(続き)
艦艇装備研究所(旧海軍技術研究所)本館と大水槽をみたあと、西に歩くと坂上に至る。
ここを下りると学校地区。
道の左側はだんだん段差が広がり崖になるが、
15年ほど前に来たときはコンクリートの擁壁ではなく、樹木が鬱蒼とした土の斜面だった気がするのだが記憶もあいまい。
幹部学校というと、いかにも軽い。
しかし、海上自衛隊幹部学校と言えば、むかしの海軍大学校である。
兵学校出身のエリートであった士官の中からさらに選抜され、10~20人が教育を受けた。最後の校長は、最後の連合艦隊司令長官小沢治三郎が兼任した。
目黒駅東口にあった重厚な鉄筋コンクリートの海軍大学校本館は戦後、国立予防衛生研究所となり、私は学生のころ、1979年?ペニシリン検定用の細菌株をもらいに行ったことがある。予研が新宿戸山に移転した後、1999(平成11)年に壊され、今はマンションになっている。
その伝統ある海軍大学校の後身が、陸軍大学校の後身や、新設の航空自衛隊幹部学校、統合幕僚学校と一緒くたに、植え込みも庭もない小さなビルに収まっている。
命を預かり、また命をかける将官を育てるのに、このような事務所のような建物では何とも寂しい。海軍大学校あるいは陸軍大学校(青山中学)の建物を残してほしかった。
2005年ころ、ダンスパーティに来たときは幹部学校正面玄関から入り、エレベーターで上がって、渡り廊下で東隣(写真一番左)の講堂棟の会場にいった気がする。
幹部学校の向かいは厚生棟
左奥の方が幹部食堂入り口。
メニューは同じだそうだ。
ここで食べようとすると何か届を出さなくちゃならないようで、案内のK氏は、面倒だから恵比寿駅の方に歩いて外食していたらしい。
基地医務室2Fと書いてあるので近づいてみた。
医務室のほかに理髪店、クリーニング、売店、カウンセラー室もある。
隊舎棟
目黒地区で働いている隊員のためのものなのか、全国から集まる幹部学校学生のためなのか、聞き忘れた。いずれにしろ、住んでいる方がいるから食堂など厚生棟が必要なようだ。
幹部学校前から艦艇装備研究所方面を望む。
以前来たとき、左側はグランドだったような気がするが気のせいかもしれない。
今は小さな駐車場とテニスコートの向こうに中目黒公園、その向こうに東京共済病院がある。もちろんすべて海軍、自衛隊の土地だった。
戦前の海軍研究所時代は、目黒川沿いの低地である学校地区に大きな池があった。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/technom/875/0/875_KJ00003227190/_pdf
から引用(佐藤隆一、2003)
最大長215m、最大幅130m、水深4m、面積21,500平米の大きな池だった。
人間が乗った長さ8-10mの大型模型船で旋回軌跡をカメラで記録した。
goo地図、昭和22
池の中央に撮影カメラの鉄塔も見える。
円形水槽は建設中に終戦になった。
1975年4月、上京して真っ先に買った地図
まだ池があった。
しかし一帯は科学技術庁。
KDD研究所もある。
幹部学校の裏に回ると、工事現場のような雑然とした中に使われていない門があった。
なお、住所というのは正門のある場所で登録される。
艦艇装備研究所も幹部学校も、住所は目黒区中目黒2丁目2−1である。
しかし恵比寿からくる正門は渋谷区。
このことから、この裏口のような、使われていない門で登記されていることが分かる。
朝霞駐屯地も大部分が埼玉県だが、正門が練馬である。
練馬駐屯地が別にあるから、名称は朝霞のままだが、都内勤務になるそうだ。
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