スモンという難病がある。
発生は昭和30年代後半から10年間のあいだに突然流行、終息した。
患者は神経を侵され、歩行困難となり患者数1万人を超え失明、死者も多数出た。原因は整腸剤キノホルムと決定され、我が国史上「最大の薬害」とされる。
この「真実」にたいして書いてみる。
きっかけは先日、田辺製薬の社内報を見て、いろいろ思いだし、久しぶりにスモンの本を読んだことによる。
本をだいぶ処分してきたが、この二冊は手元に置いていた。
スモンは Subacute Myelo-Optico-Neuropathy(亜急性脊髄視神経症)の略であり、そのとおり運動麻痺、視力低下がおこる。
1955年頃より発生し、1967~1968年頃に全国で大流行した。
患者数11,000人(潜在患者入れると2万人とも)、裁判に訴えたもの5000人、賠償金請求額2000億円だけでも大きな事件であるが、原因究明と裁判が長期間にわたり、何度も新聞1面をにぎわすほど大きな社会問題になった。
現在ほとんどの人はその騒動を忘れ、教科書などに記されるだけになっている。
50年ほどたった今、どの資料を見てもキノホルム犯人説は疑いない。
たとえば、
1.ウィキペディア
「整腸剤キノホルム(クリオキノール、5-クロロ-7-ヨード-8-キノリノール)による薬害。(略)当初はウイルス原因説も出たが、現在ではキノホルムが原因と判明している。」
2.薬学部の教科書「スタンダード薬学シリーズ・薬学総論」(日本薬学会編、東京化学同人、2015)
「1969年、厚生省はスモン調査研究会を設置、原因究明に乗り出した。翌年患者の尿からキノホルムが結晶化されたことをきっかけに、疫学調査を実施、”スモン=キノホルム中毒説”が登場した。これが確定するのは1972年であるが、厚生省は1970年9月の段階でキノホルムの試用販売中止の措置を取った。その結果、スモン患者の発生は激減し、キノホルム説は証明された」
3.厚労省「スモン手帳」(2012)1ページ目
「キノホルムにより健康被害を受け、長期にわたっての苦しい闘病生活を送っている皆様に、お見舞い申し上げるとともに、」で始まる。
すなわち、キノホルム犯人説は、学会権威がお墨付きを与えた、日本中、誰もが疑う余地のない科学的事実となっている。
しかし当時、この事件を最も「研究した」人々は、そう思わなかった。
まず、なぜ権威者たちがキノホルムに至ったか書いておく。
スモン患者の一部の人々は特有の緑舌、緑便、緑尿を呈した。
疾患解明の糸口として「みどりの窓口」といわれた。(東大・生理の時実教授が最初に口にしたという)
1970 (昭和45)年5月、東大神経内科の豊倉康夫教授、井形昭弘助手が緑尿の分析を東大薬学の田村教授に依頼。
6月30日、これがキノホルムの鉄錯体と判明。
直ちに椿忠雄新潟大教授(東大神経内科出身)らは、新潟で疫学調査、171人の患者のほぼ全員がキノホルム服用をつかむ。
8月6日、椿は新潟県衛生部を通じてキノホルム原因説を厚生省に報告。
9月7日、中央薬事審議会、スモン協議会を通じてもキノホルムの報告を受け、翌8日、販売中止の措置を取る。
(以上文献5)
それまで京大のウィルス説などを中心に回っていた研究が急転直下、電光石火、大転換である。
スモン協議会は改めて全国調査、9月20日に調査票発送、10月20日回収。
890人中、84.7%がキノホルムを飲んでいることが分かる。
さらに販売中止により、患者は激減した。
これだけ読めば疑問の余地がなさそうだが、当初から疑問はあった。
すなわち、スモンは初めに下痢、腹痛など消化器症状が「必発」する。
スモン協議会の報告書に、中心となった臨床班3人の代表的診断基準が載っている。
(文献3、No1 p10-11)
椿忠雄
1.腹部症状に続いて神経症状をおこす。
2.神経症状の発現は急性または亜急性
(以下略)
祖父江逸郎
1.下痢、腹痛などの腹部症状に続いて急性または亜急性に発症する。
2.足の裏のしびれに始まり、左右対称にしびれが上行する
(以下略)
高崎浩
1.前駆症状として下痢、腹痛などの胃腸症状を有する。
2.突然に下肢麻痺に始まる上向性知覚異常と痙性対麻痺をきたす。
(以下略)
文献4 スモン研究の回顧
椿がスモンと命名する前、病名はさまざまなものあったが、
「腹部症状を伴う脳脊髄炎症」など、腹部症状の単語を必ず入れていた。
腹部症状があるのはALSなど他の神経疾患と区別するスモンの定義である。
『スモン(腹部症状を伴う脳脊髄炎症)調査個人票』
1969年末調査 文献3 No1 p8
ところで、キノホルムは下痢を止めるための薬である。
日本薬局方にも収載され、長年、安全で効果のある第一選択薬であった。
つまり、スモン患者がキノホルムを飲んでいるのは当たり前である。
キノホルムを犯人にするには発症前に全員飲んでいることが必要となる。
ところが、患者の84.7%が飲んでいるとした調査をみれば仰天する。
「スモン患者のキノホルム剤服用状況調査票」1970年9月20日送付
文献3 No2 p230
ここでは「神経症状発現前6か月以内の服用」と
「神経症状発現後の服用」
について聞いているのである。
いつのまにかスモンから腹部症状が消えている(タイトルからも)。
ちなみに腹部症状発現から神経症状発現までは
神経症状が先 1.7%
1か月以内 34%
1か月 29%
2か月 11%
3か月 6%
4~6か月 8%
それ以降 12%
(文献3 No1 p20)
つまり神経症状発現前というのはほぼ全員、98%が腹部症状を先に発症しており、キノホルムを飲んでいておかしくない。
84.7%は当たり前だ。
腹部症状がスモンならその前にキノホルムを飲んでいなければならない。
なぜスモン協議会は<神経>症状前でなく、
「<腹部>症状発現6か月以内の服用」
を聞かなかったのか?
