2019年9月25日水曜日

駒込の坂、木戸邸、樹林館

9月22日、千駄木の家から駒込駅まで歩いた。
グーグル地図では1.2㎞、16分。

1977年住んでいた二葉荘を過ぎ、アザレア通りをいく。
目的の一つは坂道を写真にとること。
どんどん景色が変わってしまうから。

不忍通りからアザレア通りに入ってすぐ、左に入る。
このまま進むと左にカーブし、不忍通りの神明坂上に出る。
42年前は散歩の興味などなかったからアパートから駅までまっすぐ歩き、寄り道などしなかったが、この道だけは覚えている。

写真中央奥の緑は神明北公園。
そこに上がるには石段しかない。

そちらに行かず、右折するとなだらかに登っていく。
このあたり、不忍通りも本郷台地も北へ向かっていったものが少しずつ西の方に曲がるため、方向感覚がおかしくなりやすい。この坂(下の写真)も不忍通りと同じように西に向かって登っていく。
振り返って坂上から。
明治のころは道もなく坂名も無し。
道の右側、すなわち南は幕末の旗本、本郷丹後守泰固7千石の屋敷だった。
その一角に駒込パークハウスがたち、敷地内にあった石碑を道路側に移している。
右が寛政7年(1795)建立の「鹿碑」。左が嘉永2年(1849)の「瘞賜豬碑」。
将軍の鹿狩に本郷氏が側近として同行し、その際将軍から獲物を可賜されたことなどが刻まれている。
 明治になると、木戸孝允(桂小五郎)がここを別邸とした。敷地内を文京区と豊島区の境が通り、いくつものマンションが建っている。
 駒込パークハウス(1998)、並びのトーア駒込マンション(1978、139戸)の反対側へまわってみる。ぐるっと、ミラール、コーポフェリーチェ、メンケンビルをすぎて敷地の南西に回ると
明治天皇行幸所木戸旧邸
木戸は明治10年西郷軍征討のため京都までいき、そこで病没しているから、ここに住んだのはそれほど長くない。

行幸記念石柱の立つマンションはウェリス駒込レジデンス(2008、52戸)。
右隣りのミオカステーロ駒込(2013,15戸)までが豊島区、そこから先のJヒルズ(1989)から文京区になる。本駒込ハウス(2000)、ミオカステーロ本駒込(2006)、崖の端が神明北公園、石段降りてクレール駒込(1983)、駒込パークハウスで一周する。

敷地の外周に林立するマンション群は中庭を共有しているのだろうか。
本郷邸、木戸邸時代からの池があるらしいが、外からは見えず。

なお、DNA塩基配列の高速読み取り装置を日立と一緒に開発しようとして、一時はアメリカより進んでいた生物物理の和田昭允は、允の字をもつ木戸の義理のひ孫。
(木戸孝允の妹ハルの息子である孝正が木戸の娘好子と結婚し、木戸家を継いだ。好子は早世、再婚した寿栄と孝正の長男幸一は木戸家を継ぎ、次男小六は木戸孝允の生家和田家を継ぎ、ここで彼が生まれた。血筋では木戸孝允の妹のひ孫。侯爵木戸幸一は実の叔父)


旧木戸邸の本郷通りがわのブロックには素敵なマンションがある。
樹林館。
駒込駅から歩いて帰るときはここを通る。
10階建て、全9戸。6階のみ2住戸。
他は各戸100平米以上ありそう、エレベーターホールも専用。
1、2階は大家さんだろうか?

ちなみに右の赤いマンションはフォレストヒルズ駒込という。
勝手に隣の樹木を名前に借りている?

旧木戸邸側の方に回るとBMWのむこうに蔵がみえた。
樹林館は昔、古い屋敷だったのだろう。
この道が巣鴨町大字上駒込字伝中裏と本郷区駒込神明町の境になっている。

再び木戸邸にもどり、駒込パークハウスの前の道の一本北の道にいく。
この辺り高台でマンションがないので空が広い。
里芋などを作っている売地があった。
品のある家が建ってほしいな。
里芋畑の前の道は行き止まり、階段でアザレア通りの方に下りていく。
こういう雰囲気は埼玉の田んぼ地帯にいたとき憧れた。
仮名を里芋階段とする。谷中の芋坂みたい。

降りてすぐ、アザレア通りに出る前に再び上り坂があった。
木戸坂というらしい。
左にカーブしているところが工事中、かすかに駒込東公園の緑が見える。
この坂を上りきり公園を過ぎると木戸邸の西側に出る。

でも木戸邸は本郷通りの方が近いし便利。
当時、他に目印が何もなくて名付けたのだろう。

再びアザレア通りを駅の方に向かう。
ふと横を向いたら商店街から工事中現場が見えた。
木戸坂の上から見えたもの。

11階建て、すべてワンルーム36戸という。
右の緑は駒込東公園。
景観破壊は止まるところを知らない。
人口減少しても移民が増えるから需要はいくらでもある。

駒込東公園下。下で二股に分かれるいい坂。
戦前の地図を見ると、この公園はなく坂道の様子も違う。

この坂は駒込東公園坂と仮名する。

少し駅の方に行くと日枝神社。
慶長年間に勧進、朝日山王宮とも称された。
なるほど、マンションのなかった時代は朝日がよく見えただろう。
見晴らしがいいから太田道灌など砦を築きそう。
昭和20年4月13日、空襲で本殿はじめすべて焼失。
先日、9月15日に近くを通ったら幟が建ち、太鼓の音が聞こえた。

石段を下りる。
この坂は駒込山王坂と仮名する。
かつて坂上は山王台といい、いま駒込山王クリニックもあるので。

ふたたびアザレア通りに下りたがすぐ駒込駅東口。
線路に沿って上り坂

古い石段がところどころあるのが良い。

坂上から山手線が見える。
江戸駒という旅館があるので江戸駒坂とする。

JCBの看板など、昭和の旅館の雰囲気。
しかし、ご休憩用に使われているようだ。

国土地理院 1974-78
木戸邸のところはまだ緑が多い。
このころは散歩にも歴史にも興味がなかったから、近くに住みながら存在すら知らなかった。

google 2019
1929(昭和4)
1.中央の「伝中裏」とある区画が旧木戸邸。
(古い地図では左下の28番の方まで広がっていた。)
2.アザレア通りに吾妻通?吾麩通?とかいてある。
3.三業地をおもわせる「業地」の文字が右に見え、演舞場もある。
4.里芋畑のそばに駒込基督会の教会がある。

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