2020年5月16日土曜日

念速寺、美幾女の墓と渡辺淳一

2011年に千駄木の家を買って2013年に引っ越した。
そのころ文京区の地図を見ていて、念速寺(美幾女墓)とあるのに気づいた。

パッと見て日本で初めて志願解剖された人の墓だとすぐに分かったかどうか今は不明だが、初めて解剖用研究に自ら献体したのが遊女だったことは昔々読んだ渡辺淳一の小説で知っていた。

そのまま数年たち、5月2日、白山台地の東を南下、台地南端の旧戸崎町・白山閣を回り込み、今度は台地の西を北上した。

別ブログ
20200509 御殿坂から猫又橋、砂利場坂まで
20200508 指ケ谷と戸崎町、白山閣

この日は坂道の写真を撮るのが目的だったから、崖から離れた寺は関係ないのだが、ふと美幾女のことを思い出し、すぐ近くの念速寺に立ち寄った。

2020-05-02
思ったより小さな寺だった。
説明文を読むと駒込追分、彦四郎の娘という。
ここからも近い農学部前、高崎酒店辺りだから、ぐっと身近に感じた。

しかし親類、家族もない遊女だったと思い込んでいたから父親の名前もあるのは意外。
渡辺淳一の「白き旅立ち」はどんな風に書かれていただろう。

 そっと本堂裏に回ると千川通を隔てる塀の際に目立つ案内板があり、すぐわかった。
文字がこれ以上崩れないようアクリル板で覆われている。
墓石たちは隙間のないほどぴっちり並んでいた。
千川通は新しいから、道路拡張で境内が削られ墓も集めて移されたのだろう。
2020-05-02 15:48 

帰宅して段ボールを探した。
渡辺淳一の本は必ず図書館にあるからだいぶ処分した。ブックオフに持って行っても古く薄汚れた本など引き取ってくれない。もったいないけど捨てるしかなかった。

幸い「白き旅立ち」(1975)は処分し忘れていた。
表紙裏に1986.1.4と鉛筆で書いてある。

読み始めてびっくり。
何に驚いたかと言うと、
第一に、内容を全く覚えていない。新鮮。
初めて読む本のようだった。
人間ってこんなにきれいに忘れるものだろうか。
第二に、面白い。
30年以上前、むしろ彼の他の作品と比べてつまらなく感じた記憶がある。
(せっかく買ったからという)義務感で最後まで読んだと思う。
年を取ると、感じ方がこんなにまで違うのか。

小説でも駒込追分の運搬夫、彦四郎の娘、父親がけがをして一家が食べていけなくなり16歳で遊女になっている。

幕末になると腑分け、解剖は少しずつ許可されるようになったが、依然としてごくたまに死刑囚の遺体を刑場において雑役夫が開くのを大勢で遠巻きに見るという時代。学問的、系統的にみることはかなわなかった。
また開かれる側としては、解剖など西洋の野蛮な風習、死後成仏できないと信じられていたとき、罪人でもないのに、死後自分の体を学問のため使ってくれというのはよほど勇気あることである。

なにゆえ美幾は志願したか?
渡辺淳一の想像力、構成力に脱帽した。

彼は、解剖願い書を初めて出した実在の洋学者・軍学者の宇都宮三郎(鉱之進)を登場させた。宇都宮は不治の病に倒れ死期をさとって死後献体を志願したのだが、治ってしまい(脚気?)その後解剖されなかった。
渡辺は、吉原稲本楼で宇都宮を美幾にあわせ、接点を作り、解剖の話をさせる。

そして年季が明けたものの病に倒れた美幾は小石川養生所に入る。
渡辺はそこに滝川長安という学問熱心な青年医師をおき、彼女が淡い思いを抱かせるように仕向ける。ミキは長安が腑分けをしたがっているのを知り、彼にずっと自分を覚えていてもらいたい、彼の役に立ちたい、という思いから献体を志願する。
そして、彼が長崎に留学することが分かると、間に合わせるために自ら絶対安静の体に無理をさせ死期を早めるのである。

幾の字は細かいから崩れやすいのか、「美」しかよめない。
100年以上ひっそり立っていた1973年、渡辺が取材したときカバーはなかった。
小説で訪問者が増え、みんなが撫でたのだろう。

明治2年8月12日、みきは34歳の生涯を閉じた。
14日、医学校の人々により下谷和泉橋(旧医学所跡)で解剖される。石黒忠悳、田口和美ら我が国医学界をリードする人々が参集した。
そのご、念速寺に丁重に葬られ、実家、兄・和助らに謝金が贈られた。

下谷和泉橋通りの幕府直轄医学所は、
明治元年7月、横浜の軍事病院と合わせて下谷和泉町の藤堂邸にうつり、大病院と称した。明治2年2月、大病院は医学校兼病院と改称、さらに8月のミキの解剖の後、
この年12月に医学校は大学東校と名を変え、
東京医学校時代の1876(明治9)年本郷に移転、
翌明治10年東京大学医学部となる。

・・・・

3月末、コロナ爆発直前の桜満開のころ、谷中墓地に行き東大の千人塚をみた。
1000人(10年分)、1000人(8年分)、1000人(16年)、862人(21年)と4つ塔がある。一番古いものは

明治三年十月至十三年九月在東京大学医学部〇剖觀屍體計一千有裨益于医学不為鮮
仝?十四年六月建石于其埋廃之處以表之
東京大学医学部総理正五位勲四等 池田謙斎題
東京大学医学部解剖学教授 田口和美記

と書いてあった。

ミキのあと、特志解剖された人は続いた。
しばらくは個々の寺に葬られたのだろうが、1年後に解剖された人からは谷中天王寺墓地に慰霊碑を建て、合わせて祀られたようである。
千人塚の始まる前、志願解剖の第一号が念速寺の美幾女であった。

2020-03-22 谷中墓地 千人塚

再読してもう一つ気づいたことは、渡辺の書く美幾女が可愛らしくて賢く、魅力的なことである。
彼の得意とする不倫小説のヒロインのセリフは、どれも美しい顔が浮かんできそうなほどリアルで可愛らしい。「白き旅立ち」は歴史・医学小説と思っていたが、しっかり女性心理を見事に描いている。

もちろん幕末の医学、時代考証、吉原遊郭の描写も見事である。29歳で読んだときはこちらに知識がなかったから、この小説の正確さ、堅牢さなどに気が付かなかった。

・・・・・・・

渡辺淳一の本を初めて知ったのは80年代前半。「遠き落日」だった。
小平清美さんが「竜馬がゆく」と一緒に「すごくおもしろかった」と勧めてくれた。
それまで自然科学の参考書ばかり読んでいたから小説は新鮮だった。

そのご1985年の運動会の打ち上げ飲み会だったか、その年入社した中原美香さんと渡辺淳一の話になって、彼女が「光と影」が良かったと言った。「え? ヒカリトカゲ?」と聞くほど無知であったが、急いで読んだ。主人公が根津に住んでいたという設定もあり、面白かった。
その後、彼の作品を片っ端から読んでいく。
幸い「光と影」も処分を免れていた。
ひらくと1985.11.16と書いてあった。

しかし、失楽園や愛の流刑地など、社会現象となるほどの作品が出るころは不倫小説のパターンに飽きて、敢えて買ってまで読もうという気は無くなっていた。

それにしても全く読んだ記憶がないというのは驚きである。
感じ方が若いころと全然違うのも面白い。

幸い、これから死ぬまで、飽かずに読み切れないほどの本が納戸にまだ残っている。


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