2019年7月29日月曜日

記録的な梅雨でネギが腐る

本日7月29日、関東甲信越の梅雨明けが宣言された。
台風の影響で28日朝まで雨が降ったが、すでに先週26日は夏空が見えていた。

それにしても今年は記録的に晴れ間がなかった。
東京都心は6月27日から7月16日まで過去最長の20日連続で日照時間が3時間未満となった。今までの記録は1988年の17日。

7月の日照時間は16日までなんと計5.6時間(昨年の4%)、半日分もなかった。
24日にようやく晴れ間が出て、26日は6月26日以来1か月ぶりに太陽が11時間出た。
それでも7月は27日までに日照時間がたった44時間。

ただでさえ我が家の庭は日当たりいまいちなのに。
2019-07-15
2019-07-19
キャベツは日当たり不足か。
成長しないまま梅雨に突入したものは、球にならなかった。
日向にあったものは5月末から6月中旬に球になった。
カラ梅雨、7月猛暑の昨年は7月に球になったから、これは日照不足によるものかもしれない。

問題はネギ。
八百屋さんで買った相模原特産の株ネギ。
根の部分5~20㎝を植えたらすぐに茎が伸びてきた。
ところがせっかく出た緑の芽が腐っていった。
2019-07-21 4本のうち一番右が腐った

2019-07-28 一番右は消滅。左から2番目も腐った。

まとめると7/8から7/19にかけて、食べ終わったネギの根を8本植えた。
すべて順調に緑の葉が伸びてきたのだが、あるときから次々と腐っていき、現在残った3本も瀕死の状態。
植えた時期、茎の長さは関係なく、溶けるように根まで消えている。
これは病気ではなく、長梅雨の影響ではないかと思っている。


以下梅雨真っ最中の7・21の写真だが
鞍かけ豆はまだ実が入らない。
早生枝豆だったらどうだったかな?

オクラ。明らかに成長遅い

キウリ、トマトはまあまあ

実生のパプリカは全然成長しない。
3・24にまいて4・12に発芽したもの。
実生はもともと遅いのだが、記録的梅雨でもっと遅れた。

ナスは私としてはまあまあだが、例年の陽気ならもっと採れただろう。

2019-07-26

昨日28日は1か月遅れたが、叔父の一周忌を日野の叔父宅でやった。
18時ころ帰宅すると室温が31度だったので初めてエアコンを使った。

寝る前にスイッチを切っても停止しない。
カビなどを防ぐための内部清浄の自動運転とか。
30分以上もやっている。
エアコンなんて小さな箱なんだから30分も1時間もかかる清浄なんておかしいだろう。
買ったけれど気に入らない。

2019年7月21日日曜日

開成の校舎解体と高校入試

開成が校舎を解体した。
西日暮里駅からすぐの正門入って右側、ひぐらし坂に面した鉄筋コンクリート3階建て。
入試の合格番号が貼られ、剣道の掛け声が聞こえていた体育館校舎(1971年築)。

4月だったか5月だったか、フェンスで覆われ工事が始まり、フェンスが撤去されるとアスベスト入りの建物は消えていた。

なぜ建て替えるのだろう?
2019-07-17

真っ先に思ったのは、巣鴨、本郷など、盛んに行われた都内私立中学の校舎新築であった。
学生数が増えるわけでもないのに建て替えた。
中の先生に理由を聞くと、入学者確保のためという。
少子化で生徒数が減る中、いかに選んでもらうか。
見学に来る小学生の母親が大事だそうで、それには教育理念などより、きれいな校舎ということだ。
中堅校の苦しさは分かるが、開成などトップは関係ないのではなかろうか?
ぼろ校舎の方がカッコいいではないか、と思ったが、一つ思い当たる節がある。

