2021年11月18日木曜日

渋谷センター街から東急本店通り、道玄坂小路

原宿駅、代々木公園から公園通りを歩いてきた。(別ブログ)

渋谷駅は工事中なので近づきたくない。
公園通りから、西武の室内立体駐車場とディズニーストアの間(間坂)を右に入る。
西武B館を回りこむように坂を下りると井の頭通り。
2021‐11‐03 12:23
西武B館(左)とA館
A館の手前、万葉会館(右側)はIKEAのビルになっていた。

初めて東京のデパートに入ったのは、上京して大学に入った1か月後の1975年5月初め。この西武デパートだった。
晴れた午後、駒場の寮から男だけ4人で歩いて代々木公園に行った帰り。
買うものなんて何もないのに、みんなで入ってみた。私がエスカレーターに初めて乗ったのは、この日だったかもしれない。しっかり手すりベルトを掴んで、緊張を隠すために、途中に下がっているすだれみたいなものを触ってみたりした。これは首が挟まれないように付けてある安全装置だと後で知った。駅にエスカレーターなどなかった時代である。
吉祥寺を越え境浄水場ほうまで続く井の頭通りも、始まりは一方通行の狭い道。

少し西に行くと宇田川通り(左)が井の頭通りから分かれる。
分岐点にある交番は昔のまま。
右に行くとカレーのボルツがあった。
何種類かつく漬物とヨーグルトが当時はおしゃれで、何回か入った。

そうだ、少し戻ってスペイン坂に行ってみよう。
この40年の間に一度くらい来たかどうか。
12:25 スペイン坂
途中から階段になり、上がるとパルコにぶつかる。
命名されたのは1975年というから私が初めて渋谷に来た年だ。

ちょうど昼時。女子高生ばかりのカフェはやだな、と思ったら、和食の店があった。
カキフライ定食1000円、コロナは収まってきたとはいえ、空いていた。


旧万葉会館の西側を南に入る。
むかし田園という喫茶店があった気がする。

井の頭通りからセンター街に出たところの角に三平酒寮という居酒屋がある。
これは三平食堂の末裔ではなかろうか?
生協食堂が250円くらいだった時、渋谷の外食でも380円?くらいで食べられた。

1975年5月、4人は西武デパートから出てここに入った。
私が旨そうだと選んだ定食は鳥の骨付き肉を揚げたもの。食べるのに手こずっていると、1年先輩の市川さんがチキンライスを食べ終わって「デートやみんなと一緒のときは食べやすいものを選んだほうがいいよ」とアドバイスしてくれた。

13:11
センター街を少し西に歩いて振り向いた。
昔はなかった巨大駅ビルが見えた。

それにしてもカラオケ店ばかり。40年前もスナックにカラオケはあったが、カラオケ専門店など一軒もなかった。その代わり喫茶店ばかりだった。このあたりは先ほどの田園のほかに白鳥とか十戒とか。忘れちゃいけないマイアミとルノアール。

昭和は必ず喫茶店だった。
いまは人と食事を一緒にすることはあっても、食事でも何でもないときに、だらだらとおしゃべりすることなどありえない。忙しいのか、そんな相手がいないのか、おそらく文化、習慣が変わってしまったのだろう。いま高校生にとってはマック、サイゼリアが昭和の喫茶店の代わりだろう。

センター街のABCマートとマックの間の道から東急本店通りに出た。
いまは文化村通りというらしい。bunkamuraは1989年にできたからそのころ改名したのだろうか。ここをまっすぐ行くと寮があった。
 
通りの南側(上の写真で左)は109、LABIヤマダ電機、洋服の青山、と並んでいる。
このあたりにくじらやがあったはずだが、109とヤマダ電機はつながっている。
はて。
国土地理院 1979/10/20(昭54)
109(1979年4月オープン)の隣はビルの列がぽっかりと空いている。
ここがくじらやだったのだろう。
いつも前を通るだけで入ったことがなかったが、近年移転したらしい。

ところで、いま東急本店(左上)を見れば文化村は駐車場だったようだ。

ヤマダ電機の場所は、建築会社長谷工の長谷川スカイラインビルがあった。
2003年にラウンドワンのものになり、当初はボウリング場などを計画していたが、とん挫した。その後ヤマダ電機が土地を取得、1年ほどバイク王の二輪駐車場などになったあと、2007年に着工、2008年9月にLABIがオープンした。

