2022‐05-02 11:43
4月19日から3日間かけて伐採された桜の巨木。
芳樹園さんは切り株は取り除いてくれなかった。
(作業量の見当がつかないほど、難しいらしい)
放置すればシロアリが来るかもしれないから何とかしなくてはならない。
それに取り除けば他の木や野菜を植えられる。
それで翌日からひとまず周囲の密集した根を掘り始めた。
チェーンソーが届いた4月28日からは、株の切り出しに着手した。(前のブログ)
2022‐05-02 14:53
ゴールデンウィークはどこにも行かず、作業が進む。
といっても定年退職したのだから、サンデー毎日、いつでもできる。
時間だけはたっぷりある。
芳樹園、高辻さんは、モミジや巨木ザクロを伐採した後、私が放置された切り株を自力で掘り出したことを知っている。
最終日、「ひょっとしたら、旦那さん(彼は私のことをこう呼ぶ)、切り株を時間かけて掘り出しちゃうかもしれませんね」とニヤニヤしながら帰られた。
そう、毎日少しずつでも切り株を削るように小さくしていけば、増えることはないのだから、いつかはなくなるはずである。
それに始めて見て分かったが、楽しい。
ただの穴掘りも好きだが、それとは比較にならないほど楽しい。
頑張れば頑張るほど(切り株はなかなか小さくならないが)四方にはびこる根は片付き、その分、野菜を植えるスペースが広がるからだ。
奈良時代初期まで、農地は国有だった(口分田)が、農業生産を上げるため、荒れ地などを開墾したら私有化してよいという三世一身の法、墾田永年私財法ができた。そこで貴族や大寺院がこぞって荘園開発に乗り出し、律令制が崩れたわけだが、そのエネルギーは大変なものだった。
スケールは全然違うが、千駄木菜園でも土を掘るだけで新たな土地が増えるというのはとてつもないエネルギーを生む。座布団1枚でも耕地が広がればうれしいのだ。
そのための労力は惜しまない。
今までの勉強や遊び、恋愛、仕事と比べても、かける情熱は相当なものだ。
それが定年退職と重なった。
毎日、切り株や根っこを見ているから頭に形が入ってしまい、ふろに入っているとき、布団に入ったとき、食事、電車、ダンスの練習のときでも根の形が浮かんでくる。
あの根を切るにはこちらの根を先に切ったほうがいいな、
あの出っ張っている部分はチェーンソーで切れないだろうか・・・・・
最近風呂が長くなったと妻に言われた。
05-07 7:02
チェーンソーは音が大きいので早朝は手掘りが中心。
前日切った丸太を取り除くと(上の写真)、
その下にさらに新たな丸太が出現(下の写真)。
2022-05-09 7:44
ワニのような太い根
2022-05-09
ワニの根は北に延び、家に向かっていた。
その下にさらに太い根。
2022-05-09
ワニの根は死んでいて一部がボロボロになっていた。
2022-05-10
地上1メートルの高さで幹回り3メートルだった堂々たる文京区保護樹木。
切るとき取りはずした表示板が藪の中から出てきた。
2022-05-10
セミの幼虫がいた。
昨年夏、リモート会議のとき「うるさい」と言われたほどセミが鳴いていた。彼らにとってサクラが全世界だったのに、それがなくなった。ヒキガエルとともに彼らの住まいを奪ったのは申し訳ない。
2022‐05-11 6:49
株の北側はこれで終わり。
幹の下は寸胴になっているが、死んでいた。
しかしボロボロ崩れるのは外側のごく一部だけで、これ以上は掘れない。
太い根はどんどん死んでいき、新しい根は順にその上から出ていくようだ。
2022‐05-12 6:10
株の西側に着手
05-12 10:35
この日はこれを切っただけで終わった。
チェーンソーは木が太いと極端に難儀する。
最初のころは怖かったから取扱説明書にあるように保護メガネ、軍手をしていたが、慣れるに従いメガネなし、素手、そして力が入ってくると顔がいつの間にか切り口、すなわちノコギリのそばまで近づいている。なにかの反動で刃がこちらにはねたりしたら大けがするだろう。
05-13 8:32
この日は雨なので作業せず。2枚前の写真(前日の朝)と比較するため撮った。
まるまる1日やっても進展はわずか。
傘を差しながら眺め、切れそうな出っぱりを探す。
2022-05‐13 13:14
昼は歩いて本郷通りのふじ芳にいく。
海鮮五色丼は刺身が普通の店の2倍ほどあって800円か850円。
食後、ついでに東洋文庫美術館まで足を延ばす。
入るのは3回目だが、今回はいつも見る江戸の地図の隣に好太王碑の拓本があった。
実物大という大きさに驚いた。
百済・新羅はもと高句麗の朝貢国であったにもかかわらず、倭軍が侵略してこれらを臣民としたために、現状回復したという高句麗王をたたえた内容である。
しかし韓国では日韓併合のはるか前に日本が半島を支配した歴史が面白くないため、主語を変えて〈新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。しかし、倭が辛卯年(391年)に来たので(高句麗は)海を渡って(倭を)破り、新羅を救って臣民とした。〉という説が主流らしい。
05-17 7:10
曇りという天気予報だったので作業開始。
05-17 10:56
時折小雨の中、西側終了。
上の写真と比べて株の近くはほとんど切れないことが分かる。
05-17 12:51
南側、太い根を1本切断、2本目にかかる。
作業は足場が悪いからたいてい片足に全体重がかかり、しかも足を曲げているから太ももが疲れる。チェーンソーを持つ腕もノコギリ部分を押し続けるからくたくたになる。当然腰も痛い。
しかし作業はやめない。
05-17 13:52
南側は半島のように出っ張った根の集合体が難物。
腹が減ったな、と思ったら15時近く。朝7時から働き通し。
飲まず食わず、休憩なし、トイレにもいかない。
そのくらい切り株崩しは夢中になる。
ここで断念した。
幹の太さまで周囲を切り整えたかったが、幹の近くは根が融合して塊となっていて切除不能、これ以上無理だった。
あとは土をかけて株を腐らせることにした。
05-17 15:08
土を盛ったらますます桜のお墓のようになった。
昼飯はまだだったが、空腹を通り過ぎた。
しかしトイレに行きたくなったので朝以来の長靴をやっと脱ぎ、足を洗った。
別ブログ
20220503 桜伐採の後始末、根の除去はライフワーク?
20220422 保護樹木サクラの伐採、お別れ
お出かけ 目次へ (ご近所から遠くまで
千駄木菜園 目次へ (庭と野菜つくり)
今日の気持ち 目次へ (エッセイなど)
薬学昔々 目次へ (明治の薬学雑誌)
医薬史エッセイ 目次へ
翻訳本あとがき 目次へ
競技ダンス 目次へ
0 件のコメント:
コメントを投稿