2022-04-05
最後の花も散り、お別れが近づいてきた。
この巨木を初めて見たのは2011年7月18日。
7月24日に再訪、ぜひこの木を自分のものにしたくて、30日に家族の反対を押し切って家の購入の仮契約をした。
訳アリ物件で手続きに時間がかかり、正式に取得したのが2012年8月30日、
リフォームにも手間がかかり、引っ越したのは2013年4月16日。
以来、同居する子供たちの顔はほとんど見なかったが、この大木は毎日眺めた。
すなわち、家族以上になってしまった桜を切る。
最後は、せめてできるだけ多くの人に見てもらおうと思った。
今まで10年間、花は家族と通行人以外、誰にも見てもらっていない。
妻はパート先の人に満開を見てもらった。
2013年3月以来ずっと世話してもらっている。
「残念ですけど仕方ないですね」と高辻さん。
いつもコンビでいらっしゃる福地さんは「これだけの木はなかなかない」と写真をとられた。
8:54
例年だと枝ぶりを見て考えながら切るのだが、今回はばんばん枝を落としていく。
9:00
9:05
9:10
9:21
もうここまで切ると「やっぱりやめます」と言っても手遅れ。
9:31
枝が太くなってきたので一人で持てず、ロープでつるしながら切る。
そのまま落とすと屋根や塀を壊す恐れがある。
地響きを聞けば道路のアスファルトも心配になる。
10時に休憩。
ウクライナ、コロナ、植木職人業界の話。
ゆっくり休んで再開。
10:40
10:41
ずいぶん寂しくなった
この木の下に椅子を二つ出して5人の家族写真を撮るのが夢だった。
のちには子供たちの配偶者を呼び、8人で撮りたかった。
今切らなければ、孫も見られたかもしれない。
10:43
家の風格がなくなってしまった
11:18
ここからは人間の胴より太くなるので、持ち運びできる大きさに、すなわち薄くスライスしていく。枝を落とした電動チェーンソーでは力不足なので混合油エンジンのチェーンソーに切り替えられた。
11:31
とたんに進みが遅くなる。
14:23
残された姿を見て、突然悲しくなった。
切らなくてもよかったのではないか?
桜にも命はある。では心はあるだろうか?
地上から1メートルの高さで周囲3メートル。文京区の保護樹木だった。
樹齢は2011年で70年以上だったから、もう80年以上か。
毎年かなり太い幹も切り、小さくしてきたが、樹勢は盛んで葉も多かった。
車が来ない私道の奥だったから、長持ちしたのだろうか。
2010年頃?
前の持ち主は一人暮らしの男性で、ほとんど手入れをされなかった。
写真中央の紅葉が桜である。
枝は二階の屋根を覆い、他方は道路を越えて隣の敷地まで広がっていた。
初年度は道路の掃除に二人がかりで40分もかかった。
2012年に自分のものになってから、少しずつ小さくしてきた。
一度にバッサリ切ると枯れてしまうので下の枝を育てながら少しずつ低くしていく。
幹に巣食うアリ、根元に生えるサルノコシカケに悩み、大切に育ててきた。
しかし退職にあたり、終活を意識すると、この桜はいずれ伐採しなくてはならないと思った。
根は道路を盛り上げている。その下の水道管、下水管を圧迫しているかもしれない。
桜は枝の広がりの下まで根が伸びるから、たぶん我が家、お隣の土台にも達しているだろう。被害が出たら取り返しがつかない。
1年前まで、できるだけ長く一緒にいられるようにと思っていたのに、一転、伐採を決めた。
昨年12月、保護樹木の指定解除を申し出ると、文京区の職員が二人が見にいらした。
しかし伐採を認めてくれない。
「台風で倒れて家が壊れたり、根が土台を持ち上げたりしたら、区が補償してくれるのですか?」
「いや、それはできません」。
ただし、樹木医が「老木で倒れそうだ」と診断すれば解除しても良いという。
樹木医なんて責任取りたくないから「倒れる可能性がないとはいえない」というに決まっている。
しかしその費用はこちら持ちだという。
勝手に診断書が欲しいのは区役所なんだから、区役所で支払うべきではないか?