誰でも気づくことであろう。
実に不自然である。
ここからは、キノホルム説に批判的な文献1,6にも、また騒動解説書の文献2にも書いてないことだが、
私の推理だが、
故意だったのではないか?
なぜ故意か?
「腹部症状発現6か月以内の服用」を調べたらキノホルムを犯人にできないだろう。
なぜなら下痢をしていないのにキノホルムを飲むことはないだろうから。
スモン協議会はこのことを知っていたからではなかろうか。
単なる初歩的なアンケートミスではないと思う。
文献4 座談会「スモン研究の回顧」
スモンのことなどみな忘れてしまった1993年のことである。
田村(善蔵)「15%は飲んでいないというでしょう。だから反対説が非常に強かった。その時にどういうわけか、甲野先生がキノホルム説に肩持った。裏は知りませんよ。私は甲野先生に「どちらもまだ灰色じゃないですか、どうして甲野先生、キノホルム説に肩持つんですか」と聞いたら甲野先生が「田村先生、考えてごらんなさい。どちらも間違ってるとして、どちらが患者を苦しめますか」。びっくりした。僕はそういう考えは全然もっていなくて、サイエンスとして真実を追求していく。甲野先生だって基礎の医学者ですからね。甲野先生からそういう臨床医の、医者の魂というのか、そういうのをパッと出されてびっくりしました。
だけど裏にはおそらくウィルスなど感染性病原体がいつもネガティブ、ネガティブとこれが蓄積されていたから、それだけの強いことが言えたんだと思いますね。
豊倉(康夫)「それはいいお話ですね」
・・・・
苦しむ患者を救うことが正義。
正義のために働くのが立派な医学者。
朝日などマスコミもそうであった。
しかし、サイエンスと患者救済は別のものだと思う。
ただ、国の「医薬品副作用被害救済基金」(1979 年 10 月設立)医薬品副作用被害救済制度(1980 年 4 月)の設立以前は、こうしないと患者が救われないと多くが思った。
ところが現在、教科書、国、大学はじめ、日本中のあらゆる知識人がキノホルム説を無条件で信じていることに違和感を覚えるのである。
参考文献
1.謎のスモン病 高橋秀臣 行政通信社 (1976)
2.田辺製薬の「抵抗」 宮田親平 文芸春秋社 (1981)
3.スモン調査研究協議会研究報告書 No1~No12 (1969-1972)
4.厚生省特定疾患スモン調査研究班 スモン研究の回顧 1993
5.スモン・薬害の原点 小長谷正明 医療 63, 227 (2009)
6.スモン病因論争について(1)~(4) 増原啓司 中京法学15, 1980
3-5は権威者側の公式発表、1,6はそれに疑問を呈したもの、2は一連の経緯を説明するもの。
3-6はネットで読める。
(続く)
追記 2月15日
腹部症状を無視したのは故意ではないか?という根拠をもう一つ示す。
890例集めたという調査票の集計用コードがある。
スモン患者のキノホルム剤服用状況調査票集計用コード一覧
文献3 No2 p233
先に示したように、調査票(文献3 No2 p230)では
腹部症状発現年月日
神経症状発現年月日
薬品名とその服用期間(年月日~年月日)
を聞いているのである。だから手間はかかるが、ここから腹部症状前のキノホルム服用率を出せないこともない。ところが集計用コード一覧では、腹部症状の年月日と、服用期間は設定されていない。集計するとまずいことになったのだろう。また神経症状は「年月日」で聞いたのに「年」と集計し、恣意的操作がしやすいようになっている。
以降、このブログで何回か論じる(シリーズ化)。
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