吉祥寺から出て本郷通りを渡ってすぐ。
南谷寺であるが、目赤不動の方が有名。ここも初めて入った。目白同様、境内はあまり広くない。
窓越しにのぞくと憤怒の形相が見えるが、目の色までは分からなかった。
もとはここから東に数百メートルの動坂途中、今の駒込病院の東にあったというが、家光の時代に今の場所に移った。
ところで今の動坂は、この不動尊があったことから最初不動坂と言われたが、略して動坂となったと信じられている。その根拠は、江戸名所図会の文章らしいが、原文を確認できなかった。
その代り、国会図書館デジタルコレクション(公開OK)に『東京名所図会』中野了随(明治23)があり、コピペ?で出回っているのとほぼ同じ文章を見つけた。すなわち、
・・・始めハ千駄木にありしを、寛永年間この地に移さると云ふ。千駄木に動坂と云ふところあるハ、その旧地にして、不動坂の略語なりと云ふ。
しかし、不動坂が略されて動坂になるだろうか?
不動坂というと「ふ」の音は小さいけれど、文字まで動坂にすることはないだろう。お堂があったからドウサカといい、江戸後期になって漢字をあてるときに動坂と書き、それを江戸名所図会の斎藤氏が無理やり解釈したとは言えないだろうか?
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