2020年1月29日水曜日

本郷、山崎薬局に先生を訪ねる

1月23日、午後、湯島で仕事が終わる。
東大に立ち寄って歩いて帰ろう。
2020-01-23
表鳥居とあるので、湯島天神はここが正門のようだ。
銅製で、寛文7年(1667)に寄進されたらしい。

麟祥院前のブロンズ像に驚き、初めてこの寺に入った。(別ブログ)

医学書出版社の南山堂がすぐ西隣にあり、道路の向かいに南江堂がある。
医療機器メーカーの集積はもっと顕著だ。
つくづく徒歩の時代は文学青年から中小企業まで東大の周りによく集まったものだと思う。

南江堂の近くに行こうと春日通を再び渡った。
渡ったついでに少し歩くと山崎薬局のビル。
40年前来たことがある。
今見ると思ったより大きい。
一階に薬局が入り、7階以上が山崎幹夫先生のご自宅となっているが、メゾンルグラン本郷(9階建て、竣工1980年7月)というマンションである。


1980年11月25日、研究室の数人で西武球場の横、狭山の人工スキー場に行くことになった。深夜オールナイトの安い時間帯だったので、終電近くまで時間をつぶさねばならない。このとき参加メンバーで秘書をされていた山崎麻美さんが我々を夕食に呼んでくださった。

突然お邪魔し、厚い豚ステーキでご飯を頂いているとき、山崎幹夫先生がガウンの帯を締めながら入ってこられ、一言二言で出ていかれた。検見川のテニスコートで三川潮先生を「
三ちゃん、三ちゃん」と呼んでいらっしゃる雰囲気のまんまだった。

先生は、薬と毒に関して多くの著書があり、千葉大を定年退官されたあと2004年、新潟薬科大の学長になられた。その間、多くの書籍、また医薬、化学系の雑誌などに連載エッセイを残されている。たびたび読ませていただいていたが、お会いする機会はなかった。

それが2010年4月、3冊目の翻訳書「セレンディピティと近代医学・独創、偶然、発見の100年」に対し、書評を書いてくださったのである。日経サイエンスのA4まるまる1ページ、月に1冊という栄えある欄である。
とても嬉しかったが先生は私のことなどご存じないだろうと考えそのままにした・・・と思っていたら違った。昔のメールを探して読んだら、どうも迷いながらもお礼の手紙を書いていたようだ。

6年勤められた新潟薬科大学長を辞められ連絡先が分からなかったので、山崎薬局宛に書いたみたい。どういう書き出しで何を書いたか不明だが、すぐメールでお返事を頂いた。
メールのタイトルは「驚きました」で、私が生薬学教室の後輩であることを喜んでくださった。さらにご自身の初めての著書「毒の文化史」を出版されたとき、柴田承二先生がたまたま書評を頼まれ、著者が自分の研究室の教え子、山崎先生であり驚かれたというエピソードも添えられていた。

そして先生は2012年1月、5冊目「スパイス、爆薬、医薬品・世界史を変えた17の化学物質」についても日経サイエンスの本欄に取り上げてくださった。
このときはメールを二往復している。化学構造式に対する一般人のアレルギーや、先生のご友人・宮田親平氏(石館守三研出身、元文芸春秋編集委員、週刊文春編集長)の著書、人柄についてとか、おしゃべりした。
先生のメールは長文でも段落がない。PC画面では一見読みにくいが中身が濃くてさすがであった。

2020-01-23
ビルの前でしばらく迷ったが、店舗が開いていて奥さまの姿が見え、客がいなかったこと、今回お会いしないと二度と会えないと思われることから思い切って入った。
薬局は人を雇うこともせず、奥さまの老後の趣味であるのか、静かな空間であった。
40年前のこと、夕食をご馳走になったことなど話すと喜ばれ、上の階から山崎先生を呼んでくださった。
麻美さんはハワイの方と結婚、移住されたが、たびたび帰っていらっしゃるとのこと。
突然の訪問を詫びて退出した。
思い切って入ってよかったと思った。

雨はまだ続いている。
元富士警察署前の三つ角の関電工は駐車場になっていた。
文京総合体育館 
明治8年創立の本郷小学校が昭和20年3月の空襲で全焼、翌年廃校。
跡地に区立4中ができるも少子化で1998年廃校となった。
中学の廃校から2013年の完成まで15年も空いているのは、跡地の使い道に困っていたからだろうか。なんせ既にすぐ東の岩崎邸の隣に、我々も使った区立体育館があったのだから(現文京区教育センター)。

東大建築学科に立ち寄り、西片門から出る。

本郷弥生の北西角が更地になっていた。
各官庁御用・かばんのお医者さん・吉田屋があった。
マンションになるのだろうか。

農学部から鴎外「青年」の道にはいると区立の駐輪場。
角に西教寺と公衆便所、
すぐに更新館という看板がある。
本郷に多い下宿屋兼旅館のような名前だが、旅館のようである。
昔から気になっていたので奥まで入ってみた。

各部屋にエアコンがあることからまだ営業しているのだろうか。
ネットを見たら2016年の宿泊書き込みがあった。

願行寺
鴎外が調べて有名になった細木香以の墓がある。

不動堂


本堂
根津神社裏門坂から藪下道に入る。
両側の日本医大の校舎をつなげていた陸橋は外されていた。
左側の校舎建て替えは本格的に始まっている。

解剖坂
壊す前の写真は以前ブログに乗せた。

汐見坂はすっかり40年前の面影が亡くなった。

朝倉響子邸も壊され、マンションになる。
石垣も上部は撤去されるのかな。


遠路はるばる歩いて帰宅。
山崎先生の奥さまが「(娘は)ボート大会なども楽しんだみたいですね」と話されたのを思い出し、ひさしぶりにアルバムを開いてみた。
1980-11-07
うちの研究室はナックルフォアを4チーム出した。
私が総監督で戸田で一度しっかり練習し、1軍(ショーケン号)が3位入賞した。二軍(がんばれ博士号)、三軍(みつぐ丸)は予選敗退したが女子チームは女子の部で優勝した。
麻美さんの隣に池田万里子さんがいる。

麻美さんはみんなのアイドルだった。
服装から修論発表会のあとだろう。
左から飯島洋、藤井勲、木内文之、渋谷雅明の各氏、
みんな教授だけどそろそろ退職年齢。
後ろはタイから留学されていた?さん(名前忘れた)
メモがあって1981年3月10日。このあと湯島に出てお祝い、慰労会。
二次会はバニーガールのいる店だった。

別ブログ
 20200125 麟祥院の立像と稲葉家、堀田家
 20200126 東大14 化学館と工学部1号館(建築)
 20191218 上野・本郷、全126坂道の一覧、ランキング
 20181014 拡大する日本医大、解剖坂、猫の家
 20190804 朝倉響子邸などが消えた
  
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