家兎の体内に於いて受くるチモールの変化に就いて
第三高等学校医学部生理教室に於いて
生理学教室助手 勝山虎三郎 岡山県病院助手医 秦佐八郎
薬学雑誌196号545頁(1898)より
明治31年6月号を目的もなくめくっていて、論文タイトルだけでは目に留まらなかったであろう.続く2行の著者と所属につかまった。
第三高等学校というのは戦前の京都旧制三高ではない。1886年、中学校令により5年制尋常中学(県立)とその上に全国で5つの5年制高等中学設立が決まった。第3学区では、大阪の大学分校が京都に移転,第三高等中学となった.大学予科のほかに学部設置が認められており,88(明21)年、当時西日本最大の岡山県医学校が三高医学部となり,薬学科も併設された.しかし、 97(明30)京都帝大、99(明32)京大医学部が開校し、1901年(明34)岡山の医学部は独立,薬学は廃止された.ちょうどそのころの仕事である。
勝山氏は当時の薬学会岡山県通信委員も勤めている。
さて、秦佐八郎。
明治6年島根県に生まる。秦家の養子となり、28年三高医学部卒。恩人養父が病死した養家ではひたすら秦の帰郷を待ち焦がれていたが、岡山に留まる。学問への夢捨てきれぬ事を口にして、地元縁者に恩知らずと激しい非難を受けた。しかし、理解ある養祖父母が親戚を説得してくれ、31年7月妻を置いて上京、北里柴三郎の伝染病研入所。これが後にドイツ、エーリッヒのもとでノーベル賞級の梅毒特効薬サルバルサンを開発することにつながる.
本論文は、この上京1ヶ月前に出た。
兎にチモール3gを投与し得られた1.2gの尿中代謝物をグルクロン酸抱合体と推定している。化学反応、精製、元素分析を繰り返す内容は、秦がただの青年医でないことを十分示している。
このとき彼は何を考えていただろう。希望と不安。故郷へのうしろめたさ。当人も薬学雑誌の読者も全く予想しなかった彼の未来を我々は神のように良く知っており、声をかけてあげたい気分である.
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