中高一貫校の高校入試の不人気である。
本郷学園は高校入試を2022年から中止するらしい。
高校から入る学生の大学受験成績が極端に悪いためである。
学内の中高一貫生と比較しても悪いが、同じ偏差値の他の高校よりも低いのである。これは中高一貫の教育がメインのため、途中から合流する生徒の指導ノウハウが不十分なためと説明される。
生徒の方でも避ける傾向が強い。途中から入っても生徒会やクラブでは中学からの一貫生のものが中心になり、面白くないというのだ。
志願者は公立を第一志望としており、合格しても、辞退者が続出、ますます一貫生との差は広がる。

これは開成でも同じではないか。
高校入試で入る100人は、1年間進度調整で別クラスだが、もともと優秀だから高2から中学からの300人と完全に混ぜ7x7の49人8クラス、高3での運動会目指して密度濃く一緒に学んでいく。

ところが近年、高校入試の人気が落ち、2004年は正規合格162人、繰り上げ数人、つまり合格辞退者が70人程度だったのが、2019年は正規合格188人、繰り上げ入れれば250人くらい合格通知を出したと言われる。すなわち150人ほどが日比谷、西、浦和、横浜翠嵐などにいった。開成は滑り止めだ。

何となくわかる。
千葉でのふんどし水泳合宿、中1から高3までの縦割りでチームを作り上級生に指導される運動会などは中学から入らないと味わえないし、高校から入ると勉強で追いつくのに必死で遊べない。
一貫生が大きな顔で(本人たちは無意識でも)仕切っているのは不愉快だろう。たった一回の高校生活なら自分たちが主役になれる高校、中高一貫でないところがいい。

400人のうち200人(多いとき、2012年)が東大、100人が医学部に行くらしいが、進学先での優秀な同級生よりも中高での友人のほうがはるかに親しい。彼らにとって東大ブランドより開成ブランドの方が重要なのだ。中高一貫の魅力が宣伝されるほど、高校入試は苦戦するだろう。

2019年の高校入試は志願者が2016年より100人以上減っている。この流れは止められない。開成も高校入試を廃止すると見る。
すると中学の定員を400人にするだろう。
少子化、公立中高一貫などで私立中学入試は軟化していく。その流れの中で定員を増やせば、偏差値が低下するだろう。下手すると小石川など中高一貫都立などに流れるのではないか?

 
建築計画を見れば創立150周年記念事業という。
2020年1月着工、7月末に完成、地上6階、地下1階。
公式サイトをみれば、日の当たらない中庭もつぶし、体育館、食堂、教室が入るようだ。
完成予想図は何の装飾もなく、ただのビルであった。

1871年創立、えっこんな人も、というほど多くの人材を輩出した。
少々偏差値や東大合格者が減ってもいいではないか。
歴史と伝統が一番の財産である。
2019-07-17

工事前の写真をのせておく。
2017-09-23 8:46 
文化祭の開門前に並ぶ小学生と保護者

2017-06-10
西日暮里のホームからはここのペン剣マークが見えていた
 
2017-06-10


以下は2018年10月13日
おそらく内部の人は見慣れた景色として写真など撮っていないだろう。
もはや貴重なものになったのではないか?









なお、道灌山での開成校舎の変遷は別ブログに書いた( →)


千駄木菜園 総目次

2019年7月20日土曜日

大正大学の成立とサザエ堂

7月11日、近くに来て15分くらい空き時間があったので立ち寄った。

今回初めて知ったのだが、大正大学は、大正15年(1926年)、いまの文京区にあった以下の3つの学校が合併してできた。

1.天台宗大学 
2.豊山大学
3.宗教大学

それぞれ天台宗、真言宗豊山派、浄土宗である。
1943年には真言宗智山派の智山専門学校が加わった。
これってすごくないか?

