出てから1時間、お昼だから帰ろうと思ったら、吉野家がかつて八百屋さん?だったところに移転しているのを発見。
2018-10-21
そのまま裏道を北にむかって家に帰る途中、
谷中のアパートから不忍通りに最短距離で出る道にでた。
ここを西に行けば不忍通りと根津神社裏門坂(日医大通り)の交わる三つ角にでる。
カーブを緩やかにするため、東側をごっそり削って拡張した。
歩道が広くなるのは嬉しいが、マンションで景色がガラッと変わるのは残念だ。
文京区というのは本当に開発という名のマンション建設が好きである。
削られた中に、この左側、谷中に近いほうに銭湯、梅の湯があった。
三崎坂の朝日湯より近く、真島湯が休みの時はここに来た。
一時、密かにあこがれた古川賀洋子氏もこの銭湯だと言っていた。
あと、やはり削られた場所に喫茶店もあった。
(たぶん私が指定して)ある人と待ち合わせたのだが、先に行ったらインベーダーゲームがうるさくて汚かったことを覚えている。それで外で待って他所に行ったか、そのまま入ったか。
このときは病院薬剤部のIさんに会って問題集をもらったように思うのだが、どうしてこの場所だったのか、なぜ来てくれたか、といった疑問が出てきた。もらったのは違う場所で、この喫茶店は彼女とではない気がしてきた。
いろんな可能性を考えていると、それがうっすらした記憶と混じって、どれもが経験したことのように思えてくる。つまり空想と過去の事実が混じる。
こうなると、思い出そうと努力するほど、貴重な記憶を歪めてしまうことになる。
脳と記憶のはかなさを感じる。
千駄木菜園 総目次
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