徴用工問題、レーダー照射事件のあと、2回、上野公園を訪れた(12/23と1/6)。
清水堂と上野の森美術館の間、つまり彰義隊墓所の北側に王仁(わに)博士顕彰碑がある。
上野公園は通り道として使ってきたが、ここは普段通らない。
だから存在は気づいていたが、とくに興味がなかった。
昔はもっと木が多くて目立たなかった気がする。
2019-01-06 博士王仁碑
記紀によれば、王仁は百済の人で、応神天皇の時代(5世紀初め?)に「論語」と「千文字文」を日本に伝えたという。
しかし実在を疑う学者もおり、あくまでも伝説である。
ただし、漢字や論語だけでなく、土木、建築などの技術、文明が朝鮮半島から来たのは間違いない。
任那と北九州は深い関係があったし、百済が新羅に滅ぼされたとき多くの遺民が渡来したから、文明はむしろ多数の渡来人によって長い時間をかけて伝えられた。
それがなぜ一人の王仁氏なのか?
大阪枚方に墓があるらしい。
こんな実在も危ぶまれている人の墓がなぜ枚方にあるか?
枚方との関係は何かというと、オニ(鬼)墓というものがあり、江戸時代に地元の僧が、のちに京都の儒学者が記紀にも出てくる「王仁」のものだと主張したらしい。
昭和になると併合した朝鮮を皇民化するため(内鮮一体)、この墓は史跡化され、さらに上野にも顕彰碑が作られた。
正碑
こんな昔から朝鮮半島と日本は仲良かったのだ、日本人よ、朝鮮の人々をもっと大事にしろ、朝鮮人よ、誇りを持て、というものだっただろうか。
(もっとも、朝鮮の人々から見たら、内鮮一体など、腹立たしいものだろう)
碑文は紀元2599年(1939)だが建立は1940年
東大文学部長を務めた哲学者、井上哲次郎も名を連ねている。
国策による建立である。
1940年の除幕式には陸軍の荒木貞夫、林銑十郎らが出席、各大臣、朝鮮総督、東京府知事などが祝詞を送った。
左隣の副碑は1941年建立
とにかく、悪しき日帝時代の暗い遺物といえる。
ところが、今回来てみたら、もっと酷いことになっていた。
右側に新しい碑ができていたのだ。
今度は伝説の人をはっきり絵で実在化させた。
しかもなぜか全羅南道霊岩で生まれたことになっている。
王仁は日本書紀、古事記にしか出てこなくて、半島の文献には全く出てこないし、伝承もない。それが何で生誕地まで決まったかというと、
1968年に農協視察のために来日した金昌洙という愛国者である。
ネットによると、
金昌洙は日本で王仁伝承を知り、資料を集めた。帰国して民族主義にもとづく王仁研究所を設立、1972年、中央日報に「百済賢人、博士王仁 日本に植え付けた韓国魂」を15回連載した。このとき霊岩郡の青年会議所会長から巫女の証言で当地に祈祷伝説があると情報を提供され、金昌洙は当地を王仁の生誕地と決めてしまったのである。
あまりに見事な「歴史のねつ造」である。
裏を見れば、建てたのは社団法人韓日文化親善協会。
名前を見れば全員、朝鮮半島(韓国?)の人。
建立は2016年10月だから2年前。
従軍慰安婦の像があっちこっちに建てられ問題になっていたころである。
そもそも、王仁は実在が不明で、実在したとしても中国文明を日本にもたらしたのは、彼一人ではない。百済の遺民、鬼室集斯などは日本で学職頭(いまでいえば文部大臣兼大学総長)にまでなったほど、立派な学者が多く渡来した。
王仁ひとりだけが有名になったのは、枚方の場合は発見者の功名心と地元の応援、昭和の上野の場合は、内鮮一体という国策への利用。
大人数ではシンボル性がないから、一人でなくてはならない。
日本では忘れられたのに、いまここで韓国の人々によって復活されたのは、協会名にある「日韓親善」などではなく、間違いなく、自分たち韓民族の優位性を示したかったからである。
まあ、気持ちがわかならいこともない。
しかし台東区は設置を許可すべきでなかった。
理由は
1.すでに2つ王仁の顕彰碑があり(暗い遺物)、ご丁寧にも2013年に台東区はハングル語も入れた説明版も設置した(これも不要)。
どう考えても隣にもう一つの碑は不要。
上野公園はいろいろ設置しすぎる。もっと静かな公園にすべきである。