すなわち宗教って、本来、その成立からして排他的なものである。
三宗四派が連合して学校を作るなどありえない。

駒澤大学(曹洞宗)
立正大学(日蓮宗)
龍谷大学(浄土真宗西本願寺派)、
大谷大学(浄土真宗東本願寺)
花園大学(臨済宗)
鶴見大学(曹洞宗)
淑徳大学(浄土宗)
武蔵野大学(西本願寺派)
など、ふつうは単独でつくるものだ。


天台宗大学は、
1885年(明18)寛永寺内 に設立された天台宗大学林が天台宗東部大学黌となり、
1904年(明37)本郷区千駄木の大保福寺内(現在の駒込学園の敷地)に移転、専門学校令による天台宗大学が認可された。 

豊山大学は、
1887年(明20)小石川の護国寺内に真言宗新義派大学林が開校するも1900年閉鎖。
1901年(明34)護国寺内に豊山派大学林が設立、1906年豊山派高等学院と改称
1908年(明41) 専門学校令による豊山大学となる。

宗教大学は
1891年(明24)浄土宗宗学本校が芝増上寺天光院から小石川の伝通院に移転、
1904、浄土宗高等学院、浄土宗宗教大学院、さらに浄土宗大学と改称
1907、浄土宗大学は宗教大学と改称
1908(明41)、北豊島郡巣鴨村に移転(現在の大正大学の敷地)



1925年 千駄木の天台宗大学、護国寺の豊山大学の学生が、西巣鴨の宗教大学内の仮教場にて授業を開始。
翌1926年(大正15)旧学制により大正大学創立。
すなわち大学令による文学・予科と、専門学校令による専門部であるが、
戦後の1949年、新制大学として認可された。

塀に囲まれ守衛さんがいる大学と違い、誰でも入れる。
とくに中山道側は広場や東屋を配し、町に向かって完全に開いている。
2019年で
6学部11学科、入学定員 1125人である。
敷地 23,629m2だが、ほとんど緑がない。

 

学生ロビーから、八角形のすがも鴨台観音堂(大正大学11号館、通称サザエ堂)がみえる。

前回サザエ堂に入ったのは2013年10月。
この年の5月に完成したばかりであったせいか、案内の方が二人いらしたが、今回は誰もいなかった。
撮影禁止とあるので、撮らなかったが、梵字を描いた壁面を左に見てらせん階段60段あがるとスペースがあり、観音像と千住博画伯の滝。
以前来たときはもっと上まで登れた気がする。
滝の絵ももっと大きかった気がするが、彼もいっぱい滝を描いているから他の滝と一緒になっているのかもしれない。

下りは、右側にさまざまな色の滝の絵を見ながら、登り階段とは交わらず一筆書きのように降りてきた。
ちょうど一本のホースを二つに折って、サザエのように巻けば、一つの管が逆行する二重らせんになるのと同じ。


サザエ堂に入って、先月講義した内耳の蝸牛を思いだした。
これも二重(三階)らせんになっていて、鼓膜を越え中耳に入った音波は、私が上り下りしたように、有毛細胞を刺激しながら前庭階を進んでいき、先端で折り返して、入射波と干渉しないように鼓室階を戻ってくる。

とげぬき地蔵の商店街から続く庚申塚商栄会の道(旧中山道)に出ると、拡大する大正大学に隣接して取り残された建物があった。
消えかかった文字は東京種苗株式会社と読める。
かつて、この辺りは種屋が軒を連ね、旅人は江戸の珍しい野菜の種を土産にしたらしい。

もと種苗店の隣の白い建物は久保田クリニックだが、2階が大正大学の保健室になっている。
日本医大と同じで周辺に売りが出れば校地を買い足したいだろう。

種苗店のならび、中山道に面した鴨台花壇カフェは普通の店にみえるが、
しかしれっきとした大正大学第3学生食堂である。
5号館8階には眺望抜群の、座・ガモールクラシック・鴨台食堂がある。
昨年2018年4月にリニューアルオープンした。
一般客が安心して入れるようにメニューを路上に出していた。
さすが三宗四派が合併、開かれた大正大学。
今回は仕事があったので寄れなかったが、私の中の大正大学の印象はぐっとアップした。
いつか食べに来よう。
 
