古い雑誌をすべて廃棄するというのでもらってきた1冊。
有機合成化学協会誌。
この協会、1942年12月 商工省より社団法人として許可。
国家総動員法以来、資源は全て戦争に向けるということで学会や雑誌の統合、廃止が行われたが、この時期に新設は珍しい。
戦争遂行における有機化学の重要性、情報交換の大切さを思えば当然であるが。
1942年は開戦半年後の6月にミッドウェーで大敗、8月にはガタルカナルの飛行場を奪われた。その攻防を巡って、10月には南太平洋海戦でホーネット撃沈するも、11月には第3次ソロモン海戦で比叡、霧島が沈没、12月にはガタルカナル撤退が決定、戦局がますます悪化していく時期である。
翌1943年は、4月に山本五十六が戦死、5月アッツ玉砕、ニューギニア、ラバウルが孤立し始め、外地の部隊は飢えと病気で消耗し、11月にマキン・タラワの部隊が全滅、内地はますます物資が不足していった。
そんな時期、10月に有機合成化学協会誌第1巻第1号が発行された。
創刊号の巻頭言は「大決戦の秋」
秋はトキと読まねばならない。
アキと読めばとたんに芋やら栗やら、のどかな感じになってしまう。
「戦局は今や重大である。物的戦力を唯一の頼みとして、消耗を意とせず、執拗に反撃を企図する敵米英に、徹底的痛打を與へ、再び立つ能はざらしむためには、われも亦相対的に物的戦力を増強するほかはない」
と、どこかの国のアナウンサーのようだ。
執筆した牧鋭夫は東大工学部教授(応用化学)。
記事も戦争関連一色。
たとえば山田桜「兵器材料と有機合成化学工業」という総説。
第一次大戦からの爆薬の解説。
こちらはホスゲンなど毒ガスの生産
企業でも大学でも軍に応召されて研究員が不足しているという話。
大卒研究員ならば招集されてもそれなりのところで働かされるからまだ救われるが、実験補助員として教育してやっと一人前になったものは、その技術を考慮されず満州でも南方でも兵隊として前線に送られてしまうという。
また、学生の就職にあたり、飛行機工場など機械の方は人気があるが、化学工業の方は人が来ないとこぼしている。
続く11月号巻頭言は「研究隣組の結成」林茂助
合成マラリア治療剤の解説もあった。
日本は全世界キニーネの95%を生産するジャワを占領したが、独逸イーゲー染料工業会社エルバーフェルド研究所(つまりバイエル)で作られたプラスモヒン、アテブリンの重要性を解説している。
著者・近藤龍は厚生省東京衛生試験所技師 製薬部長 薬博
以後、巻頭言だけ見ていけば
12月号 戦争の現段階が我々に要請するもの
1944年
1月号 有機合成は「科学の粋を集めた果実」なり
2月号 増産を急げ・・・今の一機は明日の10機
3月号 (本なし)
4月号 己を知り敵を知れ
5月号 新資材の創造
6月以降は巻頭言がなくなった。
6月16日に本土初空襲(成都から八幡製鉄所に)
1944年10月号は酒石酸の特集であった。
このナトリウム・カリウム塩(ロッシェル塩)はピアゾ素子と知られ、圧力―電圧の変換に使われる。
すなわち、対潜水艦などの水中聴音器、航空機との電話などに使う重要戦略物質である。戦時中、この情報がドイツからもたらされ、1943年初夏、突然軍需として緊急大量生産を求められた。
酒石酸はHOOC-CHOH-CHOH-COOH であるから、l体、d体、メソ体、ラセミ体が存在する。合成品はラセミ体、メソ体になるため、ワイン樽の壁に着く酒石(d体)が重要原料となる。
ところが日本ではもともとブドウの栽培が盛んでなく、しかも1943年はブドウをワインにせずほとんど生食してしまった。そこで陸軍糧秣本廠の指導で山葡萄を採取したらしい。
座談会では、山へ入って野ばらで着物が破けるとか、マムシが出る、ひっくり返って指を3本切ったとかいう話が出た。
蚕のさなぎからキチン質をとり、それから酒石酸を合成するとか、各研究者、国民は涙ぐましい努力をしているけれども、これでは勝てない。
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