3月8日、雨。
文京シビックセンター4階のシルバーホールでダンスの練習。
16時に終わって外に出る。
2020-03-08 富坂下
春日通と千川通の交差点。文京区役所の角から北を見る。
右の方は再開発で巨大なビルができている。
北にのびる千川通はビルが迫る峡谷のようだ。
ここはかつて千川が流れていた。
この川は、尾張屋版切絵図『東都小石川絵図』に「小石川大下水ト云」と書いてある。
小石が多かったのだろうか、漢語風に礫川(レキセン公園ね)ともいい、地名、区名にもなった。
千川は田畑の広がる上流では谷端川である。
池袋・立教の西側を北に流れるあたりは暗渠の上の遊歩道になっている。
さて、千川通り。
平行する白山通りができる前はこちらが大通りで古い商店が並ぶ。
5年前に来た古書店は閉まっていた。この日だけなのか、廃業されたのか不明。
その2015年9月21日、妻と小石川と散策した。
ミニストップの株主優待券の期限が切れそうで、ソフトクリームやらコーヒーを飲むため根津、池之端から小石川まで店を捜し周るサイクリングだった。
そのとき源覚寺こんにゃく閻魔による。
「源覚寺の閻魔さまの右目部分は割れて黄色く濁っています。それにはこんな言い伝えがあります。宝暦年代のころ(1751年〜1764年)、眼病を患った老婆が閻魔大王に21日間の祈願を行ったところ、夢の中に大王が現れ「願掛けの満願成就の暁には、私の両目の内、ひとつを貴方に差し上げよう」と言われたそうです。満願の日に、老婆の目は治りました。以来、大王の右目は盲目となりました。老婆は感謝のしるしとして好物の「こんにゃく」を断ち、それを供えつづけたということです。」(源覚寺公式サイト)
中は暗くて閻魔様の目は見えなかったので、公式サイトから無断借用。
こんにゃくは閻魔様の好物ではなく、老婆の好物だった。
他人の好物を大量にすすめられても困る。
汎太平洋の鐘
この鐘は元禄3年1690年に完成し、もともとここにあったのだが、昭和12年サイパンの南洋寺に搬出された。時を告げる鐘として親しまれていたらしい。サイパン玉砕で鐘は行方不明になるも、1965年にテキサスで発見され、1974年源覚寺に返還されたという。
5年前に来たときは気づかず、初めて見た。
塩に埋まっている石像なのか、塩で作られた地蔵なのかよくわからない。
説明文は読まなかった。
2020-03-08
塩まみれの地蔵もすごいが、脇に気味悪い樹皮の木があった。ところどころ引っかいてある。
植物ウィルスだろうか。何の説明もない。
皮膚病に効くという新しい信仰を集めそうだ。
すでにかけらを持ち帰り煎じて飲んでいる人もいるかもしれない。
江戸以来の眼病・こんにゃく信仰より信者を集めそうな迫力である。
どちらも根拠はないが、好物でもないこんにゃくを前に置かれた木像が、いったいどうやって何キロも離れた東京、近県に住む病人を治すのか? どういう波を送るのか? 電磁波、重力波か?
その点、不気味な皮を煎じて飲めば、ひょっとしたら何か(毒かもしれないが)起こるかもしれない。
・・・・・
こんにゃくを供えた人は、すでに供えられているものを代わりに持ち帰ることがあるらしい。例大祭などに配られることもあるようだ。だから常に新しいものが供えられている。
公式サイトから
この3月は下げたこんにゃくで味噌田楽を振る舞う行事が予定されていた。
しかしコロナウィルス騒動で中止という貼り紙があった。
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