10年前に引っ越して、今の住所にほぼ満足しているがホームセンターがないのが残念。
いや、文京区にもある。白山通りにオリンピックと後楽園にコーナンドイトがある。しかし他地域のホームセンターと違って園芸関連売り場がつまらない。
苗はプランターや鉢で育てるパンジーなど観賞用植物が中心で、シーズンには野菜苗も出るがナスやトマトなど定番しかない。埼玉のホームセンターにはあったサツマイモ苗、ネギ苗など農家向け商品、ペピーノ、パレルモなど珍しい野菜などもない。まして果物、庭木など樹木苗などまったくない。だから行ってもつまらない。
埼玉の、夏ミカン、温州ミカンを買ったセキチュー(上尾)、不知火、イチジクを買ったコメリ(伊奈町)はもう行けないし、サツマイモ苗やペピーノなど買ったビバホーム(与野)も遠い。
そこで自転車で行けるホームセンターを探すことにした。
検索すると荒川区と足立区の間に島忠、北区・王子の南のほうにコーナンがある。
千駄木から島忠経由、コーナンまで
6.7キロメートル、徒歩1時間25分、自転車なら42分、と出た。分速78メートルと160メートルか。正しいかどうか分からない。
5月14日、日曜、曇り、久しぶりに自転車に乗る。
狐坂を下りて不忍通りから道灌山通りに入る。
2023‐05‐14 9:43
すぐ台東区に入るが、数十メートルで荒川区となる。
9:44
大規模改築ですっかり変わった開成学園。
向こうに西日暮里駅のホームが見える。
9:46
日暮里駅ガード下
道灌山通の上をJR、日暮里舎人ライナー、京成電鉄が少しずつ距離を空けて通っている。
ここに立つとすべて見える。
9:48
日暮里舎人ライナーの西日暮里駅
西日暮里五丁目という交差点を左折、尾久橋通りに入り、日暮里舎人ライナーに沿って北上する。ここから未知の道となる。
すぐに貨物線とぶつかるが、踏切でなく尾久橋通りは地下をくぐっていく。下って上るのは体力的にきついので、西に迂回した。すると小さな踏切に出くわした。
9:50
「常磐貨物線・片瀬道踏切」というらしい。
この貨物線は田端と南千住の貨物ターミナルを結んでいる。
現在、踏切の両側は西日暮里五丁目と六丁目で、片瀬という地名はないが、昔はあったのだろう。
その昔、山手線がなく上野が関東、北日本からの終着駅であったころ、貨物だけは秋葉原まで行き、そこから船運を使った。そこが手狭になり、田端から貨物線を枝分かれさせ、南千住まで延ばし隅田川で船に乗せるようになった。自動車がなかった時代、東京への物資輸送を支えた、その路線である。このあたりは以前書いた。
ちなみに常磐線は当初、南千住まで南下してきたあと、この貨物線を使い北の田端まで向かい、そのあとスイッチバックで南下した。
その後、いまのように三河島から日暮里に急カーブで曲がるようになって常磐線の列車は通らなくなり、さらに田端経由の貨物も減ったことから、この路線を通る車両も少なくなった。今、一日でこの踏切が閉じることはほとんどなく、地元の歩行者と自転車のみが使っている。
20210910 南千住の貨物・隅田川駅と常磐線の歴史
再び尾久橋通りに戻り北上を続ける。
9:52
西日暮里六丁目交差点
交差点で横を見たら冠新道商興会とあった。冠新道という名前だけは知っていたが、初めて見た。
ホームセンター園芸コーナーの実力は、樹木苗の品ぞろえを見ればよい。
さいたまのホームセンター(特に上尾セキチュー)には大いに劣るが、都内で見た中で一番よい。
冠家は代々新堀村の名主を務めた。大正期、日暮里町の助役でもあった冠権四郎氏は自分の土地を中心に区画整理を行い、その名残がこの冠新道である。
日暮里経王寺の裏に住職が住んでいるようなひっそりとした家がある。
「冠」という表札がかかっている。
20190531 青空個展、手づくり市の母娘
9:54
冠新道商興会
9:56
多数のカラスが舞い上がった。見ればゴミが散乱していた。
日曜の朝に出ているとは、何も知らない外国人か何も気にしない日本人か。
10:02
熊野前駅
都電荒川線と日暮里舎人ライナーの交点。
交通網的に町屋とともに荒川区の中心点とも言える場所だが、舎人ライナーが新しいため、商店街はない。
都電は、自動車と同じように信号機にも従って走るから、わざわざ立体交差にするのは珍しい。ちょうど舎人ライナーが高架だったため、建設時ついでに車道も高架工事したのだろう。と、思ったらすぐ隅田川の堤防で、これを越えるにも高架である必要があった。
都電荒川線が脇を走るのは、都道306号線(王子千住夢の島線)とあるが、はて、少し南で越えた明治通りと同じではないか! 調べたら、このあたり、並行する両方とも確かに306号であった。なぜ同じ番号なのか、由来は不明。
さて、駅名の熊野前というのは、熊野神社前ということだろう。しかし付近にこの神社はない。地図にもない。調べたら、明治11年に近くの八幡神社に合祀されてしまったという。跡地に小さな祠が残され、変わらず信仰されていたため、大正2年に開業した王子電気軌道(後述)が駅名にしたようだ。
熊野前を過ぎると隅田川を越える。
10:07
隅田川を越えるのは尾久橋。
改めて日暮里からまっすぐ走ってきた通りが尾久橋通りだったことを思い出す。
堤防は、壁のように薄く、「よく切れる」カミソリ堤防である。
対岸は足立区。
目的地のホームセンター、島忠がみえた。
島忠は大宮プラザに住んでいたころ、よく行った17号バイパス沿いの店以来である。
当時は3人の子供も小さかったな。
10:10
熊野前からそれほど離れていないが、舎人ライナーの次の駅、足立小台がある。
一度乗ったことがあるが、無人運転の車両、駅舎も近未来的である。
赤印が島忠
このあたり隅田川(旧荒川)と荒川(旧荒川放水路)が接近していて、その幅は大型店舗あるいはマンション一棟分しかない。つまり尾久橋を渡り切っても、さらに広大な荒川がある。隅田川を渡ってきた人は島忠か、さらに長い橋の荒川の向こうに行くわけで、近所の商店街とか駅とかに行くわけではない。だから歩行者が全くいなかった理由も分かる。
10:13
隅田川を渡りきるとすぐ荒川にぶつかる。
向こうに江北橋(こうほくばし)と首都高が見えた。
明治から昭和初期にかけて掘られた荒川放水路は、河川敷だけでなく、車道になっている堤防も広い。
20210925 さだまさしの荒川、木根川橋と四ツ木橋
20201218 北千住2 荒川開削と名倉医院の系譜
堤防道に面してホームセンター島忠がある。
千駄木の家から35分。
目的の園芸品売り場に直行する。
10:16
久しぶりの本格的園芸コーナーでわくわくする。
しかし、ペピーノやパレルモなど、欲しかった珍しい野菜苗はなかった。
定番のナス、トマト、キウリなどは多い。サントリーなどの接木ブランド苗が目立つ。
10:19
モモ、サクランボ、デコポン、イチジク、
レモン、プラム、
庭木のレッドロビンは600円か。
10:27
キンモクセイ、枝垂桜、シャラノキ、
しかし観賞用庭木は興味がない。
10:27
河津桜、照手桃(花桃)
しかし、買うものもなく、次の目的地、王子のコーナンに向かった。
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