議論は平行線で終わった。
補助金は10年間の総額の1割程度だったのに(規定は5割x0.7(道路にはみ出た枝の分は補助しない)x1/3(補助は3年に1回)=0.12)、伐採を認めてくれない。
持ち主の家より、樹木のほうが大事という職員に頭に来て、そして今、無断で切っている。
伐採プロジェクトの2日目。
私は午前中、シェア畑のパートに行ったため12時過ぎに帰ってきた。
植木屋さんたちは食事に出ていた。
2022‐04‐20 12:53
一面、雪が降ったようになっていた。
ばっさばっさと切った昨日とは違い、わずかに二股に分かれるところの下までしか来ておらず、苦戦しているのが分かった。
12:54
チェーンソーの刃渡りよりはるかに太いため、幹を少しでも細くしようと、縦にも刃を入れている。
13:10
輪切りにできないから、ケーキを少しずつ食べるように、まわりを削っていく。
2台のチェーンソーの音と、飛び散るおがくずの量がすさまじい。
もはや植木屋さんというより材木を切る大工さんのようだ。
13:47
いや、彫刻家かもしれない。
14:52
豆腐を食べるように縦横に切れ目をいれ、バールをねじ込み塊を分けていく。
チェーンソーの1台はエンジンが焼けて使えなくなった。
15:11
なんとか崩したけれども、どうやっても二人では運べない大きな塊ばかり。
15:25
16:09
昨日は寂しさがあったが、ここまで来ると何も思わなくなった。
3日目、4月21日
この日は高辻さん一人。
大きな塊は四方八方からチェーンソーをいれるが、なかなか中心に到達せず分断できない。
彼はおがくずの上に座り込み、コーラを飲みながらひたすら爆音をひびかせていたが、とうとうあきらめた。
私も手伝い、転がしてトラックまで運び、動かせる塊を並べて階段を作り、そこを転がすようにして荷台にあげた。
10年間の強剪定で桜は大分小さくしたが、それでも3日間で廃棄場に運び込んだ伐採量は、2トン200キログラムはあったという。
2022‐04‐21 13:42
3日間、チェーンソーはひっきりなしに動いていた。
大きな塊には途中までの切れ込みが何本もあり、悪戦苦闘をものがたり、それがこのおがくずの山となった。
周囲のフキやこごみ、草花は押しつぶされて埋まったが、また増えるからいいだろう。
しかし根元に住みつき伐採初日に出てきたヒキガエルはどうなったか。
14:31
おがくずを掘ると、埋まっていたひこばえと根株が出てきた。
最終的にはこの場所にほかのものを植えたい。しかし株を掘るのは不可能。
ひこばえも殺し、朽ちるのを待つことにした。
おがくずを掘って、表面に出ている根は切断し、株をできるだけ孤立させた。
そして切り株に除草剤グリコサート(イソプロピルアンモニウム N-ホスホノメチルグリシナート、41%)をかける。ふつうは100倍希釈で使うものだが、500ミリリットルの原液を2本かけ、サランラップで覆った。土壌で分解するらしいので周りに影響はないだろう。
15:54
彼が帰られて、眺めているとお墓のように見えてきた。
2022-03-12
この家は桜をみるために設計されていて、リビングの南東の二面の角は柱、壁がなくガラス張りになっている。桜の枝にはメジロやキジバトなども来た。それが部屋から眺められるという、山手線の内側では珍しい家だった。
夏は日陰で涼しかった。秋の落ち葉掃きは大変だったが、巨木の葉は、夏の暑さからエアコンのない我が家を守ってくれていた。
いつまでも悲しんでいないで、感謝しつつ、未来に向かって何かを植えなくてはならない。
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