1月12日、大塚さんと田辺製薬の解体現場を見に行った。
ついでに近所も歩こうと思ったが、80歳の方を連れまわすわけにいかない。
11時待ち合わせの40分前に行って、先に周辺を歩いた。
ここを去って8年、懐かしい建物はすでに何本かブログに乗せたので写真を撮っていないところを中心に歩く。
国道17号のロイヤルホストの手前の通りを南に入る。
2021-01-12 10:27
理髪のキタムラ
気まぐれで一度だけ入った。1000円カットが出る前、すでに散髪激戦地・西川口の1800円くらいの床屋を見つけて通っていたが、懐かしさで入ると、やはり3500円くらいした。これでも経営は苦しかっただろう。
それにしても子供のころは物価を考えれば安くはなかったが、床屋は混んでいた。
10:28 おけさ
都心と違い、自宅で営業していると寿命が長い。
小田原さんや大谷さんが好きだった店。
私は夜の宴会に行きたくなかったので、話をしたいときはここで岡田悦子さん、山本達郎などと、500円の朝定食を何回か食べた。その後朝食会場はロイヤルホストに変わる。
10:29
戸田南小学校(写真向こう)の東にはとんかつの和幸があった。
上がり座敷があり何回か宴会をした。
10:30
確か和幸だと記憶するが、駅ビルなどでよくみるとんかつ和幸との関係は不明。
岡埜栄泉のようなものか?
10:32
17号とオリンピック通りの交差点。
すき家の場所は31のアイスクリームとゴルフ練習場(パレットゴルフ)があった。
ブロンズパロット(不二家レストラン)の敷地は大和ハウスグループ、ロイヤルホームセンターになっていた。
10:34
この歩道橋の向こう、ぽんぽこの隣の風呂屋は1977年、大学3年でボートを漕ぎに来たとき既にあった。建て替えられているけども健晃湯というのか。
10:35
このあたりは1981-2013年の田辺時代32年間より、1977-1980の学生時代が懐かしい。
2年間のボート部、薬学の水上運動会などで戸田のボースコースに来た。
よく食べたインディアンという定食屋は、この道路沿いにポツンとがあった気がする。
しかし、このあたり新幹線(1985)の建設で区画整理されたかもしれない。
10:36
1980年以前、こんな立派な川はなかった。
ボートコースからの水と菖蒲川が合流する。
新幹線建設以前にこんな景色はなかった。
最後に来たのは1980年代、田辺の昼休みにジョギングで来たとき。
現場を見てからフェンスに沿って西側に回り、菖蒲川の橋に来た。
10:38
昔、ゴミが浮いていた川だったところが埋められ公園になっていた。
柵から向こうが戸田漕艇場
10:39
三十数年ぶりの景色
東大の艇庫が見える。船は1隻も出ていない。
5分ほどいたが、戸田ボートコース、各大学艇庫に関しては別ブログにする。
大塚さんとの待ち時間が迫っているため、駅に向かう。
10:46
昭和7年に建設された三代目戸田橋の親柱が移設されていた。(現在は4代目)
北関東と信越に向かう大動脈、国道17号の橋だから立派なもの。
戸田公園駅で大塚さんに再会、
いろいろ話しながら田辺製薬にいくと、やはりすっかり解体されていた。
しかし幸いなことにフェンスの中に入れてもらい、写真を撮った。
2021-01-12 11:16
2021-01-12 11:28
解体現場に関しては別ブログで書いた。11:37
薬理研究所(2号館)裏、この川のほとりにアイソトープセンターがあり、20代最後の4年間を過ごした。
まだ薬効薬理部門に移る前で、放射性標識化合物を合成したり、代謝物の構造を決定したり、有機化学的な仕事をしていた。
アイソトープセンターは定員6人、狭い建物の中にロッカーも便所も独立して備え、治外法権のような独特の職場だった。
一列に並んだ皆の机の目の前は菖蒲川。冬はときに満州のように(行ったことないけど)凍った。
川にボートを浮かべたいと仰った高橋忠男主任研究員は、かつてはARGの第一人者であったが、退職間際にパソコンが入り、ワープロ練習で百人一首を打っていらした。
また、放課後になると抜けて卓球に出かけ、帰ってきてからまた実験された上司、杉原重孝主任研究員は、優しかった。実験しながら率先して掃除機をかけたり、常に動いていらした。
皆さんお元気だろうか。
11:41
菖蒲川の向こうはすぐ荒川。
11:43
昼休みにボートコースまでジョギングするのは大変だが、ここは近いから何回か走ってきて体操などした。斜面途中の踊り場のような平地は舗装されていた。
解体現場を見た後だから、二人して製薬会社の研究所はどうあるべきだったか、などと話しながら堤防を歩く。すぐに埼京線をくぐり国道17号をこえ、堤防を下りると戸田公園の裏に至る。
ボートコースには入らず、裏の堤防沿いの道を西に歩き続けた。
11:56
40年以上前、ボート部の合宿では暗いうちに起きて準備体操をしたら船を出す前に走る。いったんボートコースを公園事務所まで走り、そこでこの道路に出て向こうから走って戻ってきた。
途中の民家でボートの金具を修理する家があり、赤羽浩一氏と破損品を持って行ったことがある。今は新しい住宅が並ぶ。
12:00
当時のランニングとは逆方向に公園事務所からボートコースに入った。
12:01
コロナのせいか、たまに散歩の人がいるくらい。
艇は一隻も出ていない。
艇庫とボートに関しては別ブログで書く。
1980年11月 水上運動会
渋谷雅明氏と藤井勲氏
(続く)20210115 田辺三菱製薬戸田の解体現場にいってみた
20190306 田辺三菱製薬 戸田の変わりよう
20190224 戸田公園駅2酔月園から転職まで
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