穀物肥育牛のサーロインステーキ(120~200g) …1,300~2,000円
 プラス600円で本日のスープ・サラダ・デザート・コーヒーが付きます。


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2019年7月19日金曜日

忘れられない人3 中西香爾先生と小田嶋和徳さん

きょう「現代化学」6月号をパラパラ見ていて中西先生が3月28日に亡くなられていたことを知った。享年93。野依良治先生、大橋守先生による追悼記事だった。

一度お会いしたことがある。
35年前、1984年5月、新婚旅行でニューヨークに行った。
行く前、妻はニューカレドニアだのカナダだのリゾート地を主張したが、アメリカ東海岸を選んだ。当時は海外旅行などまだまだ珍しく、新婚旅行が最初で最後と思われていた。それならワシントン、ニューヨーク、ボストンに行きたい。
海や森などどこにでもあるではないか、と説得した。
さすがに羽田出発ではなかったが、まだ1ドル250円だった。

初めての海外なのにパックツアーでなかった。
行きたいところを回るツアーがなかったのである。
もちろんネットもメールもファクスもない。
野口さんに小田嶋さんがニューヨークにいると聞き手紙を書いた。薬学ボート部の4年先輩で、古賀研の助手をへてコロンビア大中西研にポスドクとして留学されていた。

こわごわとニューヨークの地下鉄に乗り、大学を訪ねると先輩はいろんなところを見せてくれた。

大きな合成実験室は真っ暗。
光によるシス・トランス変換の最適波長をずらした各種レチナール誘導体を合成していた。これらが目に取り込まれれば紫外線や赤外線も見られるのだろうか?
オプシンのアミノ酸残基がレチナールに作用し光吸収波長をシフトさせる機構を研究しているらしかった。当時、有機化学と生理学の境界領域の研究など本当に珍しくて、世界のレベルに驚いた。
(遺伝子工学でタンパクの構造決定とアミノ酸置換が簡単にできるようになるのはもう少し後である)

レチナール誘導体はメダカのような魚に投与して行動を見るらしく、水槽がいくつもあった。

このあと教授室に案内された。
1970年代、中西香爾といえば「赤外線吸収スペクトル―定性と演習」 (東京化学同人)。当時の有機化学を勉強する者はほとんど知っていた。旅行直前にも円偏光二色性スペクトルの著書を読んでいたので、私には神様のような人だった。

田辺製薬の研究所にいると自己紹介したら、東北大時代の教え子、大橋元明さんの話をしてくださった。大橋さんは当時の私の上司。

 私にむりやり連れてこられた妻にも気遣ってくれ、
「お土産は買いましたか? そう…、見つからなかったらワイフ(と呼ばれたかどうかは忘れた)に電話してみたら? 相談に乗るようにいっておくよ」 
と黄色い付箋のようなものにご自宅の電話番号を書いてくださり、私のカメラにぺたっと貼り付けた。まだ日本にはなかったポストイットであった。

ホテルに帰って電話したのが、野依、大橋両先生の追悼文にある泰子夫人だった。教えられた店でお会いしたかどうか忘れたが、そこで買った花瓶敷は長野と取手の実家で長く使われている。

その後、2007年ファルマシア編集委員をしていたとき、「挑戦者からのメッセージ」というコーナーで中西先生に執筆を依頼した。
このコーナーは長老的な大先生に自由に書いてもらう。第一回から柴田承二、大塚栄子、中嶋暉躬、塩入孝之、早石修、金岡祐一、関谷剛男、仲井由宣、大村智、遠藤章、長尾拓、永井恒司、木幡陽というそうそうたる人々についで14番目であった。日本におられたらもっと早く名前が挙がったであろう。

どういう依頼、連絡をしたかメールも何も残っておらずほとんど記憶がないのだが、確かゲラの推敲のときちょうど来日されていた。お茶の水、山の上ホテルが常宿だということをその時知った。


