2021年10月3日日曜日

厚木、神奈川リハビリテーション病院薬局

新宿から小田急急行で55分、本厚木に初めて降りた。

本厚木という名前は本川越を思わせる。
昔は鉄道駅が町はずれにでき、そのあと中心地に私鉄が乗り入れると「本」をつけたりして区別した。
厚木の場合も1926年、市の外れというか、相模川の対岸、いまの海老名市側に相鉄が駅を作った。当初は市内まで伸ばす計画が、橋を作る資金がなかった。橋を渡れば厚木だったこと、当時は海老名が寒村だったこともあり、厚木駅とした。その後、1927年小田急が町中に相模厚木駅を開業、1944年本厚木駅に改称した。
いまも小田急、JR相模線とも「厚木駅」は海老名市にある。

厚木というのは人気ある名前で、アツギと社名、団体名にあっても厚木市でなかったりする。極めつけは海軍、米軍、海上自衛隊の厚木基地だろう。東の海老名市をはるかに越え、綾瀬とさらに東の大和市の境にある。
明治35年神奈川県第三中学校(現厚木高校)が置かれるくらい(藤沢の湘南高校は6番目)、県中央部の中心地だったのだろう。

しかし意外なことに、人口推移を見れば1960年代以降の高度成長時代で急に発展したことが分かる。
今、山のほうまで合併して22万人。神奈川県では大和市にも抜かれ8位である。


出身者として榊原郁恵、小泉今日子、甘利明が有名か。ああ、厚切りジェイソンがいたな。
(杏里、香坂みゆきは大和)
彼ら以前では茅誠司。
厚木の北、愛甲郡中津村から二里の道を歩いて県立第三中学に通い、蔵前高等工業学校に進んだ。彼は厚木での徒歩通学を東京でも続け、小石川ルーテル教会の寄宿舎(戸崎町、細川男爵邸のあった高台)から本郷阿部屋敷の下を抜け、池之端から蔵前まで歩いて通った。と先日、昔の「私の履歴書」で読んだばかり。
当時高専から入れる唯一の帝大だった東北大に進学、北大を経て1957年東大総長になった。矢内原忠雄の次である。

2021‐10‐01
厚木に来た理由は、神奈川リハビリテーションセンターの病院内薬局に用事があったから。
改札出たところの地図にリハビリセンターはない。左上の拡大図にもない。
だいぶ山のほうか。

バスは駅前でなく、東口のバスセンターから出るらしい。
9:22
バスセンターへは駅東口から地下道でいける。
厚木バスセンターは1984年、市立厚木小学校を移転させた跡地にできた。
1967年、長野駅のそばにあった長野工業高校を移転させてできた長野バスターミナルと経緯は似ている。

バスで山に登り始めたころ、左側に奇妙なマンションが見えた。
崖に沿っているのか、弧を描き、全戸のテラス、ベランダに樹木が植えてある。

9:38 プリシード本厚木
本厚木駅から1.3キロ16分。1990年竣工、築31年。8階建て総戸数70戸。
108平米で2500万円ほど。賃貸しなら15万円。
奇妙な外観は樹木のほかに、各戸が横から独立していることによる。
つまり、隣と離れているから3方向にベランダ、窓が作られる。
プリシード本厚木のすぐ横に「厚木市立南毛利中学校入り口」という看板がみえた。
「毛利」。
このあたり毛利の荘という荘園があった。
頼朝の側近、鎌倉幕府の政所初代長官を務めた大江広元の所領となり、広元の四男・季光が毛利氏を名乗った。鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけて毛利氏は本拠地を安芸に移し、戦国大名に成長した。
みなみもうりでなく、なんもうりと読む。厚木市に合併する前、1955年まで愛甲郡南毛利(なんもうり)村があったからである。北毛利、東毛利などはない。

雨の中、バスは山を越え、田んぼを越え、恩曽川を越えた。
温水という地名に反応していると、バスはさらに丘陵地帯(住宅地)にはいり、次の谷の玉川沿いに山を上がっていく。
リハビリ病院というからには、自然豊かな辺鄙なところと想像していた通り、本厚木駅から30分もかかった。渋滞なし。

9:58
神奈川県立リハビリテーション病院 バス発着所

1973年の七沢障害・交通リハビリテーション病院を前身とするが、1985年に現在の名前に改称、2017年に280床の病院を新築した。

とにかく広々している。
車いす、付き添いの人がゆったり歩けるよう設計されているからか、普通の病院より明るい。


今回の目的は薬局実習をしている学生と指導薬剤師の先生を訪問すること。
最先端の薬局を見るいい機会だった。

リハビリ病院といっても交通事故だけでなく脳梗塞患者などもいる。老齢の患者は糖尿病、心疾患なども併発しているから、薬局には外科以外にもほぼすべての医薬品がそろっていた。
そして調剤は自動化されている。大きな調剤機に電子カルテのデータを送信すれば、朝昼晩1回ごとに複数の薬剤が分包化され、名前・薬名・日付が印字され帯のようになって出てくる。

電子カルテというのは、薬局にいながらも全ての患者の情報が見える。
医師の書き込んだことはもちろん、日々の血圧から血液検査値まで何でもわかる。
今まで薬剤師は医師の出した処方箋通り間違いなく薬を出し、患者に聞かれたら親切に答えることだけで済んでいた。しかし入院患者を病室訪問する一方で、これだけ情報が与えられたら、優秀な薬剤師は患者も医師も気づかないことを発見して治療法を提案することが期待されるだろう。

電子カルテのような新しいシステムは年配者にはとっつきにくいが、実習生のような若者はまったく苦にしないようだ。
「私の知らないようなところまで入って情報をみてきます」と指導薬剤師は微笑んだ。
プライバシーの塊だから閲覧ログを残しているだろう。
「でも、正規職員のIDを借りているので、うっかり入っちゃいけないところに入ったらどうしよう、と恐る恐る見ています」と実習している彼女もにこりとした。

辞して帰ろうとしたら30分に1本しかないバスが出たばかり
ぼーっと座っていたが退屈なので院内を歩いた。
そういえばつい先日、サンドイッチマンの病院ラジオでここが訪問されていたことを思い出す。
2021‐10‐01 10:40
この病院にはリハビリテーション工学研究室があり、自動車運転補助装置などが展示されていた。チェアスキーは1980年にここで開発されたという。

ようやくバスが来た。
始発だから一番見晴らしのいい席に座った。
厚木市森林組合があるほど田舎なのに、玉川に沿った街道にはバーミヤンやレストランも多く暮らしやすそうだった。
11:19 本厚木駅北口
バスセンターに着く手前、駅前で下りられた。
北口は厚木の繁華街のあるほうだ。
ここは二度と来ることはないだろうと思いながら、台風16号が近づいているので全く市内を歩かず、立ち止まりさえせず、バスから電車に乗りうつった。

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