2023年12月1日金曜日

里芋は名前通り古い作物か

ちょうど1年前、12月に長野の弟から里芋の大きな根株を(食料として)もらった。春になったら植えてみようと、少しとっておいたのだが、腐ったのか干からびたのか、死んでしまった。

6月、里芋の苗を一つ、バイト先の田中さんからもらった。

芽が出ている苗だから失敗はない。初めてサトイモを育ててみる。

2023₋06₋27
もらったのは1つの芋から芽が2つ出ている苗だった。
じっと眺めているうちに分けたくなった。

2023₋06₋27
包丁を入れると思ったより柔らかい。
里芋らしく断面はぬるぬるしている。
こんなに切断面が大きくて大丈夫だろうか?
腐ってこないだろうか?
ま、何事も実験。
1つは元の場所、もう一つはキウリと夏ミカン、アジサイに三方を囲まれた場所に植える。
日当たりは悪いが、サトイモはそれほど日照を必要としないイメージがある。

サトイモは里芋と書く。
生物名よりも普通名詞のようだ。
改めて考えると山芋の対語だ。

山芋も栽培品種としてはヤマトイモ、ナガイモ、自然薯とかいろいろある。
全く手入れされない森の中、山の中に自生する芋を総称して言うのに対し、サトイモは人里で栽培される芋のことを差したのだろう。

現代の「里の芋」の一つ、サツマイモは中南米原産、ヨーロッパ、中国、琉球(薩摩藩)を介して広まった(唐芋)。また、やはり「里の芋」であるジャガイモは南米原産、ヨーロッパからジャワ(ジャカルタ)を介してオランダ船によって江戸時代に伝わった。

これに対しサトイモが里芋という名があるのは古来から日本にあったことを意味する。
原産地は南アジアのようだが、実際、稲の伝来より古い縄文後期には日本にあったとされる。

植物としてはカロリー(でんぷん)があるから、イネ以前は重宝しただろう。

ところで縄文時代は狩猟・採集生活、弥生時代は水田稲作生活とされる。これでは生き方、社会は全く異なるだろう。
大陸から稲作が伝わったからと言って、すぐ水田栽培ができるだろうか。こんなにガラリと人間は変わるものだろうか?

縄文時代後期は、教科書で言われている狩猟生活というよりも農耕生活だったのではないか?つまり定住して村を作り、畑を耕していたのではないか? もちろんサトイモを主食として栽培していたのではないか。不安定な狩猟より安定な芋作りのほうが良い。

あれほど早く稲作が日本全土に広がった理由は、すでに農業社会になっていたから、隣の集落で稲が作られれば、我も我もと喜んで作ったのではないか?

サトイモは水気を好む。
水を必要とするイネと同じ。
縄文時代の村によっては、サトイモ畑がそのまま稲の水田になったかもしれない。

・・・・
さて、秋が過ぎ、冬になって初めて作った里芋を掘ってみた。
2023₋12₋01
左のほうが少し日当たりがマシだったかな。

掘る時期は葉が枯れ始めたころといわれるが、全く枯れていない。
しかし時期的には遅いほうだ。
芋を半分に切ったこと、植えたところが日当たり悪かったこと、肥料を一切上げなかったこと、もろもろの理由から、草丈は小さく、芋も予想通り小さく少なかった。

ちなみに里芋、サトイモは普通名詞に見えるが、栽培品種は多く、
・土垂(どたれ)
・エビイモ、
・セレベス
・ヤツガシラ
などがある。

きょう掘った芋は、種芋として来年春までとっておこうと思う。


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