2019年2月5日火曜日

目黒・防衛省2 幹部学校と池のあと

(続き)
艦艇装備研究所(旧海軍技術研究所)本館と大水槽をみたあと、西に歩くと坂上に至る。
ここを下りると学校地区。

道の左側はだんだん段差が広がり崖になるが、
15年ほど前に来たときはコンクリートの擁壁ではなく、樹木が鬱蒼とした土の斜面だった気がするのだが記憶もあいまい。

坂を下りると、意味もない門のようなものがあり、ここから西が学校地区となる。


幹部学校というと、いかにも軽い。
しかし、海上自衛隊幹部学校と言えば、むかしの海軍大学校である。
兵学校出身のエリートであった士官の中からさらに選抜され、10~20人が教育を受けた。最後の校長は、最後の連合艦隊司令長官小沢治三郎が兼任した。

目黒駅東口にあった重厚な鉄筋コンクリートの海軍大学校本館は戦後、国立予防衛生研究所となり、私は学生のころ、1979年?ペニシリン検定用の細菌株をもらいに行ったことがある。予研が新宿戸山に移転した後、1999(平成11)年に壊され、今はマンションになっている。


その伝統ある海軍大学校の後身が、陸軍大学校の後身や、新設の航空自衛隊幹部学校、統合幕僚学校と一緒くたに、植え込みも庭もない小さなビルに収まっている。
命を預かり、また命をかける将官を育てるのに、このような事務所のような建物では何とも寂しい。海軍大学校あるいは陸軍大学校(青山中学)の建物を残してほしかった。


2005年ころ、ダンスパーティに来たときは幹部学校正面玄関から入り、エレベーターで上がって、渡り廊下で東隣(写真一番左)の講堂棟の会場にいった気がする。

幹部学校の向かいは厚生棟

左奥の方が幹部食堂入り口。
メニューは同じだそうだ。
ここで食べようとすると何か届を出さなくちゃならないようで、案内のK氏は、面倒だから恵比寿駅の方に歩いて外食していたらしい。

基地医務室2Fと書いてあるので近づいてみた。

医務室のほかに理髪店、クリーニング、売店、カウンセラー室もある。

隊舎棟
目黒地区で働いている隊員のためのものなのか、全国から集まる幹部学校学生のためなのか、聞き忘れた。いずれにしろ、住んでいる方がいるから食堂など厚生棟が必要なようだ。

幹部学校前から艦艇装備研究所方面を望む。

以前来たとき、左側はグランドだったような気がするが気のせいかもしれない。
今は小さな駐車場とテニスコートの向こうに中目黒公園、その向こうに東京共済病院がある。もちろんすべて海軍、自衛隊の土地だった。

東京共済病院は、国家公務員共済組合の病院だが、もとは海軍技術研究所とともに築地から移転してきた海軍病院が前身である。

中目黒公園は平成14年開園、22,074平米という。目黒区が国から買ったのだろうか。

戦前の海軍研究所時代は、目黒川沿いの低地である学校地区に大きな池があった。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/technom/875/0/875_KJ00003227190/_pdf
から引用(佐藤隆一、2003)


その旋回実験池は、船の回転性能を見るもの。
最大長215m、最大幅130m、水深4m、面積21,500平米の大きな池だった。
人間が乗った長さ8-10mの大型模型船で旋回軌跡をカメラで記録した。
goo地図、昭和22
池の中央に撮影カメラの鉄塔も見える。
円形水槽は建設中に終戦になった。

1975年4月、上京して真っ先に買った地図
まだ池があった。
しかし一帯は科学技術庁。
KDD研究所もある。


幹部学校の裏に回ると、工事現場のような雑然とした中に使われていない門があった。
なお、住所というのは正門のある場所で登録される。


艦艇装備研究所も幹部学校も、住所は目黒区中目黒2丁目2−1である。
しかし恵比寿からくる正門は渋谷区。
このことから、この裏口のような、使われていない門で登記されていることが分かる。

朝霞駐屯地も大部分が埼玉県だが、正門が練馬である。
練馬駐屯地が別にあるから、名称は朝霞のままだが、都内勤務になるそうだ。


千駄木菜園 総目次

0 件のコメント:

コメントを投稿