中高一貫男子校、山手線巣鴨から3分、駒込駅からも7分。
都会にありながらグランドは広く、ラグビーが盛んで、そこそこ進学実績もある。
7月11日、千駄木の家から歩いてきた。
豊島区駒込にあるのになぜ本郷か?
創立者は松平賴寿(よりなが、明治7 - 昭和19年)
最後の高松藩主、松平頼聰の八男ながら家督を継ぐ。
30年以上貴族院議員を務め、それまで公・侯爵しか就かなかった貴族院議長に伯爵として初めて就任した。
教育にも熱心で本郷区の教育長をつとめた。
屋敷は本郷区にあったのだろうか?
本邸は水道橋とあったが、高松藩下屋敷は水道橋の近く、都立工芸高校 宝生能楽堂のあたりである。
本郷学園の公式サイトによれば
今から約95年前、日本は義務教育が普及して、上級学校の中学校の数が足りなくなっていた。例えば誠之小学校を卒業しても近くに中学がなかった。
そこで当時、本郷区の教育会長であった松平賴寿伯爵が中心となり、区内に新しい「本郷中学校」の開設が計画された。
ところが、区内では良い場所が見つからず、当時賴寿伯爵の母(千代子、井伊直弼次女)が住んでいた染井邸の一部に1922年、校舎を建設した。
1909(M42)
まだ藤堂邸が大きい。尾張屋版江戸切絵図(嘉永7年)では松平時之助(大和郡山柳沢家)の北はずっと山手線を挟んで藤堂和泉守の下屋敷だった。明治になり、柳沢家は三菱いま六義園に、また線路の北、藤堂屋敷の一部は高松松平家などに変わった。
1932(S7)
本郷中学ができたが松平邸はまだ大きい。藤堂邸は消えている。
新設中学の場所は本郷区ではないが、開校のために区民から多くの寄付があったことや、「本郷区内に新しい学校を」という人々の強い思いを今に伝えるため、「本郷」という名を残したという。
豊島区という言葉がなかったから抵抗はなかったのであろう。
駒込駅側から入り、幼稚園児を送ってきておしゃべりするお母さん方の脇を通り抜け事務室の前に行くと銅像がある。
2019-07-11
左から
松平頼明先生像 本郷学園同窓会有志
松平賴壽先生像 徳川宗敬書
永井道明先生像 内閣総理大臣鳩山一郎書
中央の松平賴寿については前述。
高松藩松平家は、水戸家徳川頼房(家康の11男)の長男、頼重を藩祖とする。彼は光圀の兄であり、この家は水戸家の分家になる。
賴寿は藩祖・頼重から数えて12代目。
また題字を書いた宗敬は、水戸家12代当主・徳川篤敬の次男、一橋家の養子となり伯爵。母親の聰子が賴寿ときょうだい、また宗敬の伯父、水戸家11代昭武の娘、昭子が賴寿の妻という、何重もの水戸の縁がある。
宗敬は東大を出た農学博士で、賴寿のあと本郷学園の第2代校長に就任、1954年設立の本郷学園もみじ幼稚園初代園長にも就任した。
もみじ幼稚園の銅像は宗敬ではなかろうか?
3つのうち左の像、松平頼明(よりひろ、1909 - 1990)は頼寿の弟、松平胖の長男として生まれ、子のなかった伯父の頼寿・昭子夫妻の養子となり高松松平家13代目となった。2代目本郷学園理事長、4代目本郷中学高校長。
右の永井道明(1869 - 1950)は水戸藩士の家に生まれ、祖父と父は水戸弘道館の師範だった。教育者、体操指導者として東京高師・女高師をへて1923年、創立間もない本郷学園の教頭に就任。実質的には校長職を代行した。
退職後、教え子たちが隣接地に永井体育館を建てた。いまでも本郷学園の体育館を永井体育館というらしい。
1974年、三木内閣で文部大臣になった永井道雄は関係ないらしい。
・・・・
梅雨空の7月15日、海の日に自転車で再訪した。
六義園から染井霊園に向かう染井橋の上に人だかり。
聞くとポケモンGOらしい。
まだ流行っているとは知らなかった。
さて、戦前あれだけ広かった松平邸は、駒ゴルフガーデンや区立駒込中、それからプラウド駒込など多くのマンションになった。
駒ゴルフガーデン
プラウド駒込
旧松平邸の敷地の南はしに松平という表札の家がある。
2019-07-15
1990年に亡くなられた13代当主、松平頼明氏の家ではなかろうか。
屋敷の前は山手線。
電車は谷を通っているので目に障らない。
線路の向こうは本郷区。
当時、線路のこちら側ははるか北方まで広がる北豊島郡の田舎だった。
これでは本郷中学という名前になるだろう。
東隣に新築の家。2013年に来たときはなかった。
松平頼昭・直子という表札。
13代頼明には、頼武(1938年-)頼典(1940年-)と二人の子があり、
長男頼武が本郷学園理事長、高松松平家当主をついだ(14代)。
頼武には頼治1963- 頼昌1966- 頼昭1969- と3人の子がありそのお一方の邸宅のようだ。
ぐるっと回って巣鴨駅側から本郷学園にはいる。
この日はサッカー大会が行われていて、多くの保護者たちが見物していた。正面奥に見える2号館は2014年に完成した。
私が初めて本郷学園に来た2013年は工事中だった。
新校舎は、巣鴨などと同様、少子化時代に志願者を増やそうと、見学に来た母親の印象をよくするため、と伺った。
・・・・
よく考えると、私にとって2013年の変化は大きい。
転職していろんな高校を訪ねるようになったし、千駄木に引越して歴史旧跡が散歩の範囲になったし。
2013年の転機がなかったら本郷学園など一生来なかっただろう。
高松松平家にも無関心だったに違いない。
・・・・
帰りに染井橋を通ったら、10分くらい前に大勢いた人々が一人残らず消えていた。
ポケモンGOのキャラクター出現の場所、時刻は決まっていて発表されるのだろうか?
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