1960、70年代に連日新聞をにぎわせ社会問題にもなった難病スモンの「解決」に最も貢献した人の一番は新潟大・椿忠雄教授(1921~ 1987)であろう。
昭和20年、東京帝大医学部卒。脳研究所の助教授を経て、1965(昭和40)年新設の新潟大学神経内科の初代教授に就任した。
東大時代に釧路奇病を研究し、昭和39年5月の日本内科学会で豊倉らとともに、SMONの名称を提案、以後これを普及させた。
さらに、スモン患者の多く(ほぼ全員)がキノホルムを服用していると真っ先に発表、電光石火で厚生省を動かして販売停止させ、そしてスモンの原因をキノホルムであると断定した。
当時も今もヒーローであるわけだが、厚生省、日本の医学界を動かしたことになるデータを見て驚いた。すなわちグリーンブックNo2, p147である。
この報告は
「新潟県におけるスモンの発生は病院集積性が強く、特に総合病院の外科に集中的に院内発生し、特定の医師の受け持ち患者から発生することが観察された。このことからSMONの発症は、何らかの医療行為が関係を有するであろうと考えていた」
で始まる。
そして田村のキノホルム錯体にヒントを得て、疫学調査を行い、SMONとキノホルムに密接な関係があることを見出した。
しかし、彼は腹部症状を(故意なのか?)無視して、神経症状の発現前の服用率を見たから、結果か原因かわからないことは今まで述べた。
そして今回、報告書を実際に見てまた大きな問題点を見つけた。
彼は7つの病院で171人のスモン患者を調べ、166人(96%)がキノホルムを飲んでいると豪語した。飲んでいない人はたったの5人と自信たっぷりである。
ところがデータをよく見ると、これらの患者は、消化器をみる内科よりも、外科などにかかっている人が多かった。
例えばA,B,Cは外科病院である。
その3病院の79人のスモン患者は100%、全員キノホルムを飲んでいる。
自信たっぷりである。
しかし、3病院で、スモン患者以外の普通の患者はどうだったのだろう?
下痢などで来院したわけではないから、誰もキノホルムを飲んでいなかったのではないか?
つまり、A,B,C病院の患者が何人いたか知らないが、ひょっとすると79人しかキノホルムを飲んでいなくて、79人全員がスモンだったのではないか?
飲んだらスモンになるというなら、これでよい。良いデータだろう。
しかし、キノホルムは曲がりなりにも医薬品である。
もしキノホルムが原因ならそんなことはあり得ない。
なぜなら全世界いや日本でもほぼ安全と思われ長年、のべ数億、数十億人使われていた薬が、飲んだら100%スモンになるなどありえないからだ。そんな猛毒が薬になることはあり得ない。
この椿の報告でのE病院は岡谷市の結核病院である。
ここでのスモン患者の発生は、ベッドの位置などから伝染性を示すものとして東大の塚越、豊倉、井形らは、昭和42年これを日本内科学会誌56巻p49(1967)に発表した。(彼らは後にキノホルム説を主張する)
椿忠雄 グリーンブックNo2 p150
岡谷市、某結核病院でのスモン発生図。
院外で3人発症して入院してくると、その後、同棟のものが次々に発症した。
しかし、3年後椿教授は同じ図を再掲して逆にキノホルムを犯人とした。
根拠は、調べてみたら神経症状発現前に上の図の全員、発症医師2人を含む15人全員がキノホルムを「服用していた事実を明らかにした」というのである。
さらにその後の調査でスモン患者は増え、33人のうち30人が飲んでいた(p148、上の表)と主張する。
しかしここは結核病院である。
他の患者は外科以上にキノホルムを飲んでいないだろう。
椿は続けて丁寧に書いている。
「また当時、他の病棟ではキノホルムがほとんど投与されていなかった」
「非スモン入院患者240例の病歴を調べたところ、キノホルムを投与されていたものは5例(うち3例は少量)に過ぎなかったことなどが判明した」(p151)
これは非常に重要な事実である。
つまりこの結核病院 Eは、
全スモン患者41人(8人は受診前発症のため除外)
調査対象スモン患者 33人 (うちキノホルム服用30人)
非スモン入院患者 240人 (うちキノホルム服用5人)
(そりゃそうだろう、結核患者がキノホルムを飲むはずがない。なお椿は少量服用者を除き2人と数えたいようだ)
こんな重要な事実があろうか。
きちんと病歴、服薬管理のなされた 入院273人のうち、キノホルムは35人しか飲んでおらず、うち30人がスモンに成ったというのである。(少量者を除けば32人中30人)
この世界中で古くから使われ、家庭常備薬にもなった整腸剤が、飲めば86%あるいは94%がスモンになるなどあり得ない。
このデータはあまりにも強く関係性を主張しすぎて、猛毒を主張しすぎて、大きな矛盾を露呈した。
むしろこのデータの解釈は、
1.結核病院はもともとキノホルムを飲むようなところではなかった。
2.ところがスモンを発症した結核患者が3人入院してから、突然、同じ病棟の患者、医師がキノホルムを飲むような状態すなわち下痢になった。
3.やがてこの下痢患者が8割、9割という高率で神経症状を発現し、スモンと診断確定した。
いったい、
なぜ外科病院の患者がキノホルムを飲んだのか?
なぜ結核である彼らがキノホルムを飲んだのか、
それこそスモンを解明するカギであろう。
そして
スモンの腹部症状(下痢、腹痛)はキノホルムが効かない。
だから副作用が大してないことをいいことに長期投与になる。
効かないということはアメーバ赤痢などではない疾患ということ。
キノホルムを投与しているうちにやがて神経症状が現れる未知の病気。
それこそスモンではないのか?
そして伝染性が疑われる。
椿教授は、自分の調査データの矛盾に気が付かなかったのだろうか?
沖中内科以来の盟友だった豊倉康夫・東大神経内科教授(1923-2003)、東大神経内科から鹿児島大教授となった井形昭弘(1928-2016)、東大医学部から京大教授、国立予防衛生研究所部長、スモン協議会の会長・甲野礼作(1915-1985)ら秀才たちも何も思わなかったのだろうか?
こんな初歩的なことを誰も考えなかったはずはない。
わざと感染説を否定したかったのではないか?
意識してキノホルム説をでっち上げ、自分たちの頭脳とキャリアなら日本中を騙せると思ったのではないか?
このデータで昭和45年8月6日、キノホルム説を報告、9月7日にスモン協議会からの報告を中央薬事審議会が受け、翌8日厚生省は電光石火のごとく販売中止の措置を取った。
このデータはスモン協議会の公式報告書にあるが、一般人の目には触れなかった。
新聞、テレビなどメディアは悲惨な患者の様子や裁判で抵抗する製薬会社を報道することはあったが、この事件で最も重要であった椿のデータを論評することはなかった。
ましてや、裁判でキノホルム説が確定し、教科書に載ると、学生はテストのために教科書の文言を暗記することだけに専念し、書いてあることの真偽を疑わなかった。
そして数十年。
「スモン=キノホルム」と現在の医療関係者は100%信じている。
・・・
先日卒業した I 君にはなむけのメールを送った。
先日卒業した I 君にはなむけのメールを送った。
教科書というのは凡人が、前の本を転写しているだけです。
本当かどうかでなくて、文句を言われないように書かなくてはならない。
事実は何か? 感じられるように勉強してください。
(続く)
参考文献
1.謎のスモン病 高橋秀臣 行政通信社 (1976)
2.田辺製薬の「抵抗」 宮田親平 文芸春秋社 (1981)
3.スモン調査研究協議会研究報告書(グリーンブック) No1~No12 (1969-1972)
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