2025年10月7日火曜日

千鳥屋、古河庭園は陸奥廣吉が相続したが

 10月1日、都民の日。都立の公園や動物園、美術館などが無料になる。

何十年ぶりかで近くの六義園にいったが(別ブログ)、帰り際に都立9公園のチラシを手にした。
入ったことがあるのは浜離宮、六義園、岩崎邸、古河庭園、小石川後楽園の5つ。もともと庭園そのものにはあまり興味がないので、向島百花苑、殿ヶ谷戸庭園、芝離宮は前を通ったが入らず、清澄庭園は行ったこともない。

久しぶりに自転車に空気を入れて来たので、抜けないうちにもう少し乗ってみたい。自転車で行けるところは後楽園と古河庭園。特に行きたくもないが近いほうに行ってみる。家に帰れば何もないが、外を動けば何かあるかもしれない。
9:48
六義園から本郷通りに出ると古河庭園まで1230メートルと書いてある。
9:51
JR駒込駅
1977年大学3年生の時の最寄り駅。
アパートは坂下の東口のほうが近かったのでこちらはあまり使わなかったが、外装などは新しくなっても当時と構造は変わっていない。

かつて、駅前の、通りの西側にチロリアンの千鳥屋があり、歩道からも中がよく見えた。
(実際買い物もしたかもしれない)

千鳥屋は1630年、竜造寺氏の家臣だった原田氏が九州佐賀で菓子屋・松月堂を始めたことを創始とする。(竜造寺は島津に敗れた後も秀吉から肥前31万石を安堵されたが、のち鍋島氏に領地を禅譲した)

千鳥屋は昭和2年に福岡で開店、千鳥饅頭を発売した。
1962年に千鳥餡に音が似たチロリアンを販売した後、経営者原田ツユの息子たちが次々と独立し、千鳥屋宗家(大阪)・千鳥屋総本家(東京)・千鳥屋本家(福岡飯塚)・千鳥饅頭総本舗(福岡博多)の4社に分かれた。
しかし、2016年、東京の千鳥屋総本家は民事再生法の適用を申請、千駄木に来てから長野への土産を買ったこともある、西日暮里駅の店舗とともに駒込駅前店も2018年ころ閉店した。

はて千鳥屋のビルはどれだったか、と横を見ながら妙義坂をおりる。

千駄木に来て付近を探検したころは、坂下に銭湯があった。
ブログを始めたのは2016年12月だから、前を通っても写真を撮らなかった。
千鳥屋とともに写真を撮っておけばよかったと思う場所。
9:53
銭湯の土地は、奥のほうにある香川栄養学園・女子栄養大学が取得したが、いまはコインパーキングになっている。大学の看板にはレストラン松柏軒の文字もあり、奥の大学ビルに入っているのだろうか。

本郷菊坂の旧伊勢屋質店を跡見女子大が買って集会施設として保存したように、女子栄養大も銭湯を保存できなかったものか。浴槽に魚を飼って鮮魚レストランとか料理教室とか。今や貴重になった銭湯の建物を壊した結果が、このあたりで最も殺風景なコインパーキングとは。
などと思っていると自転車が近づいてきた。
乗っているのが外国人というのが今風である。白人だからわかったが、中国人だったら分からない。
9:56
岩槻街道の霜降り橋跡をすぎ、坂をやっとこさ漕ぎ上がると到着。
国指定名勝 旧古河庭園
六義園や浜離宮などと違って、ここは「旧」の字がつく。なぜか?
庭単独で名前があるとき旧は不要で、旧岩崎庭園のように個人の庭だったという場合は旧があるのか?つまり旧は庭園ではなくかつての所有者につくと考えたが、浜離宮と旧芝離宮となると分からない。
9:57
前回来たのは2002年5月19日だから六義園よりもずっと最近である。
当時は川越線指扇に住んでいた。
柏瀬さんと来たのだが、ダンスの練習にでも行くついでだった気がする。
9:58
六義園との大きな違いは邸宅が残っていることだ。
大正8年(1919)に古河財閥の古河虎之助男爵の邸宅として建てられた。
戦後国有財産となり、敷地は東京都が借り受け1956年に都市公園として開放された。

若いころ、地図を見てコガ庭園だかフルカワ庭園だかどっちだか分からなかった。
古河財閥との関係も知らなかったし、それ以前に、古河電工だけでなく富士通や朝日生命なども生んだ古河財閥についても大して知らなかったと思う。学校で習った財閥は住友安田までだったから。
9:58
湯島の旧岩崎庭園と違って、建物見学は有料である。
入館には1階のみで500円、二階も行くガイドツアーは予約制800円。
喫茶室のケーキセットは1400円。

建物は(財)大谷美術館が1983年から6年をかけ東京都の助成を受けながら修復、1989年に公開した。現在大谷美術館が管理運営しているから庭園とは別なのだろう。
大谷美術館は大谷重工などを起業した大谷米太郎が計画し、死後実現した。彼についてはニューオータニのブログで少し書いた。
9:59
洋館の周りは様々なバラが植えてあるが、私は野菜のほうが好きだ。