この通りを東急本店に向かっていくと、地下に大船長というキャバレーのような大型パブがあった。定期試験が終わり同室の斎藤実くんらと渋谷へ飲みに出た。西から歩いてくると一番先に目につくから、入ってしまった。ところが明朗会計ではなく、ずいぶん高かったことを覚えている。
隣あたりにあったカメラのキムラヤ?は、1976年2月ころ初めてカメラを買った店だった。今はカメラのキタムラになっている。

さて、この日は文化村通りをそちらのほうまで歩かず、黒沢楽器の角から路地を入る。この付近で東急本店通りから道玄坂に抜けられる唯一の道。
13:15
道玄坂小路というらしい。
工事現場もあり、右側の再開発が始まっている。
東急本店通りから道玄坂のあいだは、109ができて、この路地がいちばん恋文横丁に近い道として残った。すなわち、あたりが昔の雰囲気を残す。恋文横丁の標柱は文化村通りからの入り口、109とヤマダ電機の間にある。
東京都区分地図1975(国際地学協会)
上京してすぐ買った地図。109ができる前。緑屋がある。
パルコパートIIは仁愛病院だったか。

国土地理院 1975‐01‐19
109はまだない。
よくこの前を歩いていたはずだが、横丁などの記憶はない。
私も含め当時の若者は、ごちゃごちゃした路地は興味がなかったのだろう。

13:16
さて、道玄坂小路を行く。
右側の植え込みは台湾料理「麗郷」。行列ができていた。
写真の階段を上がっていくとホテル街。その手前は風俗店が並んでいる。

坂の多い地形によって道が入り組み、区画が狭い。
地権者が多数になったこともあり、大規模開発が遅れ、いまも階段、小径が多い。
それが、池袋新宿と比べ渋谷の魅力になっている。

この階段を上がると渋谷百軒店、迷路のような路地でアベックとすれ違うはず。

道玄坂の通りを突っ切り、井の頭線のほうに向かって再び路地に入っていく。
やっているのか廃業されたか分からないような長岩医院(写真左)、渋谷の奥の深さを感じる。
覚せい剤のやり取りをしてそうな路地。

渋谷マークシティのイーストとウェストの間をくぐる。
13:20
この上は井の頭線渋谷駅のホームだろう。
右に切符売り場、西口改札が見えた。

このあたりメタンガスのにおいがする。
最初は下水の臭いと思っていたが、天然ガスかもしれない。
2007年、松濤温泉シエスパで爆発事故があった。深さ1200メートルのボーリング井戸から温泉を汲み上げていて、メタンが一緒に出てきたのである。このあたり南関東ガス田にあたり、とくにガスが噴出しやすい地下構造になっているのかも。渋谷の谷は地下鉄始めいろんなものが走り、高層ビルの杭が深く差し込まれているし。

井の頭線渋谷駅西口から、プラザ通りを国道246のほうに進むと途中に渋谷古書センター。
10年以上来ていなくて、このご時世、とっくに廃業されているかと思ったら、ほとんど変わっていない。(二階がブックカフェになったようだから縮小したか?)
2005年4月から2010年まで、月1回、ファルマシア編集委員会で渋谷に来たこともあり、時間があるときは覗いたものだ。

ここはエロ本が充実している。動画はネットにいっぱいあるから、こちらはグラビアより文章ものが多い気がする。時代が変わっても一定の需要はあるようだ。

13:21
エロ本だけでなく、昭和風俗や美術、歴史関連の書籍にも掘り出し物がある。
「画報躍進之日本」、「赤い鳥」、「女性セブン」などのバックナンバーが横積みされていた。欲しいものもあったが終活を考えると買わないほうがよい。

この日は、このあと渋谷区立大和田小学校(~1997)の廃校跡にできた区立文化総合センターで開かれたダンスパーティに行く。日暮里ファーストプレイス、池袋アカデミー、と次々閉鎖され、練習場に困り、踊りに来たのである。
13:25
会場へ行くのに結局渋谷駅南口の歩道橋を通ることになった。
渋谷の街も変わったが、駅の変化が一番激しい。

そのエネルギーをみると、駒込、田端、日暮里あたりと同じ山手線の駅とは思えない。


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