さて1984年のニューヨークに話を戻すと、小田嶋和徳先輩は
コロンビア大から歩いてハドソン川(リバーサイドパーク)脇に立つご自宅の高級アパートを案内してくれた。夜は、それまで怖くて高いレストランばかりで食事していた我々に、地下鉄が地上に出たガード下の、ゴチャゴチャしたところでピザをご馳走して下さった。

分野が違うこともあり、その後お会いする機会がなかったが、北大時代にグルタミン酸を電気化学的に検出するセンサーを開発され、グルタミン酸作動性チャネルを研究していた私は別刷りをいただいた。
1998年?に東大助教授から名市大(教授)に移られても、筆不精で有機化学からすっかり離れてしまった私は、ますます接点がなくなってしまった。2007年ころだったかファルマシアである企画を思いつき、連絡をとろうとしたら、事故で大変な怪我をされ入院中と聞いた。それ以上の情報を知る者が知人におらずそのままになってしまった。いまどうされていらっしゃるか。

彼は教育大付属高校時代からボートを漕いでいた。
(開成との定期戦は大正9年から今も続いている。)
1977年、78年の戸田での我々の合宿にもときどき顔を出してくれた。早朝練習が終わってから皆で大学に向かうのだが、川口駅への前新田循環の揺れるバスの中で、彼は何かノートを書いていた。あとで一人一人渡されたのは、図入りの、揺れる文字で書かれた練習方法を含む詳しい個人別アドバイスであった。


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2019年7月17日水曜日

長い梅雨にトウモロコシ収穫

今年は梅雨が長い。
東京都心は6月27日から7月16日まで過去最長の20日連続で日照時間が3時間未満となった。今までの記録は1988年の17日。
7月の日照時間は16日までなんと計5.6時間(昨年の4%)、半日分しかないのである。
朝日新聞デジタル 7月16日から

気温の低さも記録的。
都心は昨年7月、ほぼ全ての日で最高気温が30度以上になったが、今月は一度も記録せず。13日に最高気温が27度になったものの、それまでは8日連続で最高気温が25度を下回り、冷夏となった1993年の記録に並んだ。
農作物はどうなるだろう。

その7月14日、トウモロコシがこれ以上大きくなりそうもないので収穫。
2019-07-14
二本のうち、右は受粉がうまくいかず粒ができず。
右は半分くらい正常粒になっているが不思議なことに、小粒のまま成長しないものと、未受粉の3種類に分かれた。

昨年は二本とも受粉に失敗しているから少しはマシ。
昨年、2018-07-15

今年の2本はなぜ差があるか?
 
一か月前の 2019-06-18
雄花を切って人工授粉した。
しかし花粉が残っていたかどうか不明。
結実したのは左Aの方。
Aのほうが成長早かった。
トウモロコシは雄花が咲くとき雌花は影も形もない。
つまり、A雄花ーB雄花ーA雌花ーB雌花の順に咲いた。
A雌花のトウモロコシはBの花粉をもらえたが、Bの雌花が咲いたときは雄花がA、Bともなくなっていたのではあるまいか?

千駄木菜園は日当たりが悪いので、甘くなるもの、デンプンを食べるものは難しいと思い避けてきた。果物、スイカ、カボチャやジャガイモは作らず、大根、白菜、ナスなど味がしなくても食べられるものを育ててきた。

トウモロコシは避けてきたが経験のために昨年初めて植えた。
想像通り二年続けてダメだったからもうやめようと思った。
ところが半分実がついた左の1本を食べたら思ったよりうまい。
来年も作る気になってきた。

食べられない右のトウモロコシから種を取り、まこう。
2本ではなく8本くらい植えたい。
受精しやすいように1列でなく、円形に植える。そして雌花が出るころ花粉を供給できるように、遅れて雄花が開花する1本を真ん中に植えればよい。

来年の今頃、旨いトウモロコシができればいいな。
そのときも今と同じように健康でいられるだろうか?