2020年1月26日日曜日

東大14 化学館と工学部1号館(建築)

1月23日、湯島で仕事をして麟祥院、山崎薬局を訪ねた後、東大に寄った。
この日は雨で冷え、トイレを借りたくなった。
理学部化学館(旧館、東館)
2020-01-23
現在この出入り口は封鎖されている。西側の本館の方から入ってみた。
むかし末村耕二君をラボに訪ねたことがある。
日立製作所だったか三菱化成だったか、就職活動しているころだった。
竹内敬人のNMRの講義を聞きに来たこともある。
彼は長髪、当時科学史など著作がいっぱいあり有名でミーハー的な動機もあった。
40年も昔。それ以来。
震災前の1916年に完成、内田ゴシックの建物群よりも古い。
本郷キャンパスに現存する最古の校舎である。設計は営繕掛の技師山口孝吉。
そのご講座増設により化学教室の規模が拡大したため、隣接して化学本館(5階建て1962年完成)・化学西館(1983年)ができ、いまは理学部4号館、7号館とつながって旧館までぐるりと一周戻ってこれる。

化学本館、東館の前で1980年ころ拾った栃の実はまだ引き出しの中にあるが、近年落ちているのを見たことがない。

化学館を出て工学部の方に歩いていく。
工学部列品館
れっぴん、と入れても変換されない。死語になったのだろうか。

かつては建築学科の伊東忠太や関野貞らが収集した中国や朝鮮での調査資料が陳列されていたらしいが、いまはただ事務室などがはいる。

建築途中1923(大正13年)に震災を受けたが、内田祥三の設計で彼の震災復興計画にあう形で1925年に完成した最初の建物として知られる。
古市公威像
初めてみた。
私にとっては帝大工科大学初代学長というより、本郷弓町の旧古市邸(瀬川邸)としてなじみ深い。みれば「こうい」と読む。三島由紀夫の本名のように「きみたけ」とずっと思っていた。調べたら三島は、内務官僚だった祖父が古市の名前をもらって名付けたらしい。

列品館の前は工学部1号館 15:06
往時の広やかさが辛うじて残る、東大で一番美しい場所だと思う。

ジョサイア・コンドル
Josiah Conder(1852- 1920)
イギリス人だからコンダ―の方が近いが、オランダ風のコンドルで通っている。
1877年(明治10)来日、工部大学校・造家学(建築科)教授に就任、5年契約であったが、その後も日本に住んだ。明治大正期の多くの建物を設計、辰野金吾、片山東熊、曽禰 達蔵など多くの建築家を育てた。護国寺にある墓の写真は以前ブログにのせた。
建築科のある工学部一号館に入ってみる。

東大の建物の多くは関東大震災の後、東京帝大営繕部長も兼務した内田祥三教授が設計した。内田ゴシックとしてみな似ているが、この建物は少し違う。入り口も違うし、階段の手すりも軽い。しかしこれも内田の設計、1935(昭和10)竣工という。
建築学科の廊下は天井が他より少し低い気がする。
しかしいろいろ研究成果なども展示されていて歩いて楽しい。

一階の廊下を歩いていたら平手小太郎先生の教授室があった。
約束をしていなかったが、ちょうどいらした。

2020-01-23 15:25
この3月で定年退官ということで蔵書などの整理をされていた。
大量の書籍、雑誌を廃棄処分されているようで、建築史などの本がもらえないかなと思ったが、言い出せなかった。

神社仏閣を訪ねてもご神体、ご本尊には興味がない。
むしろ明るい外の、地理地形のほかに建物に関心がある。街並み散歩ででてくる藤森照信東大名誉教授(諏訪清陵出身、建築史)のように建物の知識があれば観光も楽しいだろうなと思う。
いつからか大工さんとか建築家にもあこがれるようになった。
テレビ番組ビフォーアフターも大好きで、子供たちもだれか建築学科に進学してくれればいいなと思っていた。しかし長女は化学、息子は建築に興味を示していたが機械に進み、末娘になってようやく建築学科にいってくれた。

世間一般が思う建築家といえば、先ほど書いたコンドル以降の建築家の名前が浮かぶし、東大建築学科教授の顔といえば丹下健三、槇文彦、安藤忠雄、隈研吾など設計者であり、
丹下門下に限っても黒川紀章、磯崎新、谷口吉生などの芸術家的建築家が浮かぶ。

しかし、娘が選んだのは意匠・設計・建築史ではなく、非常に地味な構造・材料のほうだった。当然私は興味がなく娘の仕事の話もきいたことがない。
建築学科はこの二分野のほかに、環境・設備という人間の住まい暮らしには欠かせない第三の学問分野があり、平手先生はこの分野の権威である。

平手教授室を出て、ふと廊下から見下ろすと、かつては中庭だったであろう空間が倉庫のような作業場のようなスペースになっていた。
本来は医学部一号館などのように地下の階まで、内側の部屋、廊下へ明かりを入れるための空間だったのだろうが、天井を張り、二階以上に部屋を作ったようだ。

二階に上がると学生実習室のようなスペースになっていた。
化学系の実習室とはまったくちがい、興味深かった。
工学部一号館の保存と、全学的傾向のスペース拡張とを両立させるための中庭廃止だったのだろう。
今回一号館に初めて入ったときに感じた廊下の暗さの理由は、最後に分かった。


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