2.この碑は決して日韓親善にはならず、韓国人はこの「歴史」を根拠に、ますます民族意識を高め、過去の恨みを増すだけである。
1910年の韓国併合は、日本の失策。返す返すも残念である。
香港や台湾と違い、独立国をそっくり奪ってしまった。しかも、相手は2000年もの間、宗主国、大中国の第一番の弟子であり、日本のことなど目下に思っていた誇り高き国家である。
民族性として喜怒哀楽も激しい。
昔は欧米列強も同じ帝国主義だったと言っても、理由にならない。
相手からしたら恨み骨髄まで沁みているはずである。
謝るしかない。
終戦から74年、賠償問題を解決した日韓基本条約から49年もたつのに、なおも悪化し続ける日韓関係について、今後どうすればいいかというと、まず双方とも国家を意識しないこと。
個人的には仲のいい人がいるはずだから、その関係だけで進める。
「韓国の優位性顕示」というナショナリズムに基づいた王仁顕彰碑(しかも歴史のねつ造)など、双方にとって百害あって一利なしである。
韓国の人々は日本人と考え方、常識が違う。
そこに過去の恨みが加わった。
悔しいけれども、レーダー照射事件はあきらめて、もう不問、話題にしないほうがいい。
いくら証拠を出しても、思考法が違うんだから、かみ合わない。理性が通じない。
徴用工問題も、国が出ずに会社、もっと言うと、下っ端の担当者だけのらりくらりと相手をすればいい。
それでは決まらないが、それがいいのである。
とにかく、どちらが優れているとか劣っているとか、それを示すようなものは避ける。
顕彰碑などで彼らの気持ちが収まるわけではなく、むしろ「こんなに文化を教えてやったのに、あの仕打ちはなんだ?」と怒りにエネルギーを与えるだけである。
韓国が戦後生まれの人ばかりになって日韓併合を知る人がいなくなれば、反日が収まるという人がいるが、私は違うと思う。韓民族は何百年たっても自国に誇りがある限り、反日であり続けるだろう。
未来志向なら、歴史をみるのではなく(見れば見るほど怒りだす)、なるべく蓋をして、なるべく国を意識しないようにするべきである。
2018-12-23
ところで旧臘きたときは古い板のようなものが積んであった。
こういうものに書かれて運ばれたものなのか、それとも半島では墓前などにこういうものを置く習慣があるのか、私は知らない。2週間後に再訪した時はなくなっていた。
記念碑というのは、無造作に設置してはいけないと思う。
ところで、今回ネットを見て驚いた。
佐賀県神埼市は、王仁博士の上陸地点ということで、つい最近2018年8月、王仁博士顕彰公園をオープンした。霊岩郡の支援でつくられた百済門の前で、テープカット、日韓関係者が歓談した。巨大な千字文碑や交流館もある。
玄界灘に面していない内陸なのになぜ上陸地点か?
根拠は鰐神社があり、王仁天満宮と書かれた石祠があるというだけ。
そもそも「伊勢参りに船で行く途中、鰐に襲われたため、当地に鰐大明神をお祀りした」という伝説から有明海が深くまで来ていたと無理やり解釈した。そこへ市の観光課がはりきったのか、妄想なのか、伝説の人の上陸地点になってしまった。
歴史を勝手に作るのは韓国人だけではないようだ。
根拠は鰐神社があり、王仁天満宮と書かれた石祠があるというだけ。
そもそも「伊勢参りに船で行く途中、鰐に襲われたため、当地に鰐大明神をお祀りした」という伝説から有明海が深くまで来ていたと無理やり解釈した。そこへ市の観光課がはりきったのか、妄想なのか、伝説の人の上陸地点になってしまった。
歴史を勝手に作るのは韓国人だけではないようだ。
神崎市も台東区も日韓親善のつもりなのだとしたら、すこし頭がおかしい。
歴史というのは、単純善人の無知な行為に、思惑を持った人がのっかり既成事実化させ、このように作られていくのかもしれない。
http://www.ksyc.jp/mukuge/181/ikou.html むくげ通信
https://ameblo.jp/noboryoma/entry-12095870743.html
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