9:59
バラ園のほうにはいかず、日本庭園のほうに行こうとすると途中に売店があり、店員さんが二人きちんと姿勢よく並んで立ちこちらを見ている。他に誰もおらず、何も買うつもりもないからちょっと気まずく会釈して通り過ぎた。彼らが直立不動で立っていたのは店がキッチンカーのように小さく中に入る場所がないからだった。
公式パンフレット

江戸時代から明治初めまで、ここは駒込六義園と違って西ヶ原という原っぱ、畑などだった。
明治20年代になって陸奥宗光がこの地を取得した。

陸奥宗光は紀州藩士の父が浪人したため、若いころは困窮を極めた。しかし神戸海軍塾に入り塾頭の坂本龍馬に見いだされ、以後、竜馬の片腕として亀山社中、海援隊で行動を共にした。維新後は新政府に仕え、投獄、留学を経て明治19年外務省に出仕、カミソリのような頭の切れと仕事ぶりで外交問題に活躍、不平等条約の改正や日清戦争のときの外務大臣として知られる。

陸奥は最初、摂津、兵庫県知事のころは大坂の紀州藩屋敷に逗留していたが、明治5年ころから10年ころまで深川清澄(都立公園とは別の場所)に居を構え、明治16年ころに下谷根岸に屋敷を取得したとされる。そして外務省時代の明治20年代に西ヶ原の土地を取得、本邸とした。陸奥は、大磯に別邸も持ったが、持病の肺結核が悪化し、明治30年、この西ヶ原の地で死去している。

宗光の死後、子のいなかった古河市兵衛の養子となっていた宗光の二男・潤吉が西ヶ原に住んだ。古河市兵衛は足尾銅山を取得(のちの古河鉱業)、さらに銅加工品の生産など多角化をめざし、のちの古河電工を中心とする古河財閥の基礎をきずいた。

2代目当主となった養子・古河潤吉は病弱で生涯独身を通し、明治38年、35歳のとき父と同じく西ヶ原で死去した。古河の事業は市兵衛が晩年(明治20年)にできた実子、虎之助が3代目当主として引き継いだ。西ヶ原は質素な屋敷であったため、彼は財閥当主の本邸にふさわしく敷地を1万坪に拡張、斜面の上に豪邸を立てた。それが今に残る。

樹木に覆われた細い道を池のほうに降りて行った。
10:01
10:02
崩石積(くずれいしづみ)
京都で生まれた伝統的工法で、「石と石が嚙み合って崩れそうで崩れない美しさ」というが、アーチでも作れば別だが、私にはただ積んだだけのものと大差ないように思われた。
10:03
大滝
斜面をさらに削って滝の高さを出した。こういうものは一生に何回か本物を山に見にいけば良く、わざわざ庭に作ることもないと思うが、自然を再現したいという庭師とお金はたっぷりあって丸投げした施主のなせる作品に見える。
10:04
路傍に曼殊沙華が2本。
大滝や石組より、こういうものが好きだ。
山ぶどうや栗、アケビなどを植えたほうが散歩も楽しいのではなかろうか。

10:04
邸宅の前に広がる西洋庭園。最初からあったかどうか知らないが、海外からの賓客だけでなく、園遊会での日本人客をもてなすのに都合が良い。

立派な洋館は護国寺に墓があるジョサイア・コンドル設計。延べ414坪。地上2階・地下1階。煉瓦造りの躯体を、黒々とした真鶴産の本小松石(安山岩)が覆っている。
10:06
スマホ撮影の時以外は立ち止まらず、戻って来た。
六義園よりさらに短い10分間の見学だった。
無料だと見学も雑である。

この日は小雨が降ったりやんだり。
六義園からずっと、半数くらいの人が傘をさす天気。
ところが、ここで雨が強くなった。傘を持っていなかったが、野良着のせいか、知っている人が誰もいないせいか、それとも暇なせいか、あるいは年を取ったからか、ずぶ濡れでも平気だった。

自転車を走らせて帰宅後、昔から疑問に思っていたことが頭に浮かんだ。
陸奥宗光の次男が古河家の養子になり、陸奥の西ヶ原の屋敷が古河家のものになったことはあちこちに当たり前のように書いてある。
しかし陸奥宗光には長男・廣吉がいた。家督と伯爵位を相続した。一番の財産である西ヶ原も相続すべきだろう。 実子とはいえ他家の人になった古河潤吉がなぜ住んだのだろう?
簡単には分からなかった。
調べているうちに、陸奥の遺言書には西ヶ原の本邸は長男に、大磯の別邸は夫人に残すと書いてあったことがわかった。
(奈良岡聰智、https://www.kokudo.or.jp/grant/pdf/2021/naraoka.pdf?utm_source=chatgpt.com)

西ヶ原が古河邸になったのは、潤吉あるいは虎之助が、廣吉から買ったのかもしれない。廣吉は外交官であり、霞が関からこんな遠いところに大邸宅は必要なかった(のちに高輪に住んでいる)。彼は父の死の翌明治31年からサンフランシスコ領事となり、その後在英日本大使館、北京、ローマ、マルセイユなど海外勤務が多く、西ヶ原などもらっても持て余しただろう。
そういえば、後妻の亮子に残された大磯別邸も、昨年訪ねると古河電工の保養所になっていた。年をとると色んな記憶がつながってくる。

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