2021年10月7日木曜日

田端・駒込間の崖から山手線を見たい

京浜東北線の上下2本は山手線の内回り外回り2本を挟んでいる。

だから、田端から出た京浜東北線の北行きは山手線をくぐらねばならない。注意すれば小さなトンネルがあるから気づくのだが、長い間、そのトンネルは山手線をくぐるものだと思っていた。

しかしグーグルを見て驚いた。
人家の下をくぐっている。
これを見に行こうと思った。
それに、この一角は山手線、京浜東北線で区切られ、すべての道が行き止まりで、独特の雰囲気があるだろう。そのことは上中里側で経験した。(別ブログ)

2021-10-02
田端文士村記念館から江戸坂を上がる。
本駒込に住んでここを上り下りしていたのは1977年。右側の建物は覚えているのだが、左のアスカタワー(1993年竣工、文士村記念館も1993年11月開館)の場所にあった田端鉄道病院はどうしても思い出せない。

1978年に谷中に移り、81年に埼玉に引っ越してから田端に来たのはいつだろう?
1986年に駒込病院(都立臨床研)に来た帰りは田端駅まで歩いたが、切通しの南を歩いたから江戸坂のほうは見なかった。

はっきりしているのは、1997年5月、埼玉指扇から古地図の忠敬堂に来たときだろうか。田端はすっかり様子が変わっていた。アスカタワーと田端文士村記念館ができていた。

13:15
JR東日本 田端現業事務所 たばた荘
という表札。
耐震補強されているが、この建物は記憶ある。もっとも当時の用途は知らない。
左に一部見えるマンションはビラ・カミムラ。1979年9月(築43年)。

カーブする江戸坂を上りきると尾根道である田端高台通りに出る。
かつては江戸坂上を境に、南側を東台通り、北側を西台通りといった。
この西台通りの東側が田端6丁目で、山手線(京浜東北線)で囲まれた孤立地帯になっている。ちなみに住居表示の田端といえば1丁目から6丁目まですべて京浜東北線の西側の高台にあたる。駅の東は東田端、田端新町という住所になる。

高台通りを北に歩きながら、東へ向かう道を一本ずつ入っていく。
まず最初の3番地の道をはいる。
平屋の大きな家。
塀の上に伸びる刀剣柵がすごい。
防犯というより刑務所を連想させてしまうほどだが、泥棒は確かに入りたくない。

裏に回っても刀剣柵はつづく。
当然ながら行き止まり。
突き当りの金林邸はさっき上がった江戸坂にも面する大きな家。

刀剣の家と同じ名前の駐車場。お金持ちのようだ。
駐車場の向こうは崖のはずだが、樹木で何も見えず。

駐車場の南、ドエル・ナカイとビラ・カミムラの隙間から線路が見えた。
そっとおじゃまして階段を下りると

13:20
JRの施設みたい。

ふたたび高台通りに戻り、次は3番地と4番地の間を入っていく。
13:25
田端とは思えない素敵な家が並ぶ。
住人しか通らない行き止まりの道は、やはり他の地区と空気が違う。

当然行き止まり。家があって線路は見えない。
どうもこの先にアートサライというマンションがあり、その床下を京浜東北線北行きがくぐっているようだ。

引き返して次は4番地と5番地の間を入る。

13:28
初めて行き止まりの先に崖の向こうが見えた。

確かに京浜東北線が出てくるトンネルがある。
上のえんじ色の建物はマンションでなく戸建て民家。
国鉄としては買収して削りたかっただろうな。
家のすぐ下にトンネルを掘るのは技術的に難しかったのではなかろうか。

 新幹線車両基地が見えた。
手前が山手線、向こうが京浜東北南行き(北行きは見えない)。

再び高台通りに戻り、5番地の中の道を入る。
13:31
「布目」という表札のアパート
ツタがすごいが葉っぱがない。

ここはすぐ行き止まりで、戻る。
つぎの路地は5番地と6番地の間。
左側が6丁目6番地(旧田端650番地)、鹿島龍蔵の屋敷があった。
多才な文化人、また鹿島組(鹿島建設)取締役で田端文士、芸術家村のスポンサー的存在であった。
この通りもすぐ行きどまり。

また高台通りに戻り、6番地と7番地の間を入る。
13:37
線路が見えそう、と思って進むと。

個人宅の玄関先
このあたり完全に山手線が京浜東北線と別れている。

13:38
横に入る道をいくと、山手線の上に出られる。

山手線が山を切り開いて西にカーブしていく様がよくみえる。
西側を見れは線路に降りていく階段あり。
昔は子供たちが下に降りて遊んでいただろう。昭和32年生まれの人が線路わきの側溝でザリガニを取っていたという。

13:41
田端高台通りが富士見橋を渡るところに古いレンガ構造物アリ。

のちに山手線となる豊島線(単線)が開通した明治36年、ここは切通しでなく、トンネル(道灌山隧道)だった。その入り口跡だという。
王子方面からの貨物線がきて、それを山の手が乗越えるために路面が上がりトンネルに収まらなくなって、切通しになったと思われる。
富士見橋から田端方面

富士見橋から駒込方面
上は水道橋か。
山手線に沿って駒込駅方面に歩く。
左から来るのは戦前から計画されている都道92号線
もう日本はお金がないのだから意味のない道路など作らなければいいのに。
作るということが誰かの既得権になっている。
山手線の向こう、中里側の買収用地は細長い公園になっている。

中里トンネル
王子方面からの貨物線(湘南新宿ライン)の出口
山手線が貨物線の上を越えている。

13:47
湘南新宿ラインの一段上を山手線の内回り外回り電車が交差する。

今の子供は電車を見に来ないのかな?
私は信州中野でよく踏切に連れてってくれとせがんだらしい。
その33年後、妻の実家のそばの常総鉄道の踏切は息子のお気に入りだった。


 別